「乗った事あるんですか?この観覧車」

ゆっくり上昇していく感覚に身をゆだね、小さくなった景色を見る。なんかちょっとまずった気がしている私は、目を合わせないようチェレンさんに尋ねてみた。

向かい合って座るっていうのもわりと気まずいけど…誘っちゃいけないやつだったんじゃないかな、これは…。乗ってもいいとは言ってくれたものの、チェレンさんにしては珍しく戸惑いの表情が見えたし、もしかしたら山男のトラウマでもあったのかもしれない。
空気読めない事しちゃった…?と反省しながらも、無言でいるわけにもいかないので、空気読めないついでに尋ねてみた。多少の好奇心もあった。

ガラス越しに相手の顔を見ていると、意外な事にチェレンさんはすぐに頷き、私を驚かせる。

「あるよ」

マジで。あるんだ。こういうのあんまり興味なさそうなのに。
驚きのあまり、ついチェレンさんの方へ視線を移した私は、その横顔にやはり哀愁が漂っているように感じてしまい、いろいろと深読みが止まらない。

どうしよう。やっぱ山男の都市伝説に遭遇したんだろうか…?いや、そうとは限らない。このエターナルサンシャインのような切なげな表情を見るに、ここには美しい思い出があって、でもそれは幻となってしまった的な、そういう恋愛方面の可能性も有り得るんじゃないか?

私は想像した。何故ならこの観覧車は二人乗りである。乗ったという事は、間違いなく誰かと一緒だったのだ。
私みたいに、ポケモン勝負でボコボコにした相手とフラットに乗車するタイプには見えないから、きっと親しい人だろう。真面目で硬派なチェレンさんが、こんなボロの観覧車に一緒に乗る相手…あまり想像はつかないが…まさか…。
…デートだったとか?

「もしかして…恋人と?」

好奇心を抑えられずに尋ねた無礼講の私へ、チェレンさんはすぐさま首を振った。残念ながら横にだ。しかも食い気味の否定だったから、余計に込み入った事情があるように思えてしまう。

「まさか。僕の片想いだよ」
「えっ」

自分で聞いておいて動揺するという間抜けな事態になってしまったが、チェレンさんの返答は、私を本当に驚かせた。まさかナチュラルに恋バナが展開されるなんて思ってもみなかったからだ。

嘘だぁ、と言いかけて、何とか言葉を飲み込んでみせる。いろいろな衝撃に頭が追いつかず、私は悩んだ。

片想いって…本当に?マジで?マジなのか?だって…チェレンさんだよ?
第一印象から、チェレンさんは非の打ちどころがないパーフェクトヒューマンに思えてならなかった私である。ポケモン勝負も強いし、博識で常識的で良識もあるイケメンのお兄さんだ。その優しさと強さに、数多のスクールキッズが骨抜きにされた事でしょう。
そんなチェレンさんが…片想いって。にわかには信じがたいね。

そもそも清純派っぽいのに恋愛経験がある事にも驚きだ。真面目インテリなチェレンさんを夢中にさせるだけの人間とは一体…何者なんだろう。
レイコさんについて聞くつもりだったが、正直そっちの方が興味深すぎて本来の目的がどうでもよくなりつつある。

そして片想いの相手と乗った思い出の観覧車に軽率に誘ってしまったこと、大変申し訳なかった…!知らなかったんです!許して!
自責の念にとらわれる私をよそに、いつになく饒舌なチェレンさんは、青春時代の思いを吐露し始めた。これを機に失恋の清算でもする気だろうか。気まずくなるからやめてよ。

「普段はこういうの乗らないんだけど…あの人が乗りたいって言ったからね。憧れてたんだ」

当時を振り返るような口振りに、私は目を細めて頷く他ない。

やっぱ…大事な思い出だったんだね…。普段は乗らないようなものに同乗するくらい、その人に憧れてたってことか。確かにチェレンさん…遊園地とか全く興味なさそうだし。
そんな彼が私の誘いを受けてくれたなんて、少しは心を開いてくれてるって事なんだろうか。恋バナも切り出すくらいだし…話してすっきりしたい気分だったのかもしれない。
これも何かの縁だと思い、好奇心も後押しして、私はさらに深いところまで追求してみた。もはやレイコさんの事など忘却の彼方であった。

「どんな人なんですか?」

答えてくれるか微妙だったけれど、駄目元で尋ねてみた。こうなればもう行くところまで行っちゃおう。
私の知ってる人かなぁ?共通の知り合いを思い浮かべ、憧れてたというくらいだから、年上の人かもしれないと想像する。でもそれも結構いるんだよなぁ…アララギ博士もそうだし、ジムリーダーの人達も大体年上…絞るのは骨が折れそうだ。
いろいろ邪推していると、迷った様子のチェレンさんは、ようやく口を開いた。言い渋るというよりは、何と説明したらいいかわからないといった雰囲気だった。

「強い人だったよ。誰よりも」

何だか胸躍るキーワードにテンションが上がったのも束の間、それは一瞬で地に落とされる。

「無職だったけど」
「…え!?」

むしょ…無職!?ニート!?

衝撃の告白に、私は観覧車の頂上で五度見をした。

…え?ニート?ニート…なの!?どういう事ですか?本当に意味がわからないんですが…!?
私の混乱はとどまる事を知らず、考えれば考えるほどカオスへと陥り、宇宙猫顔で首を傾げる他ない。

えっマジでどういう事?なんでニートなの?誰よりも強いニートって…肩書きの全てがおかしいよね?
そんな人を好きだったの?と私はチェレンさんを凝視し、駄目女に捕まるタイプには見えないから、ますます混乱を極めた。
わからん。本当に何もわかんないや。どういう事なのかな…。何にせよチェレンさんが言いよどむ気持ちはわかったので、きっと様々な事情があったのだろう。あまり深く考えるのはやめ、いつどこで落ちるかわからないのが恋愛の恐ろしいところだな…と悟りを開く。

チェレンさんほどの人が無職の女に入れ込むとは…世の中わかんないもんだなぁ…。まぁ勉強ばっかして耐性なかったら悪い女に引っかかっても仕方ないかもしれないね。どこから目線なの?
動揺を隠せずに座っていると、そんな私を見て、チェレンさんはすかさずフォローを入れた。ドン引きが顔に出ていたらしい。すいません。

「でも優しい人だったから。確かに変わってたし…素直じゃないところもあったよ。だけど…」

なんかDV夫から抜け出せない妻みたいになってきたな。

「…僕に会えてよかったって言ってくれたんだ」

だ、騙されてる…!DV男に騙されてるパターンのやつ…!
進研ゼミで見たことある!レベルに既視感のある状況を、私は憂いた。

いやそれ絶対騙されてるよね?無職でしょ?てことはヒモでしょ?確実に都合よく使われて捨てられるやつだって!深夜のダメ恋図鑑で死ぬほどネタにされてるやつだって!
さも良い思い出のように語るチェレンさんに、私は首を振って、それは危険思考だよ…!と焦りを募らせる。

チェレンさんが幸せならOKです、って感じだったけど、でもそれはさすがに怪しいなぁ!?金とか貸してないでしょうね!?
もはや過去の話っぽいから良いものの、現在進行形だったら間違いなく注意喚起してたわ…片想いで終わってよかったと思うよ私は。下手に成就してたら今頃は借金地獄、働くのがトレーナーズスクールじゃなくてマグロ漁船になってた可能性あるし。
作風がウシジマくんにならなくてよかった…とホッとして、こちらの心配など知りもせず惚気を繰り出したチェレンさんに、私はひとまず無難な言葉を返しておいた。

「…本当に好きだったんですね…その人のこと」

まぁでも忘れた方がチェレンさんのためですよ、的な顔をしたのだが、どうやら私の老婆心は、ピュアな彼には届かなかったらしい。
私の雑な感想を聞き、照れたように微笑んだチェレンさんは、窓の外を見て再び哀愁漂う横顔を晒した。まるで、今でも好きだと言わんばかりの一途な雰囲気は、尊いような憐れなようなで居たたまれない。
そしてさらに衝撃的な言葉を残し、波乱の観覧車は続くのだった。

「…まぁ、振られてるんだけどね」

はぁ〜!?それはそれで納得いかないんですけど〜!

チェレンさんに肩入れしまくりの私は、激昂のあまりうっかり観覧車内で立ち上がりかけた。この瞬間、完全に悪女と化したその女に怒り狂い、我を忘れて暴れそうである。

確かにそんな女の事は忘れた方がいい、努力して今のキャリアを築いたあなたにはもったいない人間だって、心底そう思うよ。
でもチェレンさんのような優良物件を切り捨てる非道さは許しちゃおけねぇ!相反する感情!自分で自分が止められないよ!

抑えられない高ぶりをこじらせた私は、何としてもその悪女にチェレンさんの素晴らしさを認めさせたくて、本人以上に血潮を燃やした。
だって信じられないでしょチェレンさんを振るとか。それいつの話なんだ?絶対直近じゃないよね?チェレンさんがヒオウギに来てからは忙しそうで女の影とか全然なかったし、確実にそれより前の話だろう。まだ垢抜けない眼鏡時代の、いかにもお友達止まりしそうな当時のチェレンさんしか知らないんでしょ?あの頃とは違うってことを見せてやろうぜ!?今から一緒に殴りに行こうか!?

「でも!今のチェレンさんを見たらきっと変わると思いますよ!」

力説するとチェレンさんは苦笑し、気を遣ってくれなくてもいいよ、と謙遜する。私は大きく首を横に振って、事実を言ったまでだという顔を作った。
いやお世辞とかじゃなくてマジだって!チェレンさん絶対いま全盛期にいるよ!セルゲーム編の孫悟飯に負けてないから!
逃がした魚は大きいという事を知らしめたい…!何故か私が知らしめたくてたまらないよ…!そんな願望が渦巻き、取り調べでもするかのように私は話を聞き続けた。

「連絡とかは取ってないんですか?」
「そうだね…もう二年会ってないかな。カントーの人だから…気軽にってわけにもいかなくて」

一気にいろんな情報が飛び込み、私は頷きながらも、それを高速で整理していく。
カントー…?二年…?また随分ややこしい事になってきたな。一筋縄ではいかない恋愛事情に興味が尽きず、そしてどこかで聞いた事のあるワードに首を捻った。

カントー…?どうしてカントーの人なんかと恋愛に発展するんだろう…ネットで出会ったとかか?遠い場所だし、さらに随分前だな。二年って結構な年月ですよ。ちょうどプラズマ団との抗争があった時期だから、もしかしたらそれと関係あるのかもしれない。
ミステリーが加速し、質問責めにしたい気持ちもあったけれど、もうすぐ観覧車は地上に着きそうである。本題もまだ聞いてないのに、恋バナなんてしてる場合なの?でもこの機を逃したら一生話してくれないかも…とはいえ立ち入りすぎるのもな〜!迷う!どうしよう!そもそも本題って何だっけ?

そこまで考え、ハッとした。カントー、二年、というキーワードで思い出したのだ。一体どうしてチェレンさんを、こんな複雑な思いが渦巻く観覧車に誘ったのかを。
そして私は今世紀一番の神引きをした。本題の疑問をぶつけたことで、全ての問題が一気に解決する。

「そうだ…チェレンさん。レイコさんって人知ってますか?」
「え?」

完全に忘れてたや。そういえば私、レイコさんのこと聞きに来たんじゃん。
もう観覧車が地上に到着する。時間がないからそれだけ聞いてしまおうと口に出したら、チェレンさんは何故か驚いた顔をして、しばらくフリーズしていた。その謎リアクションに、なんか変なこと聞いたか?と私は滝汗を流す。

何、その顔は。どういう感情なんですか?また空気読めないこと言っちゃった?
かなり踏み込んだ恋バナはノリよく話してくれたのに、レイコさんの名前を出した途端にこの反応なので、何か相当まずいトラウマをぶち抜いたのかと焦った。
しかし、チェレンさんは苦笑いを浮かべると、笑ったまま何度か頷く。

「もちろん」

てっきり聞いちゃいけない事かと思ったけれど、この反応を見るに、そういうわけでもないらしい。よかった。失恋話なんてデリケートなことするからいろいろ不安になっちゃったよ。

「どんな人でしたか?私会いたいんです」

イッシュを救った大英雄の超強いレイコさん、ポケモントレーナーとして気にならないはずがなく、私の中では世界トレンド一位級に注目の人となっていた。まぁ恋バナに夢中で忘れてたけども。
チェレンさんが詳しいなら話を聞きたいし、居所を知っているなら飛んでいきたかった。そして絶対にポケモン勝負をしたい!オラもっと強い奴と闘いてぇ!そんな気分なの!
サイヤ人みたいな私の気持ちを汲んでくれたか定かではないが、チェレンさんは真面目な口調で答えてくれた。

「レイコさんはカントーにいるからね、そう簡単には会えないよ。当分こっちに来ることも…ないんじゃないだろうか」
「どうしてですか?」
「それは…無職だから…」

無職?

「でも、会ってみたい気持ちわかるよ。僕もそうだった」

いや無職ってどういうこと?まだそこから思考動けてないんだけど。

話を進めるチェレンさんをよそに、私は混乱していた。
無職って…何?レイコさんが?英雄で凄腕トレーナーのレイコさんが?そんなわけないでしょ普通に考えて。なぁ?
え?本当に?

チェレンさんが意味のない嘘をつくとは思えず、まさかの真実に私は狼狽えた。それ以上に、さっきもそのキーワードを耳にした気がして、違和感が私の心を支配する。

待って。今チェレンさんが話してた恋の相手も…無職じゃなかった?しかもカントーの人だって…言ってませんでしたっけ?
頭の中で勝手に繋がっていくピースに、震えが止まらない。単なる恋バナをしていたはずが…実は私は最初から、本題に触れていたって事なの?
推測の域を出ない想像であったが、限りなく確信に近いと感じていた私は、チェレンさんから下された審判に、天を見上げるしかなかった。

「いま話してた人が…レイコさんなんだよね」

やっぱりかー!めちゃくちゃ悪女呼ばわりしちゃったじゃん!最初から言っといてよ!勿体ぶりやがって!
とんでもないネタバラシに、私は心がざわついて仕方がなかった。だって…どういう事だってばよ!?無職!?英雄!?悪女!?全然点と点が繋がらない!本当に同じ人なのか!?

結局、私はそれ以上レイコさんについて聞く事ができなかった。観覧車は地上に着き、放心したままチェレンさんと別れ、しばらくその辺でぼーっとしていた。何が何だかわからなかったからだ。

いや本当に何もわからないな…チェレンさんの片想いの相手がレイコさんって…。まぁでも強いトレーナーに憧れる気持ちはわかるし、私が勝手にヒモ女だと勘違いしただけで、実際はまともな人なのかもしれない。自身の想像力を悔い改めながら、そうだといいという願望を込め、園内のベンチに座った。
このとき女性が隣にいたけれど、それどころじゃない私は、さらに運命の輪の中にいる事に、気付いていないのであった。

  / back / top