蜜柑

修行から帰った山姥切の変わりようは、本当に本当に感動ものだったけど、ある意味やりづらい感じになったかもしれない。

「悪いけど畑当番代わってくれない?話すと長いからイエスかノーで即答してもらいたいんですが」

審神者っぽく横柄な態度を取りながら、私は非番の山姥切にそう尋ねた。いちいち説明した上で断られると、ただのタイムロスである。数人に拒否される前提で進めたら、やはり一人に時間は割いていられなかった。
しかし私の回想には時間の流れなど関係ないので、状況を説明させていただこう。

まず洗濯物が風で飛ばされ、それを取りに行った加州が今日の収穫当番であった。たまたま居合わせたに過ぎない彼は、寒波に乗る服を見捨てられずに走ったけれど、すでに布は泥まみれ。当然洗い直さねばならず、しかも服の主は替えの衣装がないからすぐ取りかかってほしいと言い、まぁ収穫よりはそっちが優先かなって事で加州には洗濯を頼んだんだけど、不運にも今日の晩飯はおでんであり、大根を収穫して来なければ具材がないと言われ…みたいな事が起きたから、まぁ要略すると人手不足であった。不幸は重なるものなのだ。

私一人では人数分の大根を引っこ抜くのに時間が掛かりすぎるため、当番についていない奴を探したところ、最初に見つけたのが山姥切だった。修行から帰って日が浅い彼とは、まだ改まって旅の話などはしていなかった。聞きたい事はいろいろあるけど、軟化しすぎた態度に、私はいまだ困惑気味である。
何の嫌味も捻くれもなく返ってきた言葉にも、やはり困惑は訪れた。

「あんたの命令だからな。何だってやるさ」

ちょっと聞き分け良くなりすぎじゃない?なんだか歯が浮きそうだぜ。


山姥切国広といえば、どうせ写しの俺なんて…系の、こじらせ方が面倒な自己肯定感の低い刀剣だった。刀剣男士は基本的にこじらせた奴しかいないので、例に漏れず彼もそうだった。
そんな山姥切が、修行に行くと言い出した時、一体何の革命が起きたのかと思ったけど、彼の自主性を重んじて秒で許可した。今のままでももちろん大事にしてるし好きだったが、本人が変わりたいと思った事がなんだか微笑ましいやら嬉しいやらで、時折届く手紙を楽しみにしながら、帰還を待っていたわけだ。
そしたらかなり見違えたどころか、随分と素直になっていたため、慣れるまで私の方が修行が必要そうである。

「今日みんないろいろ忙しくてさぁ、休みのところごめんね。どこかで代休取ってくれ」
「あんたこそ休みなく働いてるんじゃないのか」
「まぁそうと言えばそうかもしれないけど…」

軽い世間話を交えながら、我々は畑に向かっている。私は休もうと思えばいつでも休めるから別に休んでないだけなんで…と、まるで仕事人間かのように語ると、それが彼に気を遣わせる事となったらしい。大根を抜く気全開だった私を制し、山姥切は一人で畑に入った。

「俺がやるから…あんたは戻っていろ」
「え、でも…」
「汚れるのは俺一人で充分だ」

イケメンすぎじゃね?浮くんだよ歯が。絶妙にくすぐったいわ。
頭から被っていた布を、今ではマント扱いしている男である。かつては土をいじりながら、俺には泥がお似合いさ…などと嘆き、その度に、お前はこの長茄子のプロポーションに負けてない傑作だよ、と励ました日々が、遥か遠くに思えてくる。
これも巣立ちという事か…と己を納得させ、ここは自信に満ち満ちた山姥切に任せることにした。まぁそんなに大量に引っこ抜くわけでもないしな。その間に私は蜜柑でも収穫してこよう。
炬燵の上が寂しかった事を思い出し、一旦解散して、私は蜜柑を求めて走った。特に何も手入れしなくても毎年勝手に実をつける蜜柑の木は、大根畑からそう離れてはいない。しかし、夢中になって蜜柑をもぎ取っていると、完全に山姥切の存在を忘れ、思い出した時には一時間が経過していた。

やべ、普通に獲りすぎた。蜜柑…恐ろしい子…。
籠いっぱいに詰めた蜜柑を背負い、私は大根畑へと引き返す。すると山姥切が真面目に作業をこなしている姿が視界に入り、その眩しさに思わず目を細めた。
なんか…健気さすら感じるよ、山姥切国広…。泥にまみれるのがお似合いだなどとほざいていたが、今は泥に敬意を払っているようにさえ見える。そう、土は野菜の命。生命を繋ぐ尊い行為、それが農作業なんだ!今日も自然の恵みに感謝して生きよう!というわけで休憩だ!

「山姥切ー」

私は畑の中央にいる山姥切を手招きし、蜜柑を振り回した。休んでないのか、と言いたげな視線を無視し、何だかんだと動いてる方が好きな自分に気付いたりなどした。

「休憩しようよ。蜜柑を食え」

誰かが適当に作った木のベンチに座り、私は山姥切を誘った。見たところ、大根畑もいい感じに禿げているので、彼の仕事ももうじき終わるだろう。寒いからおでんは普通に楽しみだ。本丸産の大根は、味染みが良くて相当に美味い。
これ食ったら台車取ってきて運ぶか…と段取りを考えていると、蜜柑を取ろうとした山姥切が、寸前で踏み止まる。

「…手が汚れている」

軍手を外した両手を覗き込み、確かに泥がついていたから、私は得意顔で蜜柑を剥いた。

「食べさせてやるって」
「は?」

戸惑う山姥切の前に、白い筋を懸命に取った蜜柑を差し出した。

「や…やめろ」
「私の蜜柑が食えないってのか?」

パワハラで訴えられてもおかしくない発言をしながら、じわじわと相手を追い詰める。ていうかそんなに嫌がる事か?pride…高いですか?声がヒロ様だから?
口開けろよと高圧的な態度を崩さず待っていれば、わりと悩んだあと、辺りを見回し、誰もいない事を確認してようやく、山姥切は観念した。ここまでくると私も、そんなに嫌ならいいけど…って感じだったが、腹を決めた彼は真顔で正面に立つ。

「…あんたの命令だからな」

そんな絶対服従感出すほど?蜜柑食うだけで?
もはや私の方が躊躇いがちだったが、素直に口を開けた山姥切に、蜜柑を一粒放り込む。行き場のない手で宙を掴む姿は、何とも言えず愛嬌があった。
間髪入れず二粒目を投球しようとした私を止め、山姥切は感想を呟く。

「…美味い」
「うん。でも、去年の方が美味かったな」

山姥切に投げようとした蜜柑を自分で食べ、昨年の記憶を呼び起こす。生り年というか、やはり素人の作るものである、同じ木とはいえ毎年味が違うわけだ。去年は甘みも瑞々しさも近年稀に見る出来って感じだったけど、今年はそこまで及ばない。まぁまぁ美味しいかな。
そもそも今年は忙しくて手入れをかなり怠ったから…なんてべらべら喋る私は、山姥切に蜜柑を与える事をすっかり忘れていたので、慌てて隣を向いた。差し出したのと同じタイミングで、やはり修行から帰って少し様子のおかしい山姥切は、自ら蜜柑に顔を近付ける。

「あんたがくれるなら…何でも美味い」

ストレートな言い方に、私の手は止まった。本当に歯が浮きそうだぜ。どうかしちゃったんじゃないのか。
まぁ去年の方が美味しいんで…と延々と同じ事を喋りながら照れをごまかし、残りの蜜柑を全て自分で食べ尽くす私であった。

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