水も滴る

雨が降る事は覚えていた。忘れたのは降雨量と、傘である。

「まさかこんなに降るとはな…」
「すまない、手間取ってしまって…」
「いや私も冷やかしたし…」

膝丸と共に木の下で雨宿りをしながら、お互いにこの状況を反省し、そして雨がいつ頃止む予定だったかを、私は必死に思い出している。

気晴らしに畑に向かった私は、当番だった膝丸と雑談しながら、とうもろこしに潜む害虫の駆除を手伝っていた。
予防しても掻い潜ってくる虫どもは、夏場になると特に容赦なく襲い来る。いまだに慣れない私は駆除剤を惜しみなく使い、ついでだから作業が終わったら一緒に帰ろう、と膝丸に告げていた。その矢先での雨であった。虫の気色悪さが強烈すぎて忘れていたが、確かに今日は雨と予報が出ていた。

完全に私がべらべら喋ってたせいだな、とロスの理由を分析し、止む気配のない空を見て猛反する。
そうだよ…雨って言ってたんだよね…覚えてたけど降る前に帰ればいいって思ってたから、傘はあえて置いてきたんだ。膝丸だって雨までに終わらせる気だっただろうし、余計な事しかしてない事実を、心から申し訳ないと思う。
そして一時間やそこらじゃ止まなかった気がするんだよなぁ…!無慈悲な予報を思い出して絶望していると、さらなる不運が舞い込み、私は閉口した。

遠くの空で光った稲妻を見て、思わず自分の置かれている状況を確認する。そして轟音が響いた時、膝丸と顔を見合わせ、きっと同じ事を同時に思っただろう。

「…木の下はまずいよね」
「ああ…」

雷だ。鋭い光は悪循環に拍車をかけ、私と膝丸のテンションを下げまくる。
よりによって雷雨かよ…と溜息をつく私は、木のそばが危険である事くらい知っていた。否応無く現状打破を迫られてしまい、憂鬱さと申し訳なさが加速して、目頭が熱かった。

雷は高い物体に落ちやすい。つまりここは危険地域である。一刻も早く抜け出すべきだが、ここから出ると土砂降りの餌食…どう転んでも災難であった。
気が滅入りすぎて呆然とする私を、膝丸は見捨てる事なく連れ出したので、真面目でいい奴だなぁと呑気に感動する。

「止むを得ん、走るぞ!」

決意めいた表情でそう言うと、膝丸は私の手を掴んだ。そのまま木の下から抜け出し、直後に大量の雨を浴びて、目を伏せながら走る。膝丸に追いつくのも至難の業だったが、彼もまた私のスピードに合わせるのに苦労してそうで、重ね重ね申し訳なかった。すいません本当…部屋でおとなしくしてりゃよかった…。

後悔しても遅く、我々は全身に雨を浴び、服の重量も凄まじいことになっていた。やっとの思いで本丸まで着いたが、川にでも落ちたか?ってレベルの有り様には、脱力感しか覚えない。袖を絞ったところで大差はなかった。

やべぇ雨じゃん。他の刀剣たちは大丈夫かな。
本丸がやけに静かなので、外作業の連中が多かったのかもしれない。玄関を覗いて人影を探す私の横で、膝丸はいそいそと靴を脱ごうとした。

「待っていてくれ、いま拭くものを…」
「いやそのまま入ったら部屋が水浸しになるでしょ」

私と同じくらい惨事になっている膝丸を見て、思わず進行を阻んだ。タオルのある場所は近いとは言えず、行くまでに屋敷が相当濡れる事を予測したからだ。

まぁ床はあとで拭けばいいかもしれないけど…それなら誰かにタオルを持ってきてもらった方が良い気がする。幸い夏である、濡れ鼠でも問題ないし、うちは刀剣の多い本丸だ、そのうち誰かが来るだろう。私は髪を掻き上げ、顔に垂れる水滴を拭いながら、恐らく私を案じているであろう膝丸に微笑んだ。

「誰か通りかかるまで待ってよう。冬じゃないんだし、そうそう風邪も引かないさ」

といっても膝丸が気になるならタオル取ってきていいよ、と告げれば、彼は踵を返し、私の隣に戻ってくる。

「そうだな…直に皆も戻るだろう」

静かな本丸に目を向けながら、私達は玄関で雨宿りをした。豪雨の音は勢いを増し、室内の静けさが際立っていく。こんな状況は珍しい。
何だか妙な沈黙ができてしまい、勝手に気まずくなった私は、話題を探して頭を捻らせていた。けれども目の前の雨が強烈すぎて、それ以外のことが思いつかない。

「しかしすごいな…水も滴るいい女になっちまう」

冗談を混じえ、髪から雫がとめどなく流れる様子を膝丸に見せた。向こうも同じ状況である。謎構造の前髪から水滴が垂れ、服や地面に落ちていった。
立っているだけなのに、床はもう水浸しだ。あの短時間で相当な量が降ったらしい。いまだに服が重いよ。悟空の着てる修行用の道着みたいだ。
襟を引っ張って水気を絞っていると、さっきの冗談に膝丸は乗っかり、私の首から上をじっと眺めた。

「ああ…」

頷いた顔から雫が垂れる。

「今日の君は…いつもより…」

真面目な膝丸が、審神者の適当ジョークに同調するのが珍しくて、思わずまじまじと見つめてしまった。雨を吸った服は、黒いせいでかなり重そうに見える。
膝丸には私がどう見えてるんだろう。水も滴るいい女でない事はもちろんわかっている。
そっちも今日は一段とイケメンだよ、と返そうとしたところで、膝丸はハッとした顔をすると、何故か慌てふためき出した。

「いや、違うぞ、いつもがそうでないと言ってるわけではなくて!」

なに一人で焦ってんだこいつ。大丈夫か?
まさか冗談をマジに捉えたんだろうか?だとしたら悪いことしたな…と苦笑して、彼の次の言葉に、さらなる苦笑が漏れた。

「いつも可憐だと…思っているからな…俺は…」

勝手に墓穴掘ってフォローされたわ。逆に傷付くだろ。やめてくれ。
もう軽々しく冗談言うの止そう…と誓い、ありがとよ、と半笑いで答えながら、最後の軽口を投げた。

「膝丸もいつも素敵だよ」
「いや…俺は…」

軽口とはいえ本当にそう思っているから、私は臆面なく告げた。
こいつら無休でイケメンだからな。ずぶ濡れだろうが何だろうが変わらぬ凛々しさに、人間離れしたものを感じる。実際人間じゃないし。不変的な存在だと度々思い知らされ、私は怖くなったり安心したりする。
にも関わらず、まるで変化を求めるような言葉を発したものだから、私は大きく首を傾げるしかないのだった。

「俺はいつもと同じでは…あまり意味がないのだがな…」

呆れと諦めが混在したような表情が、自分のせいだとは思いもしない私であった。

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