料理の飾りに使う山椒の葉を取りに行って、危うく絶叫しかけた。揚羽蝶の幼虫が群がっていたからだ。

あっぶねー!触りかけたわ!何だこの有象無象の衆は!

ここにいれば24時間安全!と政府が太鼓判を押すこの鉄壁の本丸でも、虫の侵入は防げない。
庭に生える山椒に、いつの間にか卵を植え付けられていたらしく、幼虫が葉っぱを食い散らかしていた。丸々と肥えた緑の芋虫をしばらく見つめていたが、とてもこの中に手を伸ばす気にはなれない。

「随分たくさんいるねぇ」
「うわっ!」

呆然としていた時に後ろから声をかけられ、私は危うく飛び上がりかけた。過敏になった神経をさらに刺激され、慌てるどころの話ではない。

「おい!」
「え?」
「びびらせんなよ!」

私は拳を握り締めながら、いきなり声をかけてきた髭切に詰め寄った。とぼけた顔の彼は、ごめんごめんと謝ったけれど、全然誠意が感じられない。

びっくりしたなーもう!うっかり幼虫に触っちまったらどうしてくれんだ!?ふざけやがって!出るとこ出ますよ!
私は深く溜息をつき、神出鬼没の髭切を軽くド突いた。

こいつマジで心臓に悪いわ…!ただでさえ何考えてるかよくわかんないのにこんな時に出てくるんじゃねぇよ…!
ビビり散らしながら再び幼虫を見て、そもそも料理に飾りなんかいるのか?と元々思っていた私は、さらにその思いを強める事となった。どうせ誰も彩りなんて見ちゃいねぇ、と信じる事にし、ついでだから髭切も味方につけようと状況を話した。

「山椒の葉を取りに来たんだけど…ご覧の有様で…」

何故こんなところで幼虫を見ているか話し、そしてお前は何故こんなところにいるんだと訝しむ。
本当に謎。トイレはこっちじゃないし、お前の部屋もこっちじゃないだろ。夕飯前にたまたま通りかかるような場所か?まぁ誰がどこにいたっていいんだけどさ。おどかすような真似をしなければ。

「何の幼虫なんだい?」
「並揚羽かな…セロリ食うのは黄揚羽」
「詳しいね」
「栽培してたやつ全滅したからな…」

育てていたセロリの葉を黄揚羽の幼虫に食い尽くされた事件は、まだ風化する事なく私の胸に残り続けている。一晩で丸裸にされた哀れな野菜の件もあって、私は幼虫をついつい睨んでしまうけれど、今回は山椒だ。飾りにしか使わないし、食われたところで大した傷にもならないから、まだ穏やかでいられるのだった。

こんなに湧いている虫をかいくぐって被害のない葉っぱを摘むのは、正直至難の業…というか無謀だった。何より精神的に無理だ。やりたくねぇ。
飾りのためだけの山椒…美味しそうに見せるためだけの山椒である。どうせ廃棄されるのだから、まだ幼虫に食わせてやった方が徳高い気がした。何より絶対に触りたくなかった。
摘まなくてもいいよね、という意識を共有したくて、私は慈悲深い目をしながら、髭切と視線を合わせる。

「セロリは不本意だったけど…山椒の葉くらいは…こいつらに譲ってやろうか」

早いとこ蝶になって飛んで行ってほしいし。そんでまた卵産みにくるんだろうけどな。
絶望の連鎖を想像しながら、幼虫がいた事の証明を髭切にしてもらおうと同行を頼んだ時、彼は私と芋虫を交互に見つめながら、なんだか意味深な台詞を吐き出した。

「生き物には優しいよね、君は」

まるで生きてないものには優しくないみたいな言い方に、反論できないまま歩き出した。別に幼虫にだって優しくないけどね、と思いながら。


それっきり虫のことは忘れ去り、平和な日々を過ごしていた私は、思わぬ形で奴らと再会を果たす事となる。

過ごしやすい春も終わりを告げそうな頃、私は久しぶりに熱っぽさを感じて、唐突に目を覚ました。
真っ暗な視界があるかと思いきや、月明かりが部屋を照らし、私の目を細めさせる。そういえば今日は満月だった。
まだ夏には随分と早いはずなのに、何故か今夜はじわじわ暑く、わずかに息苦しい。
もしかして金縛りか?と怪しんだ時、襖が開く音がして、私は布団を蹴り上げながら身を起こした。金縛りではなかったが、只事ではない状況に驚き、膝を立てる。

誰!?まさか…遡行軍の夜襲!?
警戒心全開に身構えた私だったけれど、本丸が鉄壁の要塞だというのは本当だったみたいで、襲撃は外からではなく、内部の犯行であった。真に恐れるべきは有能な敵ではなく有能な味方だってナポレオンが言ってたけど、あれはマジかもしれない。

「ありゃ?素早いんだね」

聴き馴染んだ声が私を飛び上がらせるのは、ここ一ヶ月で二回目になる。

「髭切…!びびらせんなって言ったじゃん…!」

無礼な侵入者は、何を考えているかわからない、いや何も考えてない疑惑のある髭切だった。まともな思考回路だったら夜中に審神者の部屋には侵入しないからだ。
私は深く溜息をつき、畳の上で項垂れながら、とりあえずは安堵する。頼むから人の寿命を縮めないで…と命乞いをしてしまいそうだった。

本当にやめて。マジでびびるから。せめてノックくらいしてくれないか?したけど私が気付かなかったのかな?いやもうどっちでもいいわ、何にせよ明け方近くに訪ねて来ないでほしい。非常事態でもない限りな。
そこまで考え、まさか非常事態なのか?と髭切への信用を失わずにいたのだけれど、この能天気な様子から見てそれはなさそうである。もはや無。信用は無です。

「ごめんごめん、だけど早くしなくちゃ」
「何がだよ…」

すっかり目も冴え、悪気を感じてなさそうな髭切を睨みながら、私は蹴飛ばした布団を元に戻す。しかし、再び中に入る事は叶わなかった。
就寝体勢の手を掴まれ、月明かりに照らされた青白い顔を、思わず見つめ返す。

「いいものを見せてあげるよ」
「…いいもの?」

上野動物園の双子パンダ…とか?
なんて冗談を言う隙もなく、私は廊下へ連れ出された。一体どこへ連れて行くつもりなんだと思いながらもとりあえずついて行き、説明もないまま庭へ辿り着いた時、全てを察した。景色の中に答えがあったからだ。

「あ」

あの因縁の山椒の木だ。葉はすっかり食い尽くされ、もはや一匹たりとも幼虫の姿はないが、代わりに羽を広げた蝶が居座っている。
羽化したのか。よく見ると色褪せたトランセルのような抜け殻と、まだ中身が入っていそうな蛹が至る所にある。これだけ幼虫がいたのかと思うとゾッとするな。とはいえ蝶になってしまえば綺麗なものである。

白くなり始めた空に、まだ満月が浮かんでいる。幻想的だ。まさにポルノグラフィティの世界観だな。一斉に姿を見せた蝶にしばらく見入り、今にも蛹から出ようとしている奴を応援したりして、広がっていく羽を髭切と静かに眺めた。何とも不思議な時間だ。

「綺麗だね」

まだ飛び立てないのか、じっとしている十余りの蝶に向かい感想を述べる。こんなの滅多に見られる事じゃない。貴重な経験に浸れた事が、夜中叩き起こされた怒りに勝り、素直に髭切に礼を告げた。

「…ありがとう、起こしてくれて」
「いやいや」

どういう感情なのかよくわからない返事に苦笑し、せめて寝ている主に突撃した事は悪いと思えやと念を送った。普通にいい事したと思ってそう。反省しろ。
マイペースめ…と恨めしく目を細めていれば、一匹もの蝶が不意に空へ飛び立った。おぼつかない様子だったが、落下する事なく姿を消していき、きっと朝にはこの光景は終わっているのだろうと思うと、勿体ない気持ちが湧いてくる。

「動画撮っておけばよかったな…」

急に連れて来られたせいで携帯も何も持っていなかった。だから先に用件を言えっつーんだよ。そしたら思い至ったかもしれないでしょうが。
いや、でも今から戻ればまだ間に合うか。そんな急に全部飛び立ったりはしないだろうから取ってこよう。揚羽蝶の一斉羽化なんて貴重なシーンを後世に残さないなんてナショナルジオグラフィックに怒られてしまうわ。
善は急げと立ち上がろうとした時だった。突然髭切は制止するように私の手を掴み、珍しく少し参った様子で口を開く。

「そしたら二人でいた事が知られてしまうよ」

それに何の問題があるんだ、という顔をしたら、口にする前に先手を打たれた。

「君はいいかもしれないけれど」

顔を近づけた髭切の上を、蝶が通り過ぎていった。あまりにも絵になりすぎて言葉を失った。めちゃくちゃに綺麗だ。両方共。

「僕は鬼に追い回されるかも」

髭切の言ってる事はよくわからなかったが、確かに記録に残せない刹那的瞬間はあって然るべきなのかも、と少し感じた。

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