呪いのプール

マジで全然リフレッシュできていないな、という事に突然気付いてしまった私は、仕事を途中で止め、思いつくまま足早にプールに向かった。

夏といえば海…だが、海には連隊戦以外で行けないので、専らプールである。暑いから遊泳を楽しもうと先日から画策しているのだが、どうにも様々な邪魔が入ってまともに泳げずにいた。何かやり残した事があると思ったらそれだ。不完全燃焼なんだ。
泳ごう。夏は儚い季節である。コンディションのいい時しか入れないプールに今入らなくていつ入るんだ。林修も後押ししてるぞ!

というわけで炎天下の元、冷たいプールの心地良さに浸っていたのだが、リフレッシュとは程遠いクソデカ大声が響いた事により、私の休息は終わりを告げる事となる。

「何をしているんだ!」

急に怒鳴られた私は、砲弾でも飛んできたかと思うほどの声量に慄き、体を沈ませた。水の中でも大声が響き、何を言ってるかまでは聞き取れないが、誰が来たかはすぐ理解した。
大包平だ。このサンシャイン池崎なみの大音量は大包平しか有り得ない。
なんだって私の水泳を邪魔する奴ばかりがこの本丸には揃っているんだ?と半ギレで浮き上がれば、同時に凄まじい水飛沫が降り注ぎ、また沈みそうだった。

何!?次から次へと何が起きてるわけ!?
顔の水を払いながら目を開けると、いきなり目の前に大包平が現れ、横綱の迫力に思わず飛び退く。

「うわっ!」

なんで飛び込んできてんだこいつ!暑さでやられちまったのか!?

「お、お前が何をやってるんだ…!?」

ドン引きする私とは裏腹に、イカレた大包平は私を引き寄せると、水から浮かせるように抱え上げた。

「だから言っただろう!ここは呪いのプールだぞ!」
「はあ?」
「早く上がれ!」

マジで何を言ってるんだ。本当におかしくなったのか?ていうか私が沈んだのはお前のクソデカデシベルのせいなんですが?
わけがわからないまま呆然とし、腕を掴まれて強引に引っ張り上げられていく。そもそも呪いのプールって何?私が来てから作ったプールだから何の曰くもないはずなんですけど。
完全にまともではないと決めつけ、陸に上がって解放された私は、ついつい大包平から距離を取る。

「何なんだいきなり…」

マジで意味がわからなすぎる。何しに来たんだ?服着たままプールに飛び込むとか正気の沙汰じゃないだろ。何が彼をそうさせるのかわからずに目を細めていたら、何故か向こうの方が私を信じられないものでも見るかのような目つきで見ていて、兎にも角にも心外すぎた。

「泳ぐ時は一声かけろ」
「なんでだよ」
「呪われているからだ…!」

だから何の話なんだよそれは。呪われてねーよ。みんなで力を合わせて作った渾身のプールだろ。加護こそあれ呪いなんて存在してたまるか。
どうしてそんな話になっているのかわからない私は、それがまさか自分のせいだなどと微塵も思わず、大包平の言葉を聞くまで全てが他人事だった。

「お前は一人でここに来ると必ず不調を起こすだろう」

…え?原因私なの?

「いや、そんな事は…」
「あるんだ!」

ねぇよ。二回だけだろうが。

「知らんのか、呪いのプールと噂されている事を」

知らねぇ。初耳すぎる。
衝撃の展開にまたフリーズし、いつの間にか不本意な噂が立っていた事に驚きすぎて何も言えなかった。
何故私の知らないところでそんな話が広まってるんだ。マジで怪我と熱中症の二回だけなんですけど。しかも直近。それまでの数年は快適に過ごしていたという事を忘れているんじゃないか。

凄まじい言いがかりだ…と溜息をつき、哀れなプールとリフレッシュを邪魔された私に同情する。最近全然ついてないな…今年の夏はもう諦めるか…。秋の行事に期待する事にして、炎天下に焼かれる頭を押さえた。地肌に日光は痛い。暑いというか痛い。

「とにかく!今日は俺が見張っておく」
「いやいいよ…もう帰るから…」

見張られながら泳げるか。途中で熱血指導とかしてきそうで普通に嫌だわ。
大包平コーチの元で泳げるほど強メンタルではないし、何より彼の格好の方が気になって集中できない。重そうなジャージから水が滴り落ち、私よりお前をどうにかしろという感じだ。

「大包平も濡れちゃったし…」
「そうだな…お前の浅慮さゆえだ」

なんでだよ。お前の早とちりのせいだろ。
何もかもが納得いかないが、もはやどうでもよかった。さっさと帰るか…と決意して歩き出そうとすれば、大包平はまだ絡んでくる。

「それで…体は何ともないのか」
「え?ないですが…」

マジで呪いのプールを信じてるのか?大包平は上から下まで人の全身をチェックしたあと、さらに後ろに回って様子を窺う。

「何ともないって…」

そして呪いもないって。至って平和なプールだって。たまたま不調が重なっただけの事で曰くをつけるなって。
いいからお前も早く着替えろという感じだったが、何かを見つけた大包平は突然私の手を掴み、声を荒げた。

「なんだこの手形は」
「は?」

わけのわからない事を尋ねられ、私は思わず視線を向けた。すると、腕に指の跡がくっきり付いており、どう考えても心当たりが目の前にいるので、マジでこいつは何を言ってるんだとしか言いようがない。

「いやお前が掴んだからだろ」
「そ、そうか…すまない…」

さっきプールから引っ張り出した時の事を思い出したのか、大包平は素直に謝罪し、そっちの方が驚きだった。
謝られた。意外だ。またお前の浅慮さ故だとかなんとか言われるかと思ったが、このタイミングで鬱血したとなればさすがに落ち度を感じざるを得なかったんだろう。助けたつもりが逆に傷を負わせたとなれば気にして当然か。
それはそれで面倒だったので、私は首を振って大包平の奇行を許容する。実際痛くもないし、これくらい大した事ない。このプールで起きた事は何一つ呪い足り得る内容ではないのだ。

「…いいよ、心配してくれたんでしょ」

自分で言ったあとで、そういえばそうだもんなと気持ちに余裕ができる。
呪いの有無はさておき、大包平は私を案じて来てくれたのだ。それが煩わしい時もあるけど、大事にされている事には素直に感謝したいと思っている。元はと言えば私が心配されるような人間だからこんな事になっているんだろうしな。もっとしっかりしなくては。何事にも動じない心を持つべきなんだ。
意気込む私とは裏腹に、柄にもなく心配している事を指摘されて照れたのか、大包平はしおらしい態度で視線を逸らした。

「お前が呪われては困るからな…」

だから呪われねーよ。くどいんだよ。
呪いがゲシュタルト崩壊し始めた頃、跡のついた腕にそっと触れられる。なんだその手つきは、という目を向けると、大包平は困惑の表情で腕を見ていて、私も正直困った。

「加減がわからん…お前がこんなに小さいとは思わなかった。態度はやたら大きいからな」
「おい」

一言余計だろ。やたらって言うほどでかくもないし。

「痛むか」
「いや…大丈夫…」

それよりお前の余計な一言の方が刺さったぞ、とは言わず、腕に触れたままの大包平にじっと視線を向ける。さすっても跡はなくならないんだが、お前達の手入れと同じとでも思っているのか?傷が完治されるまでの時間とか表示されたりはしないぞ。私は人間なんだから。
こうしている間も、恐ろしいほど陽が照っている。体はすっかり乾き、日差しと同じくらい大包平の手も熱い。段々と温度が増していくようなのは、気のせいだといい。きっとそうだろう。

いつまでもこれでは埒があかないので、私はとうとう大包平の手を掴んだ。

「帰ろう、早く」

語気を強めて言っても、それよりでかい声が降ってくるから、全然勝てる気がしない。

「服はどうした」
「そこにある」
「早く着ろ」

うるせぇな。着るわ。お前が引き止めてたんだろうが?二重人格か?
言ってる事とやってる事を統一させろと相手を睨んだが、相手は逆に私から視線を逸らした。いつも堂々たる大包平の数々のらしくない振る舞いは、私によってもたらされているのだと思うとやるせない。

「…目のやり場に困る」

大包平までもがそんな事を言うとは。思わずポカンとしてしまった。ていうかさっきはじろじろ見てただろ、何で今になって言うんだ。さっきは本当に純粋な心配だったのが、急に不純なものに変化したとでも言うのかよ。
腑に落ちないながらも上着を羽織り、帰ろうとしたら手を掴まれる。

「行くぞ」

そのまま引っ張られたので、繋いだまま帰るらしい。目のやり場には困るのに手のやり場には困らないんだな。別に離したって逃げやしないしプールに落ちたりもしないが、今となっては呪いの心配かどうか怪しいものだ。
大包平の手が熱くなってくる。夏だからではない気がする。まるで何かに取り憑かれたかのように突然変わった空気は、私にオカルトの存在を信じさせた。元から全部オカルトだけれど。

「…確かに呪われてるかもな」
「なんだと!」

お前がな、とは言わずに、終始無言で歩き続ける。あの大包平がこんなに静かなのも、きっと呪いのせいだろう。
この本丸は恋愛脳の地縛霊に呪われているんだきっと。そうだったら全部納得できるから、間違ってもお祓いなどはしないでほしい。呪われてなかった時の方が怖い。ずっと怖い。

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