危険運転致恋罪

本日畑当番だった膝丸から、報告を受けている時だった。苺にはやはり蛞蝓がつくようでな…と神妙な顔で悩む彼に、じゃあ農薬を使わねばなるまいか…とつられて神妙な顔を向けて、明日は私も様子を見に行くと伝えたところ、いきなり言われたのだ。

「そういえば、乗れるようになったぞ」

と。
何の話だよ、という疑問が、きっと顔に出ていたのだろう。膝丸はやけに得意げな表情で、数日前に買った便利道具の名を告げる。

「じて…チャリだ」

何故言い直した。自転車でいいだろ。


本丸の敷地は広い。マジで広い。
自給自足を強いられているわけではないが、なるべく作物を育てるよう政府に言われている我々は、敷地内に点々と散らばる畑で、思いのままに好きなものを育てていた。中でも苺畑はわりと遠くにあり、馬で移動をしていたんだけど、2200年代を生きる現代人の私に乗馬スキルが備わっているはずもないので、移動手段として自転車の導入を決定した。これが全ての始まりだった。

物珍しいチャリンコに、刀剣男士は私を差し置いてわらわらと群がった。一通り乗れるようになったところで交代し、先日やっと膝丸の番が回ってきて、練習している姿を何度か見かけたものである。もう上達したのかぁと感心し、おめでとうと称賛しただけでは足りなかったらしい。明日畑に行くなら後ろに乗せようと言われ、珍しくはしゃいでるみたいだったから了承した。ちょっと可愛かった。

膝丸は、俺がしっかりせねば…系男子である。兄者があれなら仕方ないと思う。源氏の重宝としてのプライドからか、気位もぼちぼち高く、しかし兄を立たせる慎ましさも持っており、基本的に真面目だった。ちょっと抜けてるところはあるけどな。

「じゃ、お手並み拝見といこうか」

私はママチャリの後ろに跨り、秋元康のように目を光らせながら腕を組む。蛞蝓駆除の薬も持った、あとは膝丸の自転車テクニックを確認するのみである。
私は常々感じている、チャリは、二人乗りになると格段に難易度が上がる、と。
そりゃそうだろう、後ろに人がいればバランスが取りにくいのは当然だ。力と力が拮抗するためだろう。前方ならばハンドルで動きを制限する事はできる、しかしノーマークの後方はどうすることもできない…最近乗れるようになった膝丸に、果たして私のような成人女性をデリケートに運ぶ事ができるだろうか?
くれぐれも落としてくれるなよ…と緊張している間に、膝丸はスタンドを上げ、自信に満ちた顔を向ける。

「任せてくれ」

気合い入ってんな。何がお前をそうさせるんだよ。
走り屋として覚醒した膝丸は、実に軽快にチャリを疾走させた。ストレスを感じさせない安定した動きに、これが源氏の力かと息を飲む。
どうりで自信満々なはずだぜ。その長い足ではママチャリを漕ぐ事さえ厳しいかと思われたが、それを上回る運動神経が膝丸にはあったということ…全く恐れ入る。私はいまだに馬に乗れないってのによ。
生き物には生き物の都合があるから…と自分を慰めていた時、カーブに差し掛かった。さすがに遠心力には勝てず、傾いた体を戻そうとして、咄嗟に膝丸にしがみつく。服を掴むつもりが滑らかなジャージの触り心地に力が入らなくて、止む無く腰を触った。
すると突然自転車は止まり、意図せぬ急ブレーキに、私の体は膝丸の背中と衝突した。蛙の潰れたような声が田畑に響き渡って、のどかな空気が台無しであった。

「す、すまない」

振り返った膝丸はそう謝ったけど、急停車は私がしがみついたのが原因だろう。くすぐったかったかもしれない。こっちもごめん、と手を離して、再び出発するかと思われた瞬間、またしても膝丸は振り返る。

「…掴まっていた方が安心か?」
「え…いや…安心っつーか安全かな…」
「そうか…」

今さらな問いかけに、私は素直に答えた。そりゃ掴まった方が安定感はあるだろうよ。そっちも走りやすい気がするけどどうなんだ?
両手を持て余して判断を仰げば、向こうも同じ気持ちだったらしい。

「君に任せよう」

丸投げかと思われたが、一応ヒントというか答えはくれた。

「俺としては…安全な方がいいが」

気遣いのオーラがガンガン伝わってきたので、何だか逆に申し訳なくなってくる。さっきは私が不意打ちで接触してしまったから驚いただけで、気構えが整った今ならもうどちらでも大丈夫なんだろう。ただせっかく申し出てくれたわけだから、私は宙を掴む両手を膝丸の方へ向けた。こっちだって安全な方がいいしな。

「じゃあ…」

腰に腕を回すと、膝丸が少し体を強張らせたのがわかった。本当に大丈夫か?と心配しながらも、広い背中には安定感があったから、そのまま体を寄せていく。
バランス的にはこっちの方がいいんじゃないか。肉体の自由度は減るかもしれないけど、それも些細な事の気がするし。
真っ直ぐな背骨に耳を当てると、心臓の音が聞こえてくる。まだ漕ぎ出していないのに段々と早まって、不整脈か?と心配した時、何故か回した手を取られた。

「待て」

どうも様子がおかしい膝丸を覗き込むと、顔は見えなかったけど、耳が赤くなっている。どうしたんだこいつ。本当に大丈夫なのか?
もっとちゃんと掴まっていた方がいいだろうかとか、掴まる位置がよくないかなとか、私は真剣に考えていたんだけれど、そうこうしている間に膝丸は私の手を外し、主張を一八〇度回転させるのであった。

「…これでは俺が危険だ」

いやどっちなんだよ。
はぁ?と責め立てるような声を出しながら、秒で気が変わった膝丸の不審さを案じた。大丈夫?と聞いても、すまん…すまん…と繰り返すだけだったので、結局あとは歩いて畑まで行った。実に妙な空気であった。
チャリの籠に入った駆除剤が、転がるたびに音を立てている。蛞蝓を一掃することができたら膝丸の不調もマシになるかな、と一縷の望みに賭ける私は、帰りも歩くはめになる事など、知る由もない。

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