触らぬ神に祟りなし

正月明けの主に触れない事は、暗黙の了解である。だから定期購読していた学研の雑誌が先月から届いていない事も、尋ねられずにいた。勉強はやめたんですか?なんて、正月明けじゃなくても聞けないが。

「焼き芋するから」

いきなり庭にやって来た主は、集めていた落ち葉を指差してそう言った。ご一緒していいですか、と言っていいかわからない空気だった。
準備しておきます、と当たり障りなく言えば、主は微笑み、芋を取りに台所へ向かう。半端な数が残っていた薩摩芋を、どうしようかと悩んでいたのは数日前だ。全員で食べるには数が足りなかった。今日は半数が遠征に出ているので、その隙にと思ったのだろう。
去年同様、静かな本丸。普段はあまり遠征になど行かない。戦力のある本丸は、戦闘に専念する事を良しとされる。それでも資材調達に向かうのは、主に気を遣うのも、気を遣っている事が知られるのも、良い事とは思えないからだ。

「長谷部も食べる?」

戻ってきた主に、同行を許された俺は、断るはずもなく頷いた。気まずいとか、そういう風に思った事はなかった。

センター試験というものがある。主はその朝、遡行軍に襲撃され、試験を受ける事なく審神者となった。一月半ばの話だ。
本丸に来て一年が経った時、祝いの席で、主は突然号泣した。大学生になってサークルに入って一歳下の後輩と四年の交際を経て結婚してみたかった…と本気か冗談かもわからない事を言いながら、眠る直前まで泣いていた。以来、センターの時期には、主をあまり刺激しないよう、皆が各々努めるようになったのだ。そういう素振りも見せなかった相手が泣くのは、こんなにも堪える事なのだと、そのとき初めて知った。

主が真面目で誠実なのは、誰もが知っている。この戦いが終わったら大学受けてみたいんだ、とフラグみたいな事を言っていたのは、就任何年目の時だっただろうか。毎年参考書を買い、空いた時間に勉強をしている姿が眩しかった。この主に報いたいと思わせてくれた。
毎月買っている雑誌が、先月は届かなかった理由を、たった今知った事に、何か意味があると信じたい。

薩摩芋と一緒に、主は本を投げ入れた。去年の参考書だ。次に一昨年の参考書、さらにその前の、その前の、と続いていく。さすがに何も言えなかった。落ち葉の隙間で燃える紙は、主にとって思い入れがないとは言い難い。ないわけがない。
試験を受けられなかった事が、どれだけ悔しかったかわかっている。努力を試す機会すら与えられなかったのだ。こんなに勤勉な人が、気にせずにいられるはずがないのだった。

「なかなか焼けないな…」

もはや軽い火災現場と化した中で、主は芋を突き、まだ固いそれに穴を開ける。早まって何度も刺すものだから、きっと穴だらけだろう。それは俺が食べますよ、とは言わない。黙って取ればいい話だ。

「主と二人で焼き芋なんて…他の連中が聞いたら羨ましがるでしょうね」
「どうかな。遠征の方が気遣わなくていいかもよ」

自嘲気味に言い捨てる姿に、胸が痛んだ。

「…遠征も焼き芋も今年だけにするから」

先々月まで届いていた冊子を放り、灰になった紙を見つめる。あのまま大学生になっていたら、主はいま何年生なのだろう。もう卒業する頃だろうか。とっくに卒業してしまっただろうか。
諦めた理由の中に、自分の存在があったら悲しいと思う。必要以上に気を遣わず、笑い飛ばしていた方が主のためだっただろうかとも思う。もう決めてしまった事は覆らないから、何も考えない方が主のためかもしれない。けれど。

「主…」

貴方のやってきた事は無駄にはならないとか、そんなわかりきっている事を伝えようとして、やめた。

「お慕いしています」
「は…」
「貴方が主で幸せだという話ですよ」
「あ、はい…どうも…」

引き気味に笑う主は、いつもの軽口と受け取り、芋を突く。

「いやこれは別にそんな大袈裟にお慕いしてもらうような事じゃなくて…」

枯葉か本かわからなくなったものを見つめながら、長い前置きをし、本当に大事なことは短く語った。

「審神者やってない自分が、想像できなくなっただけだから」

不意に気付いた事のように、主はそれ以外を捨てた。きっと本心だとわかってはいても、人の心が簡単でない事は、この身をもって体感していた。
主様とずっと一緒にいたいなぁ、と前に誰かが言った。その刀だけじゃない、皆そう思っている。でもこの戦いが早く終わって、主が大学生になれたらいいとも思っていた。主の幸せを願わない者はいないし、遠征へ行くのも、主を傷付けたくないからだ。主だって同じだ。そうでなければ本を燃やしたりしないのだ。

「お慕いしてるってやつだよ」

照れを混じらせ、復唱する主は、散々串刺しにした芋を差し出す。想像したより穴だらけで思わず笑うも、喜んで受け取った。はじめからそうするつもりだっただけじゃない、主の諦めを、他の誰でもない自分が受け取った事に、幸福を感じてやまなかった。
やっぱり遠征の連中は羨ましがるだろう。同じくらい主を思いやっているから。心の底から。

「焼き芋なら…毎年やってもいいかもしれませんよ」
「もう燃やすものがないだろ」
「落ち葉を集めればいいんです」

だるいなそれ…と苦笑する主が、穴の開いていない薩摩芋を掴んだ。熱い、と呟くので、代わりに持ち上げた時、触らぬ神に触れた。祟りなど初めから存在しない事を、知らないわけではなかったのだ。ただ祟られるのが、主になったらと思うと、嫌だった。
立ち上る煙は、遠征帰りの部隊に見えているだろうか。重なる手が見えなければ、それでいい。

/ back / top