ライフタイムリスペクト

生真面目で従順な性格ゆえか、主は初めから何でも要領良くこなしていた。
最初は戸惑いや警戒もあったが、いきなり本丸に連れて来られたにしては落ち着いており、しばらくすると居間で昼寝にふけるまでになった。自暴自棄と受け取れなくもなかったが、元々柔軟な気性なのかもしれない。或いは、諦めが良いのかもしれなかった。

やれと言われた事は素直に、確認作業を怠らず、そして適度に手を抜きながら任務に暮れていた主だったが、初めて渋られたのが遠征だった。就任して一月が過ぎたあたりである。

「つまり現地調査って事かぁ」

政府からの書状を読み上げる主に、俺は頷きながら補足する。
合戦場に出陣するにあたり、事前調査を行う事がある。地理地形を把握するためだ。遡行軍が出現する場所の付近を下見し、状態の確認や、稀に写真や映像で記録する事もあり、それらを数日かけて行う事を遠征と呼んでいた。物資の調達などに行く場合もあるが、主のように霊力の強い審神者や、戦力の整った本丸では滅多に行われない。
政府から資料が与えられるとはいえ、実際に赴くのとそうでないのとでは、感覚が変わってくるものだ。よって一度は各地域に派遣される事になっているのだが、それを伝えた時、主は少し渋い顔をして俯く。

「私は行かないんだ?」
「数日空ける事になりますからね…主が不在の時に遡行軍が現れては事ですから」
「あ、そう…」

納得していなさそうな声色に、俺の方が困惑してしまった。一体何が不満なのかわからないからだ。
やらなくてもいい畑仕事でさえ、いやでもみんなやってるし一人だけやらないの気が引けるわ…と言いながら手伝う主である。まして自分が関わるわけでもない任務にこだわるなど、これまでほとんどなかった。
何に引っかかっているのか尋ねる前に、主の質問攻めは続く。

「何日くらい?」
「早ければ三日です」
「早ければ?」
「いえ…三日で戻ります」

さらに嫌そうな顔をされたため、咄嗟に答えた。何なら二日でも問題ない。主がそう望むなら、気持ちを汲むのが務めである。日数への言及があったので、この時、戦力の減少を懸念しているのかもしれないと思い至った。

就任からまだ一ヶ月である。すでに第一部隊は整っているが、代わりがいないと言えばその通りでもあった。従順とは言い難い連中もいるし、とはいえ主の堂々たる振る舞いであるなら、何も問題はないだろう。
心配ありませんよ、と事実を告げた直後、主はわずかに言い淀みながら、ようやく書状から目を離した。

「この遠征って…長谷部が行かなきゃならない決まりでもあんの?」

何の他意も感じなかったため、正直に答えた。いいえ、と。
でも俺が適任でしょう。何事にも向き不向きがありますし、正直まともに現地の調査ができる奴なんて…俺を除けばせいぜい一振か二振じゃないですか?戦力としては申し分ないですから、そっちに充ててもらった方が確実ですよ。というような事を、一気に喋った。主はそれを黙って聞きながら、まぁね、と苦笑する。
その言葉で納得したと思い、ようやく話がまとまった事に安堵した。しかし結局主が何を渋っていたのかわからずじまいで、一応聞いてみようと口を開く。

「でも」

ただ、話し出すのは主の方が一瞬早かった。

「長谷部がいないとちょっと嫌だな…」

初めて我儘を言った子供のように、主は気まずそうな表情で俯いた。まぁいいけど、とすぐに立て直したが、俺の方は無理だった。思いもよらない台詞に、胸が騒いで仕方なかったのだ。

頭ではわかっている。主とは初日から共にいるし、一足先に顕現された俺は、流れで本丸の案内人も務めていた。わからない事があると主は何でも俺に聞いた。同行する必要がある時は大体俺が付き添ったし、頼りにしてもらっている事は承知している、それを有り難いとも思っている。まだ就任一ヶ月、相談相手が不在だと焦燥する事もあるだろう。単純にそれだけだ、それだけとわかっているけれど、それだけで充分でもあった。

何が起きても、どうにかしてやっていけるであろう主が、一瞬でも自分の不在で迷った事に、心が掻き立てられる。抱いた事のない感情は、何かに追い立てられるような不安があり、堪らない。この熱さは何なのだろう、知っている気もするが、知らない方がいい気もする。
焦る自分とは裏腹に、主はもう折り合いをつけたようで、それ以上渋る事はなかった。三日くらいなら何とかなるか、という事実に気付いたのだろう。何とかならなければいいのに…と思い始めた俺の心だけが、浮ついて定まらない。

「…主」
「ん?」
「早急に片をつけて…帰ります」

そう言うと、自責の念を覚えたのか、主は笑って首を振った。

「いや無理しなくていいからね。安全第一で頑張ってください」
「はい。安全に早急に戻りますので」

頑なな姿勢を取れば、主は困ったように眉を下げたけれど、最後には頷いた。まぁお前機動速いしな、と付け加えながら、書状を机の上に置く。
早く帰るのは機動の問題ではないが、主のせいだと言うと、それはそれで気にしそうなので、ただただ頷くばかりだった。不在にした三日で、主が他の誰かに頼っていたらと思うと、悋気する自分が目に浮かぶ。誰を側に置くかなど、主が決める事だというのに。

すでに割り切った主は、それ以上遠征について言及する事はなかった。ただ二日弱で戻った時は、さすがに早すぎだろ…と引きながらも、安堵したように笑ったので、まだ役目を譲らずには済みそうである。

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