刀剣を人だと思った事はなかった。心を痛める対象ではあるし、とても大事なものだけど、でも人とはやっぱり違った。付喪神といったら神様だ、向こうだって人間と違う自覚はあるだろう。
一生は使えないとわかっていながら、電化製品を買うみたいな、そういう気持ちで日々を過ごす。或いは向こうも、私をそうして見ているかもしれない。

「俺の事を…どう思っていますか」

長谷部に尋ねられたとき、まさか家電呼ばわりしたとは言えず、私は黙った。へし切長谷部だと思っていますが…という感じだった。
どうしてそんなことを聞くのかわからず、長谷部も答えを聞く前に、忘れてくださいと言ったので、結局それっきりである。何故だか胸がざわついて、私は新たな悩みを抱えるはめになったのだった。

誰をどう思ってるかなんて、考えたこともない。別に普通だ。あえて人間として考えたら、という話なら、私はとても困ってしまう。
長谷部とは付き合いが長い。というか最初からいる。審神者業について右も左もわからない時から見守ってくれているし、頼り甲斐があって、甘えてもいるから、特別な相手である事に間違いはないだろう。

どう思っているかと聞かれた時、長谷部は少し酔っていた。宴会を開いた日だったと思う。何かにつけて酒を飲みたがる連中がいるから、もはや何の記念だったか覚えていないけど、自分が素面だった事はしっかりと記憶している。縁側に座って、居間の喧騒を聞きながら、長谷部と話した。馬の話だ。
ああ、初めて戦績を政府に認められた祝いだったかもしれない。ご褒美に馬をもらったんだ。所望するものがあれば検討する、と言われたので、馬だな、と即答し、黒い鬣の大きな馬をもらった。
馬は好きだ。可愛いし、気持ちが通じる気がするし。みたいな事を言った際に、長谷部に聞かれたのだった。俺の事をどう思っているのかと。その前に、主は本当に馬がお好きですね、と言われたかもしれない。嫌味だったんだろうか。まさかの嫉妬だったんだろうか。
でもお前たちは神様なんじゃなかっただろうか。神様を好きになるのは、やっぱちょっと変じゃないか。逆もまた然りで。

「布団の用意ができましたよ、主」

半分寝ていた私は、長谷部の声で目を覚ます。夢の中にいたから、こんな事を考えてしまったのかとすぐに思い至る。随分昔の事に思えるけど、言うほど前ではなかった。
書類整理をしていたんだろう。もはやあまり記憶がないが、突っ伏していた机の様子を見るに、私はよく働いてるな、と他人事みたいに考えた。寝落ちするくらいだ、頑張ってると思う。馬しか癒やしがないこの本丸で、毎日毎日よくやっている。

不意に、長谷部の事もちゃんと好きだなと思った。刀であり、神であり、家電に似ており、そして体だけは人間とほぼ同じな長谷部を、ちゃんと好きだ。
刀だとしたら、愛着、という言葉がしっくり来るのかな。できるだけ長く、と思う点は、電化製品に近いし、でもいつか幻になると冷静に考えられるのは、彼らが神聖な何かだからだ。どう思ってるかなんて聞かれても困る。人間と同じには思えない。思わせてくれた事もない。

「…枕の位置が低いよ」

姑みたいな小言を言えば、長谷部は文句も漏らさず直してくれた。すかさず私は傍に寄り、まだ微睡みから抜け切れない頭を、相手に近付ける。

「冗談」

からかって笑うと、長谷部も笑った。戻さなくていいよ、と手を取り、布越しに指をなぞってみる。人間の体だ。
だけど、誰かの体の中で育ったわけじゃない。十ヶ月かけて産まれてきたわけじゃない。私が一瞬で、息を吸うより早く形作った。人の形をしていたら人間なのか?私はそうは思えないのだ。

「主…」

手袋の上から、何度もなぞり上げる。不意に顔を上げると、距離が近くて驚いた。気配もなくそういう芸当ができるところが、家電呼ばわりされるところだぞと思う。
前髪が触れそうな距離にいると、さすがに動悸がした。躊躇いの気持ちを抱いて初めて、自分が長谷部を、人間に近付けている事に気付いた。何が人たらしめるんだろう。同じ臓器を持ち、同じものを食べても、長谷部の心臓が止まったら、肉の一つも残らない。冷たい鋼に戻るのだ、粉々になって。
だけど私の体は、長谷部を人だと感知する。

「私のこと…何だと思ってる?」

手袋越しに伝わる熱が、偽物でない事は知っている。

「…まだ貴方の答えを聞いてないのに?」
「長谷部の質問はよくわかんなくて…」

とぼけたわけじゃなく、本当にわからないのだ。そもそも長谷部と同じ質問をしたわけではないし、その自覚もない。
困った顔をすれば、相手はもっと困ったように微笑んで、私の肩を寄せた。何故だか、最初に長谷部を見た時のことを思い出した。イケメンの、ちょっと幸薄そうな兄ちゃんだった頃。そのまま刀だと知らずにいれば、私の中では人間だったかもしれない。それが良い事とは思えないけど。

「…貴方は強く、生真面目で、慈悲深い…馬好きの主です」
「長谷部の事も好きだよ」
「馬と同じくらい?」
「まさか…」

意地の悪い問いかけに、馬とは違うよ、と答えた。でも、どう違うと聞かれるのは困るのだ。馬の方が生き物だと感じるけれど、長谷部の方が、代わりのいない存在だと思える。国宝だからかな。そういう問題じゃないのはもちろんわかっている。
真面目に考えたら、それってやっぱり、言葉を交わすからなんだろうか。私にどう思われてるか気にするようないじらしさを、何より可愛いと思うのかも。どこか幸薄そうな刀剣たちが、幸せになれたらいいと思う。今ではない、いつかの話だ。

そんな気はしていたのだが、流れで長谷部とキスをした。私はあくまでも流れだ。向こうは知らない。
随分近かったので、まぁそうなるかもしれないと感じてはいたけど、いざ唇が当たると、想像以上に堪えた。オーブントースターで火傷した時みたいな、全部自分の不注意なんだから誰かを責めるような事じゃないと頭でわかってはいるのに、体が逃げようと仰け反ってしまう。言い知れぬ不安が襲った。フェアじゃないな、と他の刀剣のことを思って、焦燥する。
近すぎて、長谷部の顔がよく見えない。引き離そうとしたが、肩を抱かれて叶わなかった。唇を当てたまま喋られると、くすぐったくて笑ってしまう。

「俺をどう思ってるか…聞いてもいいですか」

忘れてくれと言った事を蒸し返され、さすがに顔の前に手をかざした。唇を避けたのに、長谷部との距離は一向に変わらない。

「どうって言われても…意味がわからない…」

正直に告げたあとで、長谷部を真似ればいいのかと口を開く。

「頼りにしてるし…お世話になってる…恐縮なくらい…」
「主」

本心を告げれば、そういう事じゃないと言わんばかりに呼ばれてしまった。完全に詰んで、思わず手を下ろすと、また唇を重ねられる。柔らかく、さっきよりも熱い。この熱量がどこから来るのか、私にはわからない。

「馬も人も刀も…俺には関係ないんですよ、主」

私にはあるので、ますますわからない。

「それとも…人でなければいけませんか?馬のように、真っ当に生きていなければ」
「何が…」

責められているような物言いに、声が引きつった。長谷部は私を責めたことなど一度もない。今だってそんなつもりはないと知っているが、自分の理解力のなさを、誰かのせいにしたい気持ちがあった。

長谷部の事をどう思っているのか。さっきも言ったがオーブントースターと一緒だ。火傷したって自分のせいなのだ。キスの一つや二つは、すぐ取るに足らない事になる。私の脳ではそう予定している。体がどんなに緊張していても、長谷部は刀なんだから、得体の知れない感情をぶつけられること自体、おかしいと思う。
神様なんだろ。長い時を過ごして、神聖な存在になったんだろう。そういう力を使わないと、歴史を守っていけないんだろう。人や馬と同じなわけがない。関係ないとは思えない。

段々と頭がはっきりしてくる。眠気は飛び、ただ重なっていた唇は、少しずつ動き始め、横には布団があるし、何だかまずい気がしてきた。長谷部を信用している、と今でも自信を持って言えるが、次の言葉には動揺した。なんというか呆気に取られた。通り雨だと思っていたキスは、そういう事象の一つではなかったらしい。

「俺はただ…恋の話をしてるだけです」

鯉。
馬の次に可愛がってる動物の事でないとすれば、大問題だ。前代未聞だ。昨日ちょうど美女と野獣を見たけど、あんなロマンスとはかけ離れすぎていて、他人事の域を出なかった。
まさか恋愛の話だとは思わず、いやキスをしてる時点で思わなかったこともないが、人の体を持っているのだ、そりゃいろいろあるだろうと感じたに過ぎない。寝たくなくても眠くなるのと同じである。心と体はバラバラだ。一貫性があった事に、驚きを隠せなかった。
そういう事ならやめてくれと再び顔の前に手を置く。馬でも人でも関係ないと言った意味がようやくわかった。馬は恋愛対象じゃないし、付喪神も刀もそうだ。普通に人しか好きになれない。普通の人しか好きになれない。死んだら肉となり、葬式をあげて、墓に入る者だけが、私にとっては人なのだ。

「長谷部のことは…頼りにしてるし、恐縮なくらいお世話になってる…」
「主…」
「幸薄そうなイケメンだと思った頃もある…」

何か言いたげな彼を押しのけ、私は喋り続けた。

「でも人間と思った事はない…」

長谷部にとってそれは重要じゃないのかもしれないが、私にとってはそうじゃなかった。

「同じように年を取っていく人としか…恋はできない…と思う」

上手い言葉が見つからず、残酷な物言いになってしまった。長谷部だって好きでこうなったわけじゃないだろうに、ひどい言い草だ。同じ事を言われたら傷付くだろうなと思う。彼らが傷つきやすい事を、私は痛いくらい知っているのに。
ごめん、と謝りながら、今度は私からキスをしてみた。どういう気持ちになるか確かめてみたかったのだ。
三回目ともなると、体はすっかり慣れたみたいで、元々長谷部を好意的に思っていた事もあり、嫌悪感はなかった。不安や焦燥も、不慣れゆえだったと思い知り、心底自分が嫌になる。これじゃ人だろうと人でなかろうと、同じ事かもしれない。
だけどやっぱり、幸薄そうなイケメンとは違うわけだ。いずれは鉄に戻ると知ってしまえば、私の脳は臨機応変に、それなりの防衛を務める。こちらと長谷部の間に線を引く。馬は、私の隣にいるけれど。

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