「喜べカビ公。今日はプリンもあるぞ」

残飯処理場を発見して数日。日々パンの処理に勤しむ私は、余った給食のプリンをカビゴンの口めがけて投げ、着実に投手としての才能が開花していくのを感じていた。こんなスキルは心底いらなかった。

すっかり日常と化した光景に、今となってはびびってた頃が懐かしいとさえ思う私は、カビゴンの腹の上でトランポリンをしながら、いつまで続くのかなぁ…とぼんやりこの日課について考えていた。

マジでどうすんだろ。こいつの飼い主はもういないし、捕獲して動かしたところでカビゴンなんかどうやって収容するんだ?もはや他人とは思えないので、仮にカビゴンが行政によって対処された場合、どういう扱いをされるのか気になってしまい、日に日にその不安は募っていく。
サファリとかで飼えないもんかね…と腹の上で軽快に飛び跳ねる私は、爺さんはどう思ってるんだろうと不意に目を向けた。
相変わらず毎日来ている釣り人の爺さんだが、いつも通り一匹も釣れてはいない。才能がなさすぎる。何の成果も残せない釣りの一体何が楽しいんだろうな?ヒットさえしていない気がし、糸を垂らしにきているだけのジジイへ近寄った。

「爺さん」
「ん?」
「このカビゴンだけど…」

私は巨神を指差しながら、釣りジジイに話しかける。

「飼い主はもう死んじゃってるんだってさ」

一応情報を共有しておくかと思い、父から聞いた話を打ち明けると、爺さんは普段通りにこやかな表情で私の話を聞いていた。特に動じた様子もなく、私にはそれが不思議だったが、半分ボケてるかもしれないしあんまり気には留めなかった。
とりあえず小学生が一人で抱えるにはでかすぎる問題だったので、耄碌ジジイだとしても、聞いてもらえるだけで有り難い。

「でもカビゴンは迎えに来てくれるの待ってんのかなって…」

知らないけどさ、と付け加えながら、私はカビゴンを見つめた。
すると、いつもは寝てばかりのカビ公が突然起き上がり、巨体を揺らしながら近付いてきて、私は思わず仰け反ってしまった。レアケースに驚き、まさかとうとう食われるのか…?なんてホラー展開を想像する。

そりゃないよ!こんなにパンあげたのにさぁ!やっぱさすがに不味すぎたのか!?死んだはずの味覚がよみがえるくらいやばいパンでも実際おかしくないけど、でも喜んで食べてたじゃん!それにきっとパンより私の方が不味いと思うし!何たって性根の腐ったニートだからな!うるせぇよ!

ハラハラしながら突っ立っていたら、私の前にやって来たカビゴンは、いきなり自分の口に手を突っ込んだかと思うと、おもむろに何かを取り出してきた。まさかのパン返却?と警戒しながら両手を向ければ、そっと小さな物体を置かれる。よく見てみたところ、それはさっき食わせたプリンの容器だった。
捨てといてね、的な顔をしたカビゴンは、すぐにまた定位置に戻り入眠する。私はきれいに完食されたプリン容器を見つめながら、器用に食べやがって…と目を細めた。
いやお行儀良すぎだろ。どうやって食わせたらいいかわかんなくてとりあえずそのまま投げたけど、ちゃんと容器は出すんだな。また一つ知見を得たわ。

人間の生活に慣れ過ぎているカビゴンを見つめ、やはり誰かが飼ってあげるのが一番なのでは…と改めて思う。ゴミをその辺に投げておかないあたりやけに賢いし、他のポケモンとは違う何かがあるように感じる。
哀愁さえ抱き始めていると、いつもは口数の少ない爺さんが、珍しく立ち上がって言葉を発した。

「この子はもう知ってると思うがね。自分の主人がいない事を」
「え?」

ボケ老人かと思いきや、不意にジジイはそんな事を呟き微笑んだ。まるで菩薩のような佇まいに、私はついつい一歩引く。

「でも…だったらなんでいつまでもここにいるわけ?」

爺さんの持論に真っ向から異議を申し立て、私は首を傾げた。その理屈だと、カビゴンがここにいる理由に説明がつかないからだ。

だって…なぁ?飼い主を待ってる以外になんでこんな辺鄙なところにいる必要があるんだよ。絶対東京ドームの方が広くていいだろ。TDCホールもあるしさ。
もっともな指摘をすると、最初はそうだったかもね、と爺さんは笑う。しかしそのあと思いもよらない返しをされて、私はここ数日で一番仰天するのだった。

「君が来るからさ」

観音菩薩のように悟り切った表情の爺さんは、まるでカビゴンの気持ちがわかっているみたいで、私はますます不思議だった。

「だからここに残ってるんじゃないかな」

考えてもいなかった事を言われ、私は呆然と立ち尽くしてしまう。どうして…と疑問を膨らませた時、意外とすぐに答えが出た。

もしかして…残飯?

あの不味いパンを目当てに…?と想像し、本当に味覚が死んでいるかもしれないカビゴンを、心の底から心配した。
嘘だろ承太郎。だって…本当に不味いパンだぜ?あんなもの食べるくらいなら木の実なり何なり食った方が全然マシだろ。もしや炭水化物か?炭水化物を求めているのか?それにしたって腹の足しにはならないじゃん。だって小学生の学校給食だ。微々たる量に過ぎないのに。

何故…とカビゴンの心情が理解できずにいると、爺さんはバケツに手を入れ、そこから何かを取り出した。何気なく見ていたが、私は奇妙な事に気付き、訝しげに顔を歪める。

…あれ?バケツ…空じゃなかったか?何も釣れてないから。

不可思議な現象を怪しんでいる間もなく、ジジイは私に球体の何かを手渡した。何もないところから出てきたそれは、ショップで大量に陳列されてるハイパーボールで、いろんな意味で驚きを覚える他ない。

え…マジでどっから出てきた?マジック?この爺さん…Mr.マリックだったの…?
超魔術を目の当たりにし、これがハンドパワーか…と微妙に納得しかけたところで、次なる問題が訪れる。

…で?何故私にハイパーボールなんて高価なものを譲渡した?
当時の価格で1200円である。釣りで生計を立てられるわけがない爺さんから、こんな高級品をもらっていいかわからず、ニートは棒立ちした。

くれるのはいいけど…私のような者に渡したらすぐ換金するぞ。思い出は金に変えていくタイプだからな。
クズな性格を露呈していると、爺さんはハイパーボールの用途を私に悟らせ、換金はできない事を知らしめた。

「わしはここでずっとキミたちを見てきたがね、そのカビゴンはキミを好いているように思える」
「残飯の方じゃなく?」
「もしキミも同じ気持ちなら、それを使っておくれ」

重ねて言うけど残飯の方じゃなくて?今のところパンへの興味しか感じ取れてないんだけど。

本当かなぁ…とカビゴンに近寄り、爆睡中の巨体にそっと手を重ねてみる。
どうなんだろう。確かに私はわりと愛着を抱き始めてるし、このまま離れるのつらいなって思ってるけど、でもカビゴンの気持ちはわかんないからな。だって食うと寝るしか観測できてないもん。わかるわけねぇだろ。
でももし本当に爺さんの言う通りなら、それはちょっと嬉しいな、と思う。ポケモンに対して、こんな気持ちを抱くのは初めてだった。

なんだか微妙に照れてしまっていた時、やっとハイパーボールを渡された意味に気付いて、私はハッとした。

あ、捕まえろってこと!?私が!?この残飯処理機を!?
考えもしなかった道を示され、自分の面倒さえ見れないニートは、最初からその手札を無意識に封じていた事に気付かされた。そもそも小学生はポケモンを持ってはならないので、捕まえるという発想など得られるはずもなかったのだ。

いや絶対無理でしょ!まだ卒業もしてないし!卒業したところでニートだし!しかもキャタピーとかならまだしも…カビゴンだぞ!?型破りすぎる!普通に無理だって!

様々な理由を並べ立て、私は首を左右に振った。気持ちだけでどうにかなる問題じゃないと、幼いながらに知っているからだ。
しかしこの時、普通ってなんだ…?と思わず考えてしまった私は、己の将来を想像し、最もアウトローな人生を歩もうとしている事を思い出す。

そうだ…私…ニートになるんだった。
無職。それは普通から一番遠い人生である。
家から出ず、親の脛をかじり、世間の目に耐えながらも自由に暮らす、そういう生涯を、私は夢見ているのだ。

そんな型破りな私が…今さら校則違反だとか、常識はずれだとか、一般人みたいな事を気にしてどうするんだ?気持ちだけでどうにかなる問題じゃない?ニートだってそうだろ!でもそれを貫き通す!それが私の設定、いや生き方だからな!

私はボールを握りしめ、とっくにただの障害物ではなくなっていたカビゴンの前に立つ。

ありがとな爺さん。おかげで目が覚めたよ。自分の気持ちに素直に生きてこそ真のニート…そう言いたかったんだよね。違ぇよ。

覚悟を決めた私はカビゴンを揺さぶり、寝てる場合じゃねぇぞとパンチを繰り返した。モンゴリアンチョップを決めた時にようやく巨神は目を覚まして、気怠そうに体を起こす。
おやつの時間?と言いたげな表情なのは察した。残念ながら移送の時間です。

「私…卒業したらニートになりたいと思ってる」

再び寝られる前にド直球に切り出して、私はカビゴンと見つめ合った。捕まえるにしても、人生を共に歩む覚悟があるかどうかを、お互いに確認しておきたかったのだ。

親の脛をかじるつもりとはいえ、生活が安定するかはわからない…きっと年金はもらえないだろうし、消費税も上がり続け、保険料も馬鹿にならず、苦しい日々が待っているだろう。
でも私がトレーナーになれば、ポケモンセンターの飯が無料で食べられるようになるんだ。そしたらカビゴンの衣食住は保障され、今の不味いパンだらけの生活よりちょっとはマシになるだろう。いや不味いパンは引き続き食べてもらうけどな。でなきゃ引き取らねぇよ。動機が不純すぎる。

「それでもいいなら…一緒に行こう」

私はニートレーナーとして、そなたはニートポケモンとして共に生きようとジブリ作画で私は告げた。ヤックルには程遠いカビゴンは、そんな事より眠いわ…って顔をしたあと、手を突き出してキャッチャーの姿勢を取る。

なんで野球形式だよ…と思いつつ、私はカビゴンにパンを投げ続けた結果鍛えられた投球フォームで、ハイパーボールを構えた。

運命の瞬間だ。
チャンスは一球…外したらボールは海にドボンして藻屑になって終わるだろう。この一投に全てが懸かっているのだと思い、9回裏のような気持ちで巨体に挑んだ。

私はニート…私はパン投げの達人…きっと上手くいく…。たとえ野球の才能がないとしても、私には加護がついているから、絶対に大丈夫だ。
そう、主人公属性という加護がな!

マー君のフォームを意識しながら、私は肩をうならせ、一個1200円のハイパーボールを投げた。球はカビゴン目がけて飛んでいき、本当に野球だったら確実にデッドボールだが、カビゴンの手に当たった時点で速度は止まり、巨体が光に包まれた。久しぶりに桟橋の向こう側の景色を見て、私は懐かしの通学路を思い出す。
日常が戻ってくる。代わりに、クソでかい非日常を手に入れてしまったらしいが。

揺れるボールは何回か点滅したあと、カチッという機械音を立てたきり停止した。しばらくそれを見つめていたが、何の動きもないので、私はようやく確信する。

「よし!カビゴン!ゲットだぜ!」

空振り三振!バッターアウト!山吹ニートズ優勝!初優勝です!
私は脳内で一人胴上げを展開し、ボールを拾って一回転した。初めてポケモンを捕まえた高揚感と、何だかんだ愛着の湧いたカビゴンと離れずに済んだ事と、引き続き残飯処理ができる事と、そしてあの地獄の船酔いが終わる喜びで、稀に見るハイテンションニートと化していた。

何!?全てが解決したんですけど!?ノーベル賞受賞ものじゃん!最高の日だな!今日を祝日にしてはいかが!?
もう全てが愉快すぎる。宴が三日三晩続きそうな勢いだよ。勝手にカビゴン拾ってきて両親には怒られるかもしれないけど、今は何も耳に入らないね。
それもこれもボールをくれた爺さんのおかげだ。私は勢いよく後ろを振り返り、ボールを見せながら口を開いた。

「サンキュー爺さん!」

1200円もするのに!と礼を言った時、私はそこに広がる景色に目を見開いた。長い桟橋の上に、爺さんの姿がなかったのだ。
ぽつんと置かれたボロの釣竿とバケツだけがあり、まるで最初から誰もいなかったかのように寂れている。広い海の真ん中で、私は何だか直感的に、全てを理解したような気がした。

「…もしかしてお前の飼い主って…あの爺さんだったの?」

まさかね、と苦笑したがボールの中のカビゴンはすでに爆睡していて、何も答えてはくれなかった。軽い心霊体験をしたかもしれず、多少はゾッとしたけど、それだけこのカビゴンが大事にされていたのだと思ったら、薄気味悪さは消えていた。

まぁ単に帰っただけかもしれないけど…カビゴンは責任持って面倒見るから安心してくれ。ちゃんと不味いパン以外も食わせるからさ。
成仏しろよ…と手を合わせ、戯れにボロの釣竿を振ってみたら、餌もついてないのにすぐにコイキングがヒットした。入れ食い状態の釣り場に若干引いて、すぐ海に逃がす。
どんだけ釣り下手だったんだあのジジイ。才能が皆無だろ。海藻が釣れただけでも良しとしろよ。

何も釣れなかった爺さんをよそに、私が手にした獲物はかなり大きいものだったので、両親にどう切り出そうか考えながら、障害物のなくなった桟橋を歩いて帰るのであった。

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