価値

むしゃくしゃして落書きをしただけでなく、その紙を戯れに紙飛行機にして飛ばしていた私は、数多の刀剣を束ねる審神者である。
普段は気丈に振る舞い、弱いところなど多分見せた事がないクールな私は、うっかり外に飛ばしてしまった紙飛行機が庭の木に引っかかったのを見て、一人慌てている。

やべ。落書きした紙飛行機飛ばして遊んでる姿なんて誰かに見られたら、私の知的なイメージが粉砕してしまうじゃねーか。早く取りに行かないと。

本丸に来て早数年…真面目に業務をこなしていた私だったが、今年に入って同級生がことごとく結婚していると知り、複雑な心境に陥っていた。
私も審神者になど選ばれていなければ、大学でサークルに入ってそこで知り合った後輩と四年の交際期間を経て結婚、なんて未来もあったかもしれないと考えたら、居ても立っても居られなかったのだ。むしゃくしゃするあまり、その辺にあった裏紙に「前澤100万くれ」と落書きして、紙飛行機に魔改造してしまった。私の情念は風に乗り、しかし大空へと羽ばたけるはずもなく、庭の木で生涯を終えた。人生の暗喩のようでつらかった。

我に返った私は、ZOZOの社長に縋る姿など誰にも見せたくなかったので、急いで外に向かう。
きっと登って取れるだろうとタカをくくりながら庭先へ出ると、小狐丸が落ち葉を掃除しており、一瞬焦りながらも、平静を装って手をあげた。

「おや、ぬしさま」
「精が出るな小狐丸、頑張れよ」

軽い挨拶を交わし、そそくさと横を通り過ぎた。まぁこいつ相手なら木登りという奇行を見せてもさほど影響はないだろう…と踏み、目的地まで到達する。
掴み所のないでかい狐だ、ちょっと上へ登ってみたくなってね…と乾貞治みたいな事を言えば、そうですか、と適当に返してくれるに違いない。勝手なイメージを抱き、他の刀剣が来る前に片付けようと眉根を寄せる。

しかし、平成というぬるま湯を生き抜いたシティガールの私が、木登りなどという野蛮な遊びをした事があるはずもなく、案外でかかった木に恐れおののいた。

どうしよう。普通に登れねぇな。梯子持ってきた方がいい気がする。
木の前でしばし悩み、けれども梯子なんて倉庫から持って来ようものなら、道中で絶対誰かに出くわすだろう。そして事情を説明しなくてはならなくなる。上へ登りたくなって…とかいう雑な言い訳が小狐丸以外に通用するはずもないから、私は決断を迫られていた。
どうする。いっそ放置して、誰かに見つかったらしらばっくれるか?いやそれはあまりに危険だ。昨日食卓で前澤の話をした時に、金持ちの道楽で貰った100万に何の価値があるんだか…と格好つけて言い放ってしまったからな、強がりがバレたらめちゃくちゃ恥ずかしい。本当はかなり100万欲しい。

「どうかされましたか」

悩みに悩んでいると、さすがに不審に思ったのか、小狐丸が声をかけてきた。慌てて振り返り、なんでもない、と言おうとして、ハッとする。
小狐丸…名前は小だが、梯子のようにでかい野郎だ。なんといっても自販機より5センチも高い!
もうこいつでいいか!と低下した判断力で思い、私は堂々とした態度で口を開く。

「ちょうどよかった小狐丸、肩車してくんない?」
「肩車?」
「ちょっと…落とし物を取りたいので」

濁した言い方をすると、小狐丸は木の上を見た。確実に紙飛行機の存在には気付かれたが、まだ大丈夫だ、短刀が作って遊んでいたものが木に引っかかったとか何とか言えば誤魔化せるだろう。
仕事サボって落書きしていたことを頑なに知られたくない愚かな私は、相手の反応にドキドキしていたけれど、事情を察した狐は優しく微笑みを浮かべる。

「ああ…それでしたら、私が取ってきましょう」
「いや!いい!自分で取るんで!肩だけ貸してもらえるかな!」

無駄に人の良さを発揮する小狐丸を制して、私は声を荒げた。もはやクールさの欠片もなかった。
余計な事を言うんじゃないよ…!確かにお前が登って取ってきた方が早いとは思うよ、思うけどもし中を見られたら恥ずかしさで死ぬから!やめて!
自分のことは自分でやるから、と責任感をアピールし、肩車を強いている時点で責任感も何もない事には気付かず、私は懇願した。すると熱意を感じてくれたのか、小狐丸は素直に頷き、身を屈めたので、安堵の息を吐きながら上に乗る。

よかった…深く追求しない小狐丸だった事が不幸中の幸いだな…。運の良さを噛み締め、高い木に手を伸ばす。
小狐丸とはぼちぼちの付き合いだが、あまり人の事情に首を突っ込んだりしないし、突っ込ませたりもしない印象だった。独特の三条ムーブというか、おおらかな空気の中にいると思う。ただ何考えてるかよくわからないので、わりと面食らう。脈絡もなく、撫でますか?とか言ってくるし。お、おう…としか言えない。毛艶はいい。猫カフェに行きたい気持ちを和らげてくれるくらいには。

謎多き狐の上で、私は身を乗り出しながら、紙を指先に引っ掛けた。もう少しでも届くと思い、体を伸ばすと、落ちてはまずいと思ったのか、小狐丸が私の足を強めに掴んだので、一瞬息を止めてしまう。
くすぐったいというか、ぞわぞわするというか、言いようのない感覚により手元が狂い、私は紙飛行機を払ってしまった。
やべ、と思った時には落下しており、声にならない声で飛行機を追ったところで、それは小狐丸の手中に収まる。まるで初めからそうなる事が決まっていたかのように、一直線に落ちていった。そして非情にも、隙間から文字が露出してしまっているのである。

「前澤…100万…」
「馬鹿やめろ!」

私は小狐丸の目を塞ぎ、見ないでくれ!と訴えた。もう穴があったらどこでもいいから入りたかった。
全て知られた羞恥で、私の目頭は熱くなる。
見られちまった…本当は100万が欲しいことも、仕事サボって落書きしてる事も、わりと紙飛行機が上手く折れる事も全部バレた…!
両手で小狐丸の目を覆い、言い訳を考えようにも手遅れすぎて、忘れてください…以外に何も告げる事はなかった。クールな審神者は死んだのだ。同級生の結婚ラッシュに動揺する浅はかな人間であることを認め、意気消沈する。

あー…なんか本当につらくなってきた。何やってんだろうな私。
これまでの人生が走馬灯のように浮かび、ずっと真面目に頑張ってきた日々が、何だか滑稽に思えてくる。100万あったって何も変わりはしないのに、そういう遊びに乗っかりたい気持ちがどこかにあって、それが叶わない事がつらいのだと思い知らされた。
別に今が楽しくないわけじゃないけど…と言い訳と本音を混じらせ、小狐丸から手を離す。もう全てがどうでもよかった。
改めて紙飛行機を見た小狐丸は、何の事かよくわかっていないようで、私を乗せたまま首を傾げる。

「随分な慌てようでしたので…てっきり秘密でも記してあるのかと思いましたが」

充分な秘密だろ100万円は。過酷な戦いの代償として常に政府から支給される大量の資金、そしてこの戦いが終わったらやばい額の退職金も出るという、金の心配が一切不要なこの本丸で100万ねだってんだぞ、確実に病んでるじゃねーか。
私は鼻で笑い、この闇がわからないようじゃまだまだひよっこね…と西暦3桁生まれの奴にどこから目線で思った。

「…好きな奴の名前でも書いてあると思ったか?」

軽口を叩くと、小狐丸は何故か声を明るくした。

「もしそうであったなら、皆でこの紙を奪い合った事でしょう」

人の恋バナで面白がるな。同級生の結婚ラッシュで落ち込んでる私の気持ちを考えてみろ、自然と足が樹海に向くわ。
失礼な狐から紙を奪い、耐えきれず私は飛び降りた。危うげな着地だったが、吹っ切れた分、いろんな事が気にならなくなった感じがした。
深く溜息をつき、今日の事は忘れろと言い捨てる直前で、小狐丸が先に口を開く。

「それこそ、100万円より価値があるかと」

どんだけ意外性があるんだ私の恋バナは。人を何だと思ってんの?世捨て人かな?殴らせてくれ。
私も結婚諦めてねーから、と鼻を鳴らし、この戦いが終わったらコンパ漬けの日々を送る事を誓って、得られなかった青春に涙する。
鉄の塊だか付喪神だか知らないが、人知を超えた存在としか顔を突き合わせる事ができない中で、私は立派にやってると思うよ。真面目にコツコツさ。でも世捨て人だと思われてんならもうクール気取るのやめてもいいかもしれないな。こいつの態度を見るに、気取れてなかった疑惑あるし。
もしかしたらこの紙飛行機事件の方が100万より価値あったかも、と自嘲して、紙を破り捨てる私であった。

後日、気遣いの方向性を間違えている小狐丸から、折り紙をプレゼントされてしまった事はまた別の話である。
そういう事じゃねぇから!

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