失楽園

なんかみんなで映画を観てるなぁ…と思ったら、まさかの失楽園だったので、短刀もいるのにそんなものを共有スペースで流すな!とキレた日から、妙な夢を見るようになった。


本丸の自室から、私は見慣れない庭を見つめている。
私の後ろには知らない女がいて、その後ろには知らない男が、刀を構えて立っている。怖くて振り返れずにいると、女の泣き声が聞こえ、直後に庭に血飛沫が飛んだ。人の倒れる音がし、惨状を確認できないまま、私は後ろの男に命乞いをする。後生ですから助けてください…まだ小さい短刀たちの面倒も見なきゃいけないんです…と同情心に訴えながら。
そして何となく、ここは私の住む本丸ではない事に気付いているし、後ろにいるのが刀剣男士だという事もわかっている。斬られたのはどこぞの審神者だろうと想像もできる。
もしかしたらこれは夢じゃないのかも、と思ったところで、私は目を覚ますのだった。


「刀剣男士が審神者を斬る事ってあるのかな…」

先日問題となった失楽園のDVDを流しながら、私は濡れ場だらけの映画から気をそらすよう呟いた。
誰が買ったか知らないが、ドロドロ不倫映画がいつの間にか本丸にあり、内容チェックのため、私は真夜中に長谷部と鑑賞していた。短刀達が不意に見ても問題がないかの確認だ。
本丸で買った本やDVDは、共有の棚に陳列してある。しかし、中には文学の皮を被った有害図書も存在しており、健全な精神教育のため、刀種制限コーナーを設けていた。
まぁ人間とは事情が違うから最終的には自己責任だけど、間違って閲覧しないための配慮は必要だろう。マブラヴ、マザー2、ピングーのトドなどがトラウマになっている私のような悲劇の人をこれ以上生みたくない、そんな思いで動いていた。

しかしあまりに過激な内容に気まずくなって、最近よく見る夢の話をしたところ、長谷部は一瞬身構え、質問を質問で返した。

「…何かありましたか」
「いや…私の話ではないんだけどさ。風の噂」

これは推測だが、変な夢を見るようになったのは、痴情の縺れで殺傷沙汰になった本丸の話を聞いた事が絡んでいると思う。
別にグロテスクな内容だとか、詳細を聞いたわけではない。ただ刀剣に斬られた審神者がいると教えられただけで、それが事実かどうかも実際はわからなかった。
しかし何となく引っかかり、そんな時に痴情の縺れオブザムービーの失楽園を見たせいで、完全に思考にこびりついてしまったのだろう。

うちとよく似た本丸で、刀剣に斬られる女の夢。泣いてはいたけど抵抗はせず、ただただ刃を受け入れる。何度も見るうちに、本当にあったことのように思えてきて、現実との境が曖昧になる。
そういえば夢に出てくる庭…うちのとは違うけど、その奥にある木は見覚えがあった。最初は気付かなかったから、もしかすると夢が改変されていってるのかもしれない。
そのうち庭も同じになって、見える景色が重なって、斬られた女に私がなる。そんな気がして怖いのだった。

「どうでしょうね…」

そして特に否定をしない長谷部がまた小憎たらしいな。

有り得ませんよ、くらい言ってくれるかと思ったが、馬鹿正直に悩む長谷部は真剣に、かつ少しばつが悪そうに、自身の体験を語った。

「人の身を得ると…思いもよらない事が起きるのは確かですから」

そうだろうな。何の事を言ってるのかわかる気がし、私は苦笑する。
思いがけず審神者を口説いたりするもんな。心底意味がわからねぇよ。お前らがそういう感じだから私もあんな夢見るんだよ。
でもそう思いたくないから、映画のせいにしたいのだ。

そんな私の気持ちをやっとわかってくれたのか、長谷部はいつもの自信げな顔で、忠誠心をアピールする。テレビの音が聞こえなくなる程度には、その一言を聞くのに集中していた。別に元から疑ってはいないけど。

「もちろん俺は謀反なんて起こしませんが」

当然のように言い放たれ、私は自然と微笑んでいた。机に置かれた長谷部の手を取り、最初から信じてはいるが、いい言葉だな、と満足する。
私を仕えるべき主だと思ってくれているだけで有り難いんだ。他の何者でもないし、お前達だって同じだ。刀は刀。夢に出てくる男だって、元は刀でしかなかった。
本当の自分は凶器なのだとわかっているから、それ以外を求める審神者を斬った。かもしれない。私だってそうした。かもしれない。縺れた事がないからわからない。と思っているだけかもしれない。

やっぱ痴情の縺れなんてろくでもないな。私はテレビの中で、久木と凛子が手を取り合うのを見て、何となく長谷部から手を離した。全てに対して深い意味のない私に、長谷部は呆れているかもしれないが、どうやら愛想を尽かしてはいないらしい。

「…頼まれたって斬れませんよ」

不意に呟きながら、今度は長谷部が私の手を取った。その言葉を信じるべきか悩み、それはそれとして反則的な言い方には、わずかに照れた。私だって頼まないけどさ。

「これは有害ですね…」
「ええ」

テレビを見つめながら言ったものの、珍しく別の意図を含んだことは秘密である。


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失楽園を有害認定したところで、夢の内容が変わるわけではなかった。
いつも通り血飛沫が舞い、後ろに気配を感じながら、私は変わらず命乞いをする。

夢とはいえ怖すぎるだろ。刃物を持った男に背後を取られ、そして傍にはきっと女の死体が転がってるわけだ。今日こそは私も斬られるかも…と想像しないはずがなく、早く覚めることを祈るばかりである。同時に、俺は弱い…と自身の不甲斐なさに打ちのめされる。

頼まれても斬れないって…長谷部に言ってもらったのにな。励ましにはなっても解消まで至らなかった事を、私は自分のせいだと感じた。
結局は信じちゃいないのかもしれない。痴情が縺れ始めている本丸は、いつか限界が来ると意識の底で感じているのだ。私が上手くやれないせいで、なかった事にしたがるせいで、何もかもが悪い方に行く。
でもどう頑張ったって受け止められないよ。誰の好意も間違いに思える。真実だと感じられない。刀剣と審神者である限り、ずっとそう。

だから斬ったのか?もしかして。あれは本当にただの夢なのだろうか。それとも暗示か、未来予知か、誰かの記憶なのか。

「主」

映画のように終わってくれるのを待っていた時、聞き慣れた声がした。
恐怖も忘れて振り返ると、真後ろに長谷部が立っていた。あんなに躊躇っていた方向転換を容易に行なえた事に驚き、そして転がった二つの死体にはもっと驚いて、さすがに飛び上がった。寄り添うように倒れる男と女には、やはり見覚えはない。

「は、長谷部…」

右手に握られた刃には、血がついていた。音もなく執行されたらしい処刑に慄き、私が長谷部を信じていなかったら、きっと逃げてただろうな、と思う。

「もう大丈夫ですよ」

口振りから察するに、女を斬った刀剣男士を始末したという事だろう。夢のわりに生々しい刺殺体を見る限り、何も大丈夫ではないと思うが、私の身の安全は保証されたようなので、とりあえず礼だけは言っておいた。

「あ、ありがとう」
「いえ…このくらい当然です」

得意げな顔が見られて、ようやくホッとした。どうせ夢だ、そもそもたかだか夢なんだ、と今宵初めて思えた。あんなに恐ろしかったのに。
思いがけない展開に何と言ったらいいかわからず、私は凄惨な現場から目を背けるよう、長谷部だけを見つめた。相手も私をじっと見て、どちらともなく近付いていく。

「困ってたんだ…ずっとこんな夢ばっかりで…」

思いの丈を吐露し、とにかく長谷部が登場してくれて本当によかったと喜びを伝えた。気まずいながらも一緒に映画を見た甲斐があった。
また明日も悪夢を見るかもしれないけど、でも今日は流れが変わった。それは、私が変わればいくらでも状況は変化するのだと背中を押されたようで、励ましにもなり、絶望にもなる。変われなければ私もこうなるかもしれないってことだろ。普通に嫌。だけど命が懸かってたら、私も本気になれるかもしれない。

「困ってるんだよ現実でも…」

景色が見慣れたものに変わっていく。いつの間にやら死体は消えて、外も明るくなってきた。朝だ。困り果てた毎日がやってくる。

そうだ、私は毎日困っているんだ。思いがけない相手から、思いがけない愛を告げられ、それをどうにも信じられない自分に嫌悪し、心の奥が黒ずんでいく。長谷部たちに問題があるんじゃない、私が私の気持ちを変えなくてはならない、それが相当にきつかった。
八方塞がりの毎日で、逆にこいつらは何を考えて過ごしているのか、尋ねて回りたい気分だった。

自分を慕う彼らは、一体何を望んでいるんだろう。
何もないと言われたけど、そんなはずはないと思う。だって本当に何もないなら、気持ちを秘めたままでいられるはずだろ。口に出す事の重さだってわかってるはずだ。
そうやって割り切れるのは、私が背徳も真心も知らないからなのか。死ぬくらいなら好きにならなきゃいいのに、と真面目に思うのは、短絡的すぎるんだろうか。

「主」

妙に優しい長谷部の声が、私の胸を詰まらせる。
私がどうやっても刀に焦がれる事がないように、どうやっても焦がれてしまう事もきっとあるんだろうな。みんなどうしたらいいかわからないまま、毎日をただただ過ごして、正しい歴史の一部として生きていく。もしかするとそれでいいのかもしれない。
いつか私が死んで、めちゃくちゃ有能な審神者がいたという記録は残っても、この葛藤は誰にも知られず消えていくのだ。歴史の一部にもならないんだ。何も考えなくたっていいはずなのに。
どうにかして救われたり、救ったりしてやりたいと思ってしまう。恋にはならなくとも、私はこの傷付きやすい刀剣たちが好きだから。
同じ気持ちでいてほしい。

「何かあった時は、俺を呼んでください」

はっきりとした言い方に、私は早々に救いを見出した。

「それが…長谷部の望みなの?」

私は短絡的だから、望みを叶えたらチャラになるような気がしてしまう。しかし相手は頷くことなく、むしろ私の望みを叶えたがるような振る舞いをした。

「何でも斬って差し上げましょう」

いま斬ってくれたじゃん、と軽口を叩こうとしたところで、長谷部はまた反則的な言葉を吐き、夢でも現実でも、私を困らせるのだった。

「貴方以外なら」

有害だ…。
こいつ夢でも変わんないな…とシンプルに照れてしまって、何も言えずに俯いた時、視界が反転した。夢から覚めたのだ。

自室の天井を見つめながら、私は普段と変わらぬ光景を自然と受け入れていた。もう誰か起きているのか、騒がしい声がする。就任日からさして変わっていない本丸の朝は、この先もずっと続いていく気がした。
なんとなく、私は斬られもしないまま図太く生きていくんだろう…としみじみ感じたのだ。痴情はきっと縺れまくってるけど、刀剣たちは縺れたまま上手くやり過ごして、何かを諦めたり、納得したり、心砕いてくれるに違いない。私もそうだからだ。それでいいんじゃないだろうか。

わずかに軽くなった心は、それだけで大きな変化に思える。長谷部が悪夢を斬り捨ててくれたおかげだろう。秘匿すべきと思っていたけど、話してみて良かった。ドロドロ不倫映画のおかげだな。

私は失楽園をしっかりと有害コーナーへ収納し、その日以来、あの夢を見る事はなかった。代わりに長谷部が刀を抜き、何でも斬ってくれるのである。

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