「疲れた…」

玄関に倒れ込んだ私は、かすれた声でそう呟いた。極寒の地でリングマをなぎ倒し、吹雪を浴び、何とか生きて実家に帰れた事を世界に感謝する他ない。
結局、シロガネ山のリングマの異変は、急に縄張りに入ってきたボスゴドラが原因だったようだ。洞窟進んでたら見慣れない奴いてびびったんだけど。生態系破壊の瞬間を見たね。
どうもトレーナーが違法に野生に放したポケモンだったらしい。カントーにボスゴドラなんか生息してねぇからよ。ボスゴドラも気性が荒いポケモンですから、まぁリングマと派手にやり合って山が悲鳴を上げてたって話。協会の人と協力して無事ボスゴドラを捕獲し、私の仕事は終了した。激闘の一日であった。
最悪だよもう…絶対二十万じゃ安いって。サカキには会うし流血沙汰だしマジにポケスペ界にトリップしたかと思ったわ。こちとらぬるま湯のような世界観に浸ってんだよ、急にスリリングな展開やめてくれ。心臓に悪い。

何にせよ解決してよかった。もう熱い風呂に入って寝たい。いっそこのままここで寝てぇよ。
一度玄関に転がってしまったので、もはや立ち上がる気力がない私は、目を閉じてまどろみを落ちかける。宅配便の人とか来たらびびるだろうな…そう思った矢先に足音が聞こえ、反射的に瞼を開けた。

「おかえり、レイコ」

Nか。見送ったのもNなら出迎えるのもまたN。新妻かよ。
気だるい体を起こし、やってきた相手を振り返る。電波声の主はやはりNで、玄関先で倒れている私を心配したのかもしれない。起き上がったのを見るなり安堵したような顔を見せ、私も意外とまんざらではなかった。心配してくれる人がいるって…ありがたいですね。私もお前の就職を心配しているからな。なるべく遠い国で職につけよ。

「大丈夫かい?」
「私はな…」

苦笑して答えた自分の言葉で思い出した。
そうだ、サカキ。放置したけどあれからどうなったんだろう。失血死とかしてないだろうか。
無駄に腕の温もりなどを思い出してしまったので首を振り、一刻も早く忘れようと脳内で般若心経を唱える。
別に野垂れ死のうと私には関係ないけどさ…貸しを作った身としては気にかかるって話よ。あんなでもツンデレ氏の親だしな。私のせいで死んだとか一生顔向けできねぇよ。散り散りになってる元ロケット団員たちにも放火されそうだし、私のためにもどうか生き延びてほしいものである。
Nのおかげで覚醒した私は、ひとまずカビゴンに飯をやらねばとボールを出した。本日一番の功労者ですよ…リングマを倒しつつ私を守りつつおつかいに行きつつ食べ残しをつまみつつね、忙しかった事でしょう。一生頭上がらねぇ。今後ともよろしく頼む。悪い依存関係の例です、ご注意ください。
ボールからカビゴンを出し、再び床に寝転ぼうとしたが、普段なら真っ先に冷蔵庫に向かうカビゴンが今日は何故かここに居座ったままで、珍しい状況に私は寝るタイミングを見失った。
なに、どうした。まさか腹減ってないのか?正気?冗談でしょ?大体食ってるか寝てるかの二択であるニートポケモンのカビゴンが、飯を食わないなんてどう考えても異常である。
もしかしてレッドのインフルエンザウイルスに感染したの!?と心配になって顔を覗き込んだ。瞳孔は開いてないし…というか目が開いてるかすらわからないいつものカビゴンだ。具合が悪そうには見えないけど…でも一応ポケモンセンター連れて行った方がいいかな。
おろおろしていると、隣でNが口を開く。今日はいろいろありすぎて頭がポンコツになってるから忘れていたが、そういえばこいつには特殊能力があったのだった。

「カビゴン…何か言ってるね」
「え?」

Nの言葉に、私は一人と一匹を交互に見た。
そう、このN。人間でありながらポケモンと話せるというさながら夢小説の主人公のような特殊設定をお持ちの青年であった。私というヒロインを差し置き、何やら二人で話し始めて、完全に蚊帳の外である。おい。仲間に入れろよ。

「なんだって?」
「どうやら…シロガネ山で出会ったサカキという人の言葉を伝えたいらしい」

まさかの展開に全私が立ち上がった。どうにも気になっていた人物の名は、充分すぎるほど動揺を誘う。
サカキ!あの時か!おつかい頼んだ時!
もしかしてなんか言われたのか?あの野郎に変な事されてないでしょうね!?ちょっと痩せたら?とか、そろそろいい人いないの?とか、仕事もいいけどいい加減落ち着いた方がいいんじゃない?とか、お節介な親戚みたいなこと言ってたら承知しないぞ!
いろいろ想像して憤るも、わざわざカビゴンが飯を後回しにしてまで伝えたい台詞である。もしかしたら遺言かもしれないと焦って、とにかく一人慌てていた。落ち着けや。
早く早くとNを急かせば、通訳は流暢な日本語で私に伝言ゲームをした。しかしそれは想像していた類のものとはまるで違ったので、拍子抜けと同時に大激怒である。

「お前の主人は嫌な女だ…と言われたらしい」
「悪口じゃねーかよ!」

いい歳して人のポケモンに愚痴ってんじゃねーよ!何なんだあのおっさん!あの状況でまず言う事がそれ!?だからツンデレ君があんな育ち方すんだよ!悔い改めろ!生まれ直せ!
若干心配までした自分が馬鹿らしくなり、結局私は玄関で大の字になった。
やってらんねぇ。礼の一つくらい言えよ。救急箱サンキューとか普通そういうのあるだろ。まぁ私も言わなかったからお互い様かもしれないけどよ。でも19800円だからね?一生引きずってやる。
どうせ性格悪いですよと不貞寝を決め込もうとすれば、まだNは何か言っていたので、もうディスは聞きたくないからやめて!と思いつつも一応耳を傾けた。優しさ。

「あとは…」

そう呟くと、急に神妙な面持ちになったため、私は再び起き上がる。
え、何その反応。やめてよ怖いこと言うのは。その後すぐに息を引き取った…とかそういうの無しだからね。今際の際に言ったのが私への悪口とか最悪じゃねーか。本当やめて。背負いたくないから怨念とか。身軽なニートでいさせてよ。
どっちにしても今日はまともな夢は見られそうにないので、大きな溜息をつき、それで何なのよ、と私はNに尋ねた。生きてんの?死んでんの?瀕死くらいだったら救急車呼んでやるから。良心の呵責に苛まれている私に、Nが放ったのは、またしても予想だにしない言葉だった。

「…言いたくないな」
「なんでだよ!」

ここにきて!謎の焦らし!何なの?遅れてきた反抗期なの?気になるだろうがそこまで言われたら!
教えろや!と胸倉を掴んで体を揺らしたが、Nはカビゴンと顔を見合わせて微笑むばかりなので、もう全てがどうでもよくなり、私は聴取を諦めた。あまりにも疲れすぎていたのだ。身も心も疲弊した状態でNの相手をするには分が悪すぎる。
もう…いいや。この様子だと死んではないだろうからいいです、もうどうでもいい。悪口言うだけの元気があるって事っしょ。当分死なねぇなあのおっさん。多分アローラでまた会うと思うし。フラグじゃねーよ。絶対行かないからな。
鼻を鳴らしながら私は電波と巨体の間を割って歩き、やっぱ労働なんてするもんじゃないなと結論付け、真っ直ぐ風呂場へ向かった。そんな私を見送るNが、どうやらライバルは多いらしい、とカビゴンに漏らしている事など、知る由もないのであった。



「お前の主人は…嫌な女だ。こんな真似をして…」

救急袋をサカキに手渡したカビゴンは、案外素直に受け取ってもらえた事をありがたく思った途端、いきなりトレーナーの悪口を言われて面食らった。だからといってどうするわけでもなく、目的は果たしたためその場を立ち去ろうとする。カビゴンには人間の複雑な感情の機微はよく理解できない。そして、嫌と言いながら反対の言葉を発したりする心理も、やはりよくわからないと思うばかりであった。

「ただ…あいつ以外の女のことを、今は考えられそうにないがな」


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