カントリーロード

審神者になってから、いろんな事を諦めた。一度諦めると、耳をすませばも真っさらな気持ちで見る事ができたわけだ。時間遡行軍のせいでセンター試験を受けられずに終わるという傷を受けた私は、カントリーロードを聞くたびに受験への未練を捨てれずにいたけど、なんか最近はこっちが天職に思えてきたので、心穏やかに過ごしていたんだけども。

「早く乗れよ。間に合わねーぞ」
「聖司くん…いや豊前江…」

早朝に審神者を叩き起こすという無礼な輩を、私は目を細めて見つめる。自転車に跨る豊前江は、何というか天沢聖司にしては聡明感が足りない気もしたけど、今はそんな事はどうでもいいのだ。眠気をこらえて後ろに乗り、カントリーロードへと出発する。

これは推測だが、豊前江の奇行には先週の金曜ロードショーが絡んでいると思う。記憶を辿り、自分の軽率な言動を反省した。
耳をすませばは、今から二百年近く前の映画である。夢、現実、恋を絡めながら、若者の心の機微を描いた名作で、現代でも幅広い世代に支持されている。それを先週本丸で見た。テレビつけたらやってたからな。
私は語った。審神者になっていなければ、きっと雫と聖司のような青春があったに違いないと。大学のサークルで出会った一つ下の後輩とロマンスがあったはずなのだと、本気と冗談をまじえながら、微妙に未練を捨て切れない声で、自転車二人乗りへの憧れを告げる。すると横にいた豊前江が、それって一つ下の後輩じゃねーと駄目か?とマジレスしてきたので、いや別に後輩じゃなくてもいいしそもそも妄想だから…と悲しい事を言わされた。つらい時間だった。

というような事があったので、真冬の日の出前に自転車の後ろに乗せられているのは、私の悲しい妄想を叶えてくれようとしているのだと思う。彼がこんなに審神者思いだなんて知らなかったし、実際は自分が走りたかっただけの可能性もあるが、とにかく気持ちは有り難かった。マジで寒いけど。いい大人が中学生の真似事をするのはやはりキツイものがあるな。
白い息を吐きながら、天沢聖司にしてはチャリテクが高すぎる事に苦笑し、快適な荷台で景色を眺めた。

「ちゃんと掴まってろよ、もうすぐ坂だかんな」
「押そうか?」
「押してーなら…別にいいけど」
「いや…いいわ…」

雫になれない己を嘆き、楽を取った私に豊前江は少し笑った。そして軽々と坂を登り、普通に振り落とされそうだったので、腰に腕を回す。ドリカムみたいだ。キャンパスライフの未来予想図は白紙になっちゃったけど、早朝からこうやって私のドリームズをカムトゥルーしてくれる奴がいるってのも、悪くないと思えた。わりと幸せだ。今が極寒でさえなければな。
前にみんなで初日の出を見た事があるので、その高台に行くのだろう。日の出っつってもきっと本当の太陽ではない。雨も人工雨らしいから、本丸の季節は全部偽物だ。センターを受けるはずだった冬はもう来ないし、もちろんキャンパスライフに浮かれる春も幻である。
だけど、死ぬほどプールに行きたくて、でも本丸から出られない私のために、みんなが敷地内にせっせと穴を掘ってプールを作ってくれた夏は本物だ。私も人生で一度くらいは渋谷のハロウィンで浮かれたかったなーと言えば、阿鼻叫喚の仮装大会を開催してくれた秋も本物だ。だから私のために走ってくれるカントリーロードも、間違いなく本物なのだ。
全部諦めたのは、別に自棄になったからじゃない。諦めてもいいと思わせてくれた存在がいた。それだけの事だ。

「お、間に合った」

乗っていただけなのに息を切らせる私の手を引き、豊前江は雲から顔を出す光を指した。果てがないとしか思えない広大な敷地を、ゆっくりと太陽が照らしていく。手作りのプールも見えた。無駄に本格的なせいで、完全に景色から浮いている。大事な場所だ。帰りたい時もあるけど、ずっとここにいたいと今は思う。
本当にカントリーロードっぽいこと考えちまったな…と苦笑する私に、豊前江は朝陽でイケメンをさらに引き立たせながら呟いた。

「ここ好きなんだよ。遠くまで行けそうな気がして」

私とは真逆だ。どこまで行っても近いままなんだ。

「行ってみたら?」
「もちろん行った!」

行ったんかい、と小突き、調子を狂わされながらも、何だか心が満たされていくのを感じる。

「次は一緒に行くか?」

優しげに問われ、頷く以外なく、どこまで行ってもどこにも行けない事は知ってるけど、そんな事は大した問題じゃないとわかった。果たされるかわからない口約束を交わし、いい加減寒さも限界だったから、もう帰ろうやと肩を叩く。ぼちぼち本丸も活動時間に入る。その前に戻りたい。
すると何かを思い出したように豊前江は顔を上げ、しかし思い出した事だけ思い出したという感じだったらしく、もどかしげに首を傾げた。

「えっと…」
「…ん?」
「悪ィ、台詞忘れた」

あっけらかんとした口調で言われて、私は一瞬顔を歪めた。その後すぐに思い至ったのは、昇る朝陽のおかげである。
ああ…耳をすませばの話か…。私の妄想を叶えようとしてくれているのは有り難い話だが、ラストシーン再現はさすがに厳しいものがあるので、お気持ちだけ頂いておく事にする。聖司みたいに結婚してくれなんて言われたら、嘘だとしても情緒がぐっちゃぐちゃになりそうだしな。結婚適齢期なめんなよ。

「いいよ、別に…そこまで求めてるわけじゃないから…冗談で言うのもどうかと思うし…」

クソ真面目な返しをしたところで、もっと重要な事を言わなきゃならない事にようやく気付く。

「あの…ありがとう…連れてきてくれて。本当に嬉しいよ」

気温は死ぬほど寒いが、耳をすませばの再現なんて夢みたいな事をしてもらい、嬉しくないはずがなかった。どうにも照れを隠せないまま礼を述べ、いそいそと自転車に戻る。なんか恥ずかしくなってきた…と今さら現状を省みている私の前に、豊前江は腰を下ろした。帰りは下り坂だから早いだろう。ジェットコースターみたいに坂道を駆け抜ける妄想をしたところで、奇しくもジェットコースターより急展開が訪れた。

「冗談も何も…ちゃんと好きだけど」
「え?」
「ま、いいけどな」

よくねーよ。何故いいと思ったのか。
意味深な言葉に困惑している間に、チャリは出発した。行きは腕を回す事に何のためらいもなかったけど、思わぬ爆弾投下により、サドルの下の方を掴んでお茶を濁すはめとなった。喪女を翻弄するのはやめろ。大罪だぞ。

台詞飛んだから改変してくれたのかな?とひとまず解釈し、想像通りジェットコースター状態となった坂道は、正直行きよりスリリングで楽しかった。カントリーロードよりマッドマックス怒りのデスロードの方が結局は性に合っているみたいだ。
やっぱり天職だったんだろう、審神者は。そういう意味なら私もお前が好きだよ…と豊前江の腰に腕を回して、がたつく道の進みにくさに、コンクリートロードの建設を視野に入れる私なのであった。尻痛ぇ。

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