軽率

突然現れた百合畑に、主の顔を思い浮かべる。広大な本丸の敷地には、まだ散策の至らない場所も多々あった。この花畑もそうだ。百合根は薬に使えるので、持ち帰れば何かの役に立つかもしれない。そんな口実を並べながら、主へ渡すため、顔色のいい花を選んでいる。

「あ」

間の抜けた声を出したのはどちらだったか。互いに別の花を見て、目を見開いた。主の卓上に活けてある花は、誰から贈られたものなのか、どうしてか瞬時にわかってしまったのだ。兄者は兄者であるけれど、自分と似ていると思った事は一度もないのに。

「それって百合?百合って自生するんだ」
「あ、ああ…毎年どこかでは咲いているようだが…今日見つけた場所は…すごかったぞ」

野生の百合を知らない主は、ここに来るまでどういう暮らしをしていたのだろうか。少なくとも兄者とは、話が合っていたように思う。
主の部屋を訪ねるまで、俺は浮き足立っていた。あの百合畑に、主を連れて行きたいとさえ思っていた。兄者がひまわり畑を見つけたと言った時、私も行きたい、と主は言ったので、花が好きなのだろうと自然に考えた。だから百合を摘んで帰るなどと、らしくもない事をしたのだ。
もしかしたら主が好きなのは、花ではなかったのかもしれない。飾られた向日葵を見て、それが主の方を向いている事にさえ、意図を感じてしまう。

「…その花は、兄者からか?」

机を指し尋ねると、主はすぐに頷いた。昨日くれた、と答えただけなのに、胸が騒ぐ理由は何だ。
兄者がどういう思いでその一輪を選んだか、どうしても考えてしまう。兄者のことだ、別に何も思うところなどないのかもしれないが、飾られた花を見て、それでも尚穏やかに微笑んでいられるのだろうか。

返事を聞いてすぐ、踵を返した。花は渡せなかった。渡せない理由も言えず、追及される前に立ち去ろうとしたのに、こういう時の主は妙に素早い。

「何か用事だった?」

真後ろまで迫り、気遣いと圧を混じらせながら、主は尋ねる。どう答えたらいいかわからない。花を渡そうとした、でも出来なかった、先に兄者が花を贈っていたから。そう正直に言っても、主はきっと苦笑を浮かべて首を傾げるだけだろう。
一応は振り返り、俺と主の間にある百合の花が、居心地悪そうにしているのを、なんだか申し訳なく思う。

「いや…」

答えながら、どうしても花に目がいってしまう。

「…貰ってもいい?」

結局、主に気を遣わせた。用もなく主を訪ねた事など、これまでただの一度もなかったのである。花を渡しに来たことくらい、初めから知られていたというのに。
それでも差し出せないのは、後ろめたさがあるからだ。向日葵のように上を向けない理由があるからだ。

「違うならいいんだけど…」
「いや…そんな事はない…が…」

歯切れ悪く答え、もう限界だと口を開く。

「兄者に悪いだろう…」

躊躇いの理由を話すと、案の定主は首を傾げた。これが厄介だ。
主は、花なら両方飾ればいいと思っているのだろう。向日葵も百合も仲良く。兄者と俺も仲良く。実際仲はいい。これからもそうであるに違いない。
しかし自分の贈った向日葵の横に、百合が飾られていたら兄者はどう思うのだろうか。花でなければまだよかった。よりによって被るとは。気持ちまで、被っているかもしれない。
そう思うと渡せない。この感情を主は察してはくれない。
理解しようと必死に考えている主の顔は、実にわかりやすい。

「何で?」
「すまん…」
「いや謝らなくていいんだけど…こっちもなんかごめん」
「君が謝る事など…」

同じようなやり取りを繰り返し、兄者の事ばかり考えていたが、これでは主に申し訳が立たないと思った。花を摘んだ事を悔やみ、しかし落とし前は自分でつけなくては、余計に無様だ。
結果、兄者に他意がないのを祈る事にした。どうかあの向日葵が、ただの花でありますようにと。

「…やはり、貰ってくれるか」

恥をしのんで百合を差し出すと、主は少し笑った。早すぎる心変わりが滑稽だったのかもしれない。本当は困ったように笑わせるつもりなどなかったし、俺が見たかったのは花だけを見つめる主だったのだと思い知る。

「いいの?不都合があるなら無理しなくていいんだけど…」
「いや、いいんだ」

遠慮する主をこれ以上困らせぬよう、強く言い放つ。

「元々…君に渡そうと思っていた」

そう告げると、主は照れ笑いを浮かべて頷いた。あまり考えた事はなかったが、こうして見れば、花の似合う少女に思えてくる。張り詰めた戦の場にいる事が、嘘みたいに思えてくる。
結果だけで言うと、当初の予定通りにはなった。こんな気持ちを抱くはめになったのは計算外だったけれど、主には関係のない話なので、それだけが救いだ。きっと兄者の向日葵より先に枯れてしまうのだろうが、それでいいと思っている。
去り際に、主はもう一度礼をくれた。律儀で真面目すぎる彼女の、気恥ずかしげな声が耳に残り続ける。

「ありがとう膝丸。これでも結構花とか好きなんだよね」

柄じゃないけど、と付け加えたが、そんな事はないと思う。でも言えなかった。本当に花の方が好きだったのか、と呆気に取られ、随分と手強そうな相手に、兄弟共々苦戦させられる未来が見えたのだった。

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