チャンピオン・エクスプレス

私の名はレイコ。ガラルチャンピオンとニートの二足のわらじを履く意味不明な女だ。同時に履けないはずのわらじを何故履けてるのか私にもよくわからない。

そんな私に、一足目のわらじ…つまりチャンピオン業の方の仕事が舞い込んだ。てっきりチャリティー試合か何かかと思ったら、なんとモノレールのCM撮影と聞き、昨日の夜から緊張が止まらない状況である。

ついにこの日が来てしまったのね…と私はゲンドウポーズで苦悩した。
ガラルのジムリーダーや著名な選手たちは、皆当然のようにCMに起用されている。スポーツ選手は大体そんなもんだし、イチローや修造みたいなポジションで常にテレビに映し出されているものだが、まさか私がトップアスリートのような扱いをされるとは思わず、いまだに脳内が混乱を極めていた。何故なら私、トップニートだからな。誰が契約すんだよ。

奇特な世の中に驚きつつ、出ると言ってしまった以上はもう後に引けない。ギャランティに目が眩んだ自分を叱責し、控え室で赤いジャケットと豹柄の帽子を被って、これ完全にシンデレラエクスプレスの牧瀬里穂だよね?と思いながら、いざ駅構内へ足を踏み入れた。私の乗る超特急はニート行きしかないけどねって感じだったが。


「レイコさん入りまーす」

シュートシティの駅で、スタッフに出迎えられながら、私は初めてのCM撮影に身を縮こまらせた。いつかこんな日が来る気はしてたけど…でもいざ駅を一部封鎖して多数のカメラに囲まれると、さすがに呑気なニートの気分ではいられない。

マジかよ。芸能人か私は?いや芸能人だったわ。
試合で大勢の観客に囲まれる事にはさすがに慣れてきたが、テレビカメラや本格的な機材が並んでいると、また違った緊張感がある。しかもCMの撮影だから演技もしなきゃならないしで、私はもらった台本を凝視し、JR東海に怒られそうな衣装を何度もチェックした。

牧瀬里穂のパクりなのもやべぇけど…今回相手がさらにビッグだからな…私のド素人演技で迷惑をかけやしないか心配だぜ…。

そう、私が出演する事になったCMには、もう一人超大物が出る事になっており、その件も緊張を煽る一因となっていた。揃って何かに出る事は、あの決勝以来ほとんどなかったので、周囲も張り詰めた空気に満ちている。

「レイコくん」

失敗しないようにしなきゃ…と瞑想していれば、スーパースターに話しかけられ、私は即座に立ち上がった。緊張しすぎていつの間にか現場入りしていた事に気付かなかったらしい。
お前は本当に周りの見えないニートだな!と自虐しながらお辞儀をして、本日の共演相手、前チャンピオンのダンデに、挙動不審な挨拶を述べる。

「だ、ダンデさん…今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ!雰囲気が違ってびっくりしたぜ」

牧瀬里穂だからな今日の私は。そろそろ山下達郎の幻聴が聞こえてくる頃だと思うよ。

そう、CMの相手というのは、元チャンピオンのダンデであった。私が元にしてしまったのでわりと微妙な心境だが、ニートチャンピオンでも温かく歓迎してくれたので、本当に優しいナイスガイである。

そんなダンデと共演なのだから、当然緊張しないはずがなかった。だって向こうは長年のスター、一方の私はゴミ溜めのニートだからね。天と地、月とスッポン、神と虫ケラである。卑下が止まらなくなるくらいには、人格の違いを痛感していた。

マジで緊張してきた…図太く無神経で鈍感なこの私をここまで追い詰めるとは…恐ろしい男だ、ダンデ。これがネズさんとかビートならハイパーリラックス状態、キバナさん辺りもまぁまぁ気が引き締まる程度で済んでただろうに、やはり最強のチャンピオンは周囲に与える影響が違うね。
いない人に対して死ぬほど失礼をかます私は、あれよあれよと言う間にホームの前に立たされ、脳内に刻みつけた台本を思い出しながら、カメラが回るのを怯えながら待っていた。

チャンピオンも利用するモノレール…というのが今回のCMのコンセプトらしい。電車なんて全く使ってねぇけどな、という真実は伏せ、まぁシュートスタジアムはチャンピオンのホームも同然なので、我々が起用されるのも頷けた。
ダンデさん入り浸りのバトルタワーもシュートシティだし、モノレールのイメージキャラクターには持って来いだろう。まぁ私はガチで利用してないんですけどね…Suica使えねーしな。

広告詐欺に後ろめたさを感じつつ、一つだけ有り難かったのは、このCMに音声がないところであった。
まさにシンデレラエクスプレスと一緒で、なんか山下達郎がいい感じに歌うバックで私とダンデがサイレントで待ち合わせをしてるという、絶対JR東海に訴えられたら負けるよね?的な映像になる予定だ。パクリへの関与を疑われても、世代じゃないから知りませんでしたで通すしかないだろう。監督が独房で一人きりのクリスマスイブを過ごさない事を祈ってるわ。

新旧チャンピオンの待ち合わせ風CM、確かに興味深いだろうな…と他人事のように考えていたら、いよいよ始まると言われ、私はスマホロトムを握りしめた。きっとできると言い聞かせて、大きく深呼吸をする。

大丈夫だ…台本はめちゃくちゃ読んだし、私はそんなにする事もないし、演技ド素人ってみんなわかってて起用してんだから、きっと何とかなるよ。
私は段取りを思い出し、頭の中で一からおさらいをした。

ホームの柱のそばでダンデを待っている私に、迷ったらしい彼から電話が掛かり、喋ってる途中で電車が来て、間に合わないかと思われたその時、後ろからダンデが現れ一緒に電車に乗るという、ただそれだけの内容なのだ。
ニートを隠す芝居で手一杯の私でも、これなら何とかいけそうな感じするだろ。どうせ音声はないんだ、電話に向かってポケモン言えるかな?でも歌ってればそれっぽく見えるだろうよ。

安易な気持ちで佇む私の耳に、とうとうカチンコの音が飛び込んできた。始まった!と身構え、電話が掛かってきた風の振る舞いをしなくては…とスマホロトムを見たその時であった。本当に電話が掛かってきたのは。

…え!?なんで鳴る!?

小道具のはずの携帯が震えた事に、私は驚きすぎて叫びを上げた。まさかのハプニングを対処できず、知らない番号に慌てふためく。

いや誰だよ!てか電源切っとけや撮影中なんだから!
誰かの私物だったのこれ!?とテンパる私は、本当にどうしたらいいかわからなくなって棒立ちした。何故いきなりこんな事に…と憂いている間に、なんとロトムが勝手に応答しやがって、私は電話を耳に当てずにいられなくなってしまう。

いやおかしいでしょ何から何まで!応答すんなよ人の電話に!イタ電かもしれないだろうが!
メリーが後ろに立ってたらどうすんだよ!と怯えながら耳をすませると、聞こえてきたのは思いもしなかった声で、私はさらに度肝を抜かれる事になる。

「レイコくん、俺だ」
「だ、ダンデ!?さん!」

お前かい!思わず呼び捨てにしかけたわ!

ビビりながら出た電話の相手は、意外な事に相手役のダンデであった。撮影中に何やってんだこいつ…と首を傾げ、何が何だかわからず、私は挙動不審に目を泳がせる他ない。

「ど、どうしたんですか」
「すまない、俺も演技は得意じゃなくてな!」

それがどうした?って感じだったけれど、次の言葉で意味を察し、やっと少し落ち着ける私なのであった。

「このまま話していてもいいだろうか」

ダンデにそう言われ、ハッとした私は、電話越しに何度も頷いた。元チャンピオンの優しい気遣いに、つい感動の涙を流してしまうところであった。
撮影中なのも軽く忘れ、こちらこそ…とむしろお願いをする。

そうか、電話の芝居で私が悩んでたから、実際に電話すれば自然にできると踏んで掛けてきてくれたのか。
神かよ?今日から唯一神ダンデ教に改宗しても文句ないよな?
信仰を持たなかったニートは、この日初めて宗教を理解した。もはや電話というよりは禅問答をしてる気分だったが、ぎこちない演技をするよりは幾分かマシだろう。ダンデのせいで緊張していたはずが、ダンデのおかげで気持ちが和らいでいき、脅威にもなれば安息にもなる元チャンピオンの凄さを、私はしみじみ感じた。

すげーな、ダンデさん…マジでこうはなれねぇよ私。なる必要もないとは思うが、だからって私が新チャンピオンで本当にいいのかガラル地方…って感じするぜ…。
まぁ別にガラルのためにチャンピオンになったわけじゃないけど…。自分のため、ポケモンのため、ニートになるため、それから応援してくれたホップたちとか、推薦してくれたダンデのためとかにも戦ってきたけども…それだけでいいものなんだろうか。一応この地方の品位を保つだけの振る舞いはするべきと思うじゃん、ダンデに勝ったからにはさ。
プレッシャーを感じつつも何だかんだお気楽な私は、まぁ考えるの面倒だしこのままでいっか…で片付けてとりあえず今日を過ごしているのだった。いや微塵もよくねぇよ。早くカントーに帰らせてくれ。

「ここから君の姿が見えるよ」

つい溜息を吐いてしまっていると、電話越しにそんなことを言われ、私は咄嗟に背筋を伸ばした。え!?と辺りを見回し、そういえばさっき立ち位置を確認した時に後ろにいたことを思い出して、私は顔を正面に戻した。

そうだったわ、後方からダンデが駆け寄る設定だから私の後ろで待機してるんだった。
今あなたの後ろにいるの…とメリーさんめいた事を言われた私は、若干ビビりつつ苦笑し、背後のダンデに気付かない振りをする。

「迷わない距離で助かった!」
「わはは」

やば、普通に笑っちまった。しかも典型的な笑い声で。
フルハウスのSEみたいなリアクションをしてしまっても、ダンデは優しく宥めてくれるし、監督もカットをかけなかった。初心者への気遣いをひしひしと感じ、ついでにダンデの方向音痴への気遣いも感じて、頂点に立つ事の凄まじさを思い知る。

やっぱガラルのチャンピオンになるってスゲーんだよ…。トップに立ってるのもわりと厳しいし大変だけど、様々な忖度があり、あらゆる人や環境がチャンピオンを支えている。長い間無敗だったダンデを打ち負かしたポッと出の私にも、手厚いサポートがあったりで、なんつーか有り難さと申し訳なさが混合しちゃうって話だわ。
まぁ新米は新米なりにやっていくしかないわけだな…と気負いすぎず、手を抜きすぎず頑張ろうと決めた。そして一刻も早く実家に帰る方法を考えなくちゃならん。このままじゃ毎年JR東海のCM撮らされるぞ。

マジで何とかしてチャンピオン辞めなきゃ…と己を取り戻した私は、どうせガラルを去るなら怖いものなど何もないと悟りを開いた。本質を思い出させてくれたダンデに感謝を述べ、牧瀬里穂になってる場合じゃないと正気になる。

「…ありがとうございます、おかげで緊張解けました」

常にだらけているこのニート、本来なら緊張とは無縁の存在なのだ。相手がスターだから何だってんだよ?分解したら私と同じ成分なんだからな?
水35リットル、炭素20キロ、リン800グラム…と人体錬成に想いを馳せていたら、開き直った無職とは裏腹に、ダンデは意外な言葉を投げ、私を大層驚かせた。

「そうか。俺は少し緊張してるよ」
「え?」
「あの試合以来、君に会う時はいつもなんだ」

なんだって?こんなニートに…か?
思いがけない告白に、私は呆然と立ち尽くした。博愛気味なダンデからは到底イメージできない姿に、やはりこれはメリーさんからの電話なのでは…と別人を疑ってしまう。

あのダンデが…私に緊張…?石灰1.5キロ、塩分250グラム、アンモニア4リットルの私などに…?
錬金術にとらわれている私は、物質だけ見たらみんな同じですよ、とサイコな事を言いかけて踏み止まった。動揺のあまり危うくやべー奴だと認定されかけたが、こっちが喋り出す前にダンデは笑って、誤解を招く発言を訂正する。

「悪い意味じゃないぜ、気が引き締まるってところかな」

いやそれもおかしいからな。むしろこんな無職でも生きてていいんだ…って気が緩む方でしょ。やかましいわ。
止まらない自虐に失笑し、尚も続くダンデの台詞に耳を傾ける。

「君は強いから」

お前もじゃん、と率直に思う。私ほどじゃなかっただけで。
何だか珍しくセンチメンタルなダンデを、私は心配した。だってこんなニートに緊張するとか言ってるんだぜ?体調悪いの?って思うだろうよ。
トーナメント以来何度か彼に会う機会があったけど…そんな素振り見せた事もなかったし…私が鈍感夢主だから気付かなかったなんていう単純な話でもない気がする。

ポケモンのことばかり考えている強く賢くいい人だということ以外、ダンデのことを知ってるとは言い難い私は、秘められた一面に戸惑い、そして再びカメラを意識するはめになった。ダンデさんが緊張してるなら誰が私を助けてくれんだよ?って感じだからだ。

頼むぜマジで…私なんかに緊張してる暇はないですよダンデさん。何故ならこっちはニート、そして今は撮影中なんでな。
せっかく乗ってきた気分をまた崩しながら、電話越しに緊張が感染してしまい、私はさっきより震え出した手を必死に抑えた。頼れると思っていた相手がそうじゃないとわかった途端に威勢をなくす、私はそういうタイプの小物であった。クズじゃねーか。

「そんなこと言われるとまた緊張しますよ…」
「すまない。そろそろ行こう!」
「えっ」

その言葉に、私は思わず振り返った。いつまでもこうしていたって埒があかないとはいえ、急に動かれても咄嗟に反応できず、台本に無い振る舞いをしてしまう。

しまった、後ろ向いちゃいけなかったのに見ちゃったよ。ダンデが惑わせるからさぁ。

責任転嫁しながら、私は歩いてくるダンデと視線を合わせた。本当なら電車の方を向いてる私に、ダンデが後ろから声をかけるシーンだったのに、これじゃ待ち構える形になってしまう。
グダグダになっているというのに、監督はいまだカットとは言わず、新旧チャンピオンのやりとりをただ見守っていた。それも余計にテンパりを助長した。

いっそやり直してくれた方がホッとするんですけど?どうしたらいいんだこれから。何事もなかったかのように続けていいのか?

大丈夫なのかよあの監督…とごちゃごちゃ考える私であったが、近づくダンデを見つめていると、段々周りの情報が薄れていくような感覚に陥った。
行き交うエキストラが忙しなく足音を立てているはずなのに、ダンデ以外の全てが風景になるみたいな、そういう視界だ。一人だけ浮いている。溶け込めないまま駅のホームに存在し、これがカリスマ性か…とオーラを背負う男をぼんやりと見つめた。

スターすぎる。私はニートすぎるし、相反する二人が巡り合ってもケミストリーは起きないと思うんだが、このCM本気で大丈夫なんだろうか。
ダンデとの違いを痛感しながら、それでも目を離せずにいると、とうとう電車がやってきてしまった。徐々に音が大きくなり、突風が吹いた拍子に私の帽子が飛び去って、柱のそばに着地する。

やべ。さらにシンデレラエクスプレスのパロディみたいになってきちゃった。もはやオマージュやリスペクトでは片付かない、訴訟待ったなしのパクりだよ。
いろいろな不安を抱えつつ、帽子を拾う事もできないまま、やってきたダンデを張り詰めた面持ちで見上げた。やっぱり相手が緊張しているようには見えないため、どこまでが真実なのか怪しいものである。

台本通りだと、待った?ううん今来たとこ、的な雰囲気を出して一緒に電車に乗り込むのだが、どうもそういう空気は感じられず、私はダンデの出方を窺った。微笑みを浮かべているものの、どこか真剣な眼差しに動揺する。
後ろで電車のドアが開く音がしたというのに、ダンデは私を見下ろしたまま動かない。

ど、どうすんだ?アドリブだらけでもう思考停止状態なんですけど。
もしかしてダンデさん本当に緊張してるんだろうか?彼もまた、JR東海に訴えられる事を危惧し始めた可能性が微レ存…?
服装の時点で敗訴が確定している事はさておき、今はこの棒立ちを何とかするのが先決だ。電車は普通に動いているから待ってはくれないし、早く乗らないと去って行ってしまう。

全然カットかからないからとりあえず乗らね?的な顔をする私の前で、ついにダンデは動き出した。気持ちを汲んでくれたかと思いきや、何故か彼は手を伸ばすと、風で乱れた私の髪を直し始めたではないか。
メイクさんかお前は?と戸惑い、マジに緊張でおかしくなってしまったかもしれない元チャンプを、心の底から心配する。

おいおい大丈夫かよ?私みたいに多動オタク動作をしないだけで、内心はめちゃくちゃ焦ってたりするのか?それこそ台本が飛ぶくらいに。
顔に出ないダンデに振り回されてしまったが、そもそもこれは私達二人のCMなのだから、ダンデにばかり頼っていられないと思い直す。

そうだ…こっちだってしっかりしなくては…何故なら私はニューニート、そしてニューチャンピオンなのだ。堂々たる振る舞いでガラルを引っ張る、そういう役目があるんだからよ。

ここにいる間くらいやるぜ私は、と気合いを入れ、ぎこちない手つきでいつまでも人の髪を整えているダンデを力強く見つめた。もういいから行こうぜ早く。私乱れ髪でも美しいんで!
謎の自信を発揮させる私から離れ、ダンデはやっと真実味のある表情をした。処理落ち気味な動作で笑うので、本当に硬くなっているらしい。

「やっぱり緊張するな…」
「そうですね…」

さっきまで信じてなかったけど…ダンデもダンデで思うところがあるみたいだ。そりゃ十歳の時からやってたチャンピオンを退任したんだからな、何も思わないわけないだろうよ。

どういう気分なんだろうな…ずっと勝ち続けてた人が初めて負けるって。こんなニート相手にも緊張感を抱いてしまうような衝撃がそこにあるってことなんだろうか。

いまだ無敗を誇る私は彼の心境など知る由もないが、自分を負かした相手のこと、死ぬまで絶対忘れないとは思うよね。どういう感情になるかは人によるだろうけど。私だったら夢枕に立っちまうかもな。心が狭すぎる。

私と違って寛大なダンデは、しっかりと次の道を定めて前向きに進んでいる。みんなチャンピオンを目指してジムチャレンジに挑むけど、チャンピオンである事が全てではないと、ダンデを見たら思えるんじゃないだろうか。

やっぱスゲーやダンデさんは…なんか生きてるだけで褒めれるなこの人。
私みたいなニートが無敵のダンデを倒した事で、誰にでもチャンピオンになれる可能性があるという希望を人々は見出しただろうし、とにかくガラルにおけるダンデの功績がデカすぎる。
ここまでにはなれないにしても、ダンデの後任として恥じないチャンプではありたいよね。無敗トレーナーとして同じ境遇の人間には入れ込んでしまうレイコであった。

そんなダンデも、私にはそれなりに思い入れがあったのかもしれない。飛んだ豹柄の帽子の代わりに、彼は自分の帽子を私に被せた。敗れた時に投げたキングキャップだ。当然でかいから私の頭には余る。そうでなくとも脳味噌スカスカなのに。やかましいわ。

「行ってこい、チャンピオン!」
「え?あ、はい…」

つばを持ち上げた時に見えたダンデの顔は、陽キャ全開の爽やかな笑顔で、促されるまま私は電車に乗り込んだ。スタジアム行きと書かれた電光掲示板を一瞥し、定位置に立ちながら、ダンデが乗ってくるのを待った。

しかし、彼はその場から動かなかった。私を見送るよう線路の外側に立ち、懐かしそうに車体を眺めている。しばらくその状態が続いたので、私は棒立ちしながら一人焦っていた。

え?何?乗れよ早く。これ以上台本無視されるといよいよテンパるぞ。

ドアが閉まっちゃうじゃん、と一歩踏み出し、元チャンピオンが駆け込み乗車はまずいから早く乗ってよと念を送った。

行ってこいって…お前も行くんだよ、そういうCMなんだから。
私はダンデが緊張のあまり撮影を忘れてるんじゃないかとハラハラし、まるで二人の間に見えない壁でもあるかのような光景を少し寂しく感じた。

そりゃあもうダンデさんはスタジアムに通う事はないかもしれないけど…でもあそこはチャンピオンだけの場所じゃないんだから、その事を忘れんなよって感じだぜ。
シュートスタジアムは私に挑むガラル中のトレーナーが来るべき場所なんだ。ダンデもその中の一人になってほしいと思うよ。何なら推薦状渡してやるし。どこから目線かな?

立場が完全に逆転した事で強気になった私は、アドリブが自由すぎるダンデに痺れを切らし、一度電車を降りると、そのまま相手の腕を引っ張って車両に引きずり込んだ。
普段460キロのカビゴンや210キロのカイリューを相手にしているせいで力加減を見誤り、少々強めに引っ張ったせいで、普通に正面からぶつかった。ごめん。体重一桁間違えてたわ。

硫黄80グラム、鉄5グラム、硝石100グラムの人体と衝突したのもそのままに、私は相手を見上げて口を開く。

「乗ってくださいよダンデさんも」

仕事なんだから…とマジレスしかけたが、彼の目を見て言葉が勝手にすり替わった。咄嗟に出る台詞の方が、意外と真実味を持ったりするのかもしれない。

「チャンピオンが待ってるでしょ!」

自惚れすぎる発言を繰り出し、あと仕事だし、と笑って見せた。ニートに仕事を全うしないことを責められるなんて世も末だな…と思った事は秘密である。

マジでこの私を待たせるとは何事よ?その姿に誰もが皆振り返る、天下のニートレーナーだぞ。一生待たせとけ。

ただでさえ台本通りに進んでいない中、電車にまで乗らないという暴挙を許してはならないと、プロフェッショナル仕事の流儀と化した私はダンデを叱責した。
モノレールのCMだからな、せめて利用しないとやべぇだろうよ。プライベートで全然乗らない事への後ろめたさなどもあり、つい感情的になってしまうレイコであった。

何にせよこれでひとまず仕事は果たしたな、と台本の最終ページまで進めた事に安堵し、実際は最初からNGだらけだった事は忘れ、掴んでいたダンデの手を離す。
一方のダンデはというと、いきなり声を荒げて驚いたのか、面食らったようにポカンとしていた。体重を見誤られた事も衝撃だったかもしれない。ごめんて。だって強めにいかないとびくともしねぇからうちのメタボ達は…。

人間に慣れていないワイルドニートは、ずり落ちてきた帽子を取り、ダンデの頭にそっと戻した。背伸びをした時にようやく彼も笑って、私の肩に手を置くと、また乱れた髪を直す。
いやそんなに見苦しいか?乱れ髪もそれなりに情緒あるって与謝野晶子も言ってたはずなんですけど?

そう何度も髪を直されるとさすがに照れるため、私は俯き、毛繕いされるサルノリのように大人しくしていた。右肩に置かれた手は熱く、ジャケットの上からでも温度がわかる。

「…すまない、本当に緊張してるんだ」

さすがにもう信じたので、私は頷きながら苦笑した。

「この電車にも久しく乗っていないし…」

手に力が入っているところを見ると、ガチでそうなんだろうなって感じたし、普通にモノレールに乗る庶民的なダンデの姿を想像してちょっと笑った。キアヌかな?

「CM引き受けといて何ですけど…私も電車なんて全然乗りませんよ」
「そうなのか?」
「原チャリあるんで…」

とうとう水上まで走れるようになってしまったため、原付以外はいらない何も捨ててしまおう状態である事をこれを機に告白した。鉄道会社にICカードすら持っていない事がバレたらと思うと気が気でない私の方が、どっちかというと緊迫感があるはずなのだ。
スポンサー契約に怯える大人になっちまった事を嘆いていると、ダンデはそんな私を見て、噛み締めるような笑みを浮かべる。何だか意味深な言葉を添えながら。

「君は迷わないもんな」

あ、迷子になるから電車使ってんだダンデさん…堅実だな…。

「レイコくん」
「はい」

しかし道だけの話ではなかった事に、レイコは最後まで気付く事はないのであった。

「引っ張ってくれて…ありがとう」

手を取ったダンデにかしこまって礼を言われ、私は普通にめちゃくちゃ照れた。改めて考えると結構な無礼をかましたと思うが、咎めもせずそう言ってくれて本当によかった。俺は460キロでも210キロでもないんだが…とか言われたら土下座一択だったよ。ごめんてば。

「台本を無視するところだった」

それはもうしただろ。何もかもが遅ぇわ。

「カット!」

なんてひどい撮影なんだよ…と頭を抱えていたら、やっとカットが響き、アドリブしかない地獄のCM撮影が止まった。監督の声にダンデは慌てて手を離し、ちょっと恥ずかしそうに距離を取る。
ものの見事に台本をスルーしてしまったので、普通にこのまま撮り直すかと思ったのだが、何故かこれを使うと言われて解散になり、さすがの私も五度見した。

いやどういう事なんだよ。監督寝てたのか?ド素人すぎてこれ以上の撮影は無理だと思われたかな?
まぁ早く終わる方がありがたいから別にいいけど…と特に抗議もせず、後日完成したCMを見て、山下達郎の歌声がBGMに起用されているというギリギリ感に、私は一層怯える事となった。パクりだよねシンデレラエクスプレスの。絶対にやばいよね?知らないからな私。雨は夜更過ぎに雪へと変わっても我関せずだから!

未来を乗り継ぐシュートシティモノレール…といい感じのキャッチコピーが流れる中、テレビの奥で、私とダンデがグダグダに電車に乗り込み、帽子を押し付け合っている。緊張してテンパっていたものだが、こうして客観的に見ると、何だかいい雰囲気に見えてそわそわした。

こんな風になったんだ、CM…そんなに悪くないな…悪くないけど、確かに私めっちゃ髪乱れてるわ…。
直したくなる気持ちもわかり、しかし妙に繊細なダンデの手つきが気恥ずかしく、それ以上は直視する事ができなかった。

こんなGALAXYのCMみたいになっちまって…あのボンクラ監督…意外と洒落たもん作りやがるんだな…。加工技術のおかげでなかなか透明感のある美女のように演出されている事にまんざらでもない気分になり、たまには撮影も悪くないかもなと掌を返すレイコであった。

その後私が不在のCM発表会で、レイコはあまりモノレールは利用しないらしいが…とダンデがうっかり口を滑らせたと知るのは、しばらく経っての事である。


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