新婦主賓

雪の積もる道を博士と歩いていると、何だか懐かしいような気分になる。潜在的な記憶が眠っているのかもしれない。
石油王と結婚する事になった勝ち組の私、ポケモンニートのレイコは、お祝いに来てくれたプラターヌ博士と老夫婦のようにその辺を散歩していた。お食事でも…と言ったら、散歩しようと言われ、結果マイペースなイケメンに付き合わされている。季節は冬。雪まで積もっている野外を歩くなんてニート的には正気の沙汰じゃなかったが、最初で最後と思うので大目に見た。

「君と初めて会ったのも、雪の日だったんだ」

全く覚えていない思い出話をされ、私は正直に記憶にございませんと政治家みたいな顔をする。
なんか子供の時にプラターヌ博士に会ったらしいが、幼すぎたのか、ニート以外どうでもよかったのか、私は一切覚えていない。カロスで会ったのが初対面も同然である。こんなイケメンの顔を忘れるなんてマジでどうかしてるぞロリレイコ。そりゃ最初はな、どんなクソ野郎かと思ってキレ散らかしてましたよ私も。ポケモン博士のくせに大都会に住んでやがるし、図鑑を人伝てに渡すという無責任さに大激怒。こっちは研究の手伝いをお願いされて遥々カロスまでやって来た身だぞ。それを挨拶にも来ないなんて何様?絶対文句言ってやると思ってエレベーターから降り、そして対面した瞬間を私は一生忘れない事でしょう。
端的に言うとイケメンすぎて全てを許した。秒で決着がついたな。例えこの人に親父を殺されても許すだろう、そう直感したよね。シャレにならん。
そんなイケメンとの出会いを思い出す私をよそに、博士はもっと古い記憶を語り出す。

「君はしっかりしたお嬢さんで…とても強くて謙虚だった」

それ本当に私か?と一瞬思ってしまった自分を恥じた。謙虚でもなければしっかりしてもいない事を痛いほどわかっているからだ。
純粋に褒めてくれた博士の顔を見られず、私は眉間を押さえた。別人説を提唱しながらも、でも博士がそう言うなら私もかつてはそうだったかもしれないと思い直し、無理やり納得させる。
そうだよ、多少チャランポランだけどまともな大人のプラターヌ…人を見る目はあるはずだ。友人がラスボスだった事はとりあえず忘れよう。乗り越えなきゃならない事もあるんだ世の中には。
きっと幼き日の私は博士の言う通り、謙虚でしっかりしてて強くて可憐で頭も良くてヤマブキ随一の美少女だったんだろう。そこまでは言ってねぇよ。

「どんな大人になるか…楽しみだったんだよ」

足長おじさんみたいに微笑まれ、こんな大人ですまんと心から思う。すまない。本当に申し訳ない。ニートの挙句に金目当ての玉の輿…控えめに申し上げて人間性が腐っていると思う。私もどうしてこうなったかわからないんだよ…わからないけど結婚する、それだけは事実だから。
でもマジにどうして突然結婚なんか…?と疑問を抱き始めた時、博士は足を止める。

「レイコ」

イケメンに呼ばれ、パブロフの犬のように私は振り返った。ほとんど反射運動。抗えない、顔の良さには。

「いま幸せ?」

しかしイケメンより強いものがこの世には存在する。そう、石油王である。
博士の問いに私は頷き、もちろん、と笑顔で答えた。ちょっと何故か旦那の顔が思い出せないが、たぶん人柄も良くて…背はまぁ低い方だけど、優しい人。お父さんと一緒で釣りが趣味なの。それはハッピーサマーウェディング。
本気で夫の顔が思い出せず、プラターヌがイケメンすぎるあまり記憶から消し飛んだのかな?と首を傾げていたら、博士は一言、よかった、と呟き、また歩き出す。どこまで行く気なのか不安になり、普通に寒いから私は早く帰りたかった。そもそもヤマブキに雪が積もるなんて相当レアだからな。ていうか今って本当に冬だったっけ?さっきコンビニ行った時は雪なんか降ってなかった気がするんだけど。
あやふやな記憶に一瞬立ちくらみがして、私は思わず博士の袖を掴んだ。高そうなコートの感触に焦るも、博士は優しく、大丈夫?と声をかけてくれて、中身もイケメンかよと正気を失いかける。やめろ身も心もイケメンなんて。欠点どこ?友人がラスボスなとこ?

「もし幸せじゃないって言ったら…」

袖を掴んでいた私の手を取り、博士は静かに口を開く。口元は微笑んでいたけれど、何だか意味深な目つきは私を硬直させた。

「このまま君を連れて逃げたかも」

出、出〜!チャラターヌ〜!
普段はまともなのに突然チャラくなるという特異体質のカロス人に私は苦笑した。冗談か本気かもわからないけど、もはや私は人妻なので軽率にジローラモになるのはおやめいただきたい。
ご心配なく…と適当に返し、どちらともなく手を離した。さすがに寒すぎたので私は独断で実家までの道を歩き、博士も文句を言うことなく、隣に並んでいる。妙な発言のせいで若干気まずくなった私は、仮に望まない結婚だったら本当に映画みたいに攫ったのか?と考え、ますますドツボにはまった。
そんなわけねぇだろ。地位も名誉もある博士が私みたいなニートを救うために石油王との結婚をぶち壊すなんて…ロマンスが過ぎる。熱いな。さすがに惚れてしまうかもしれないと、本気出したらすごそうなチャラターヌを見上げれば、すぐに目が合って導火線に着火は免れない。

「レイコさんと結婚したかったなー」

惑わされる!石油王でもないのに!
冗談でもイケメンの中年男性にそんな事を言われたら、喪女の私などひとたまりもなかった。ノォホホと花京院典明みたいなやばい声を出してしまい、心底リアクションに困る。
やめて非モテニートを揺さぶるのは。ただでさえこの結婚に疑問を抱き始めてるってのに…。チャラ男に騙されるなよ、と己を律し、やはり安定した堕落の日々を掴むのは金、すなわち石油だと言い聞かせ、私は軽く頷いた。

「それはどうも…」
「信じてない?本当だって!」
「冗談でもありがたいですね」
「僕は君に冗談を言った事なんてないよ。いや、一度くらいはあったかなー…」

苦笑する博士に苦笑で返して、それがすでに冗談やんけと安堵する。危うくときめきの導火線が体中を走っていくところだった…鎮火できてよかったわ。あんまり喪女にも人妻にも思わせぶりなこと言うのやめな。私じゃなかったら本気にしてたぞ。命拾いしたな。
半分呆れていると、博士はまだ性懲りもなくチャラターヌの人格を憑依させる。

「初めて会った時から…君には運命を感じてたんだけどな」

ロリコンじゃねーか。光源氏も引くわ。
ジョークにしてもキツいからやめとけ、とマジレスしかけたが、家が見えてきたので帰った方が早いと判断し、博士には引きつった笑顔を返しておいた。
いくらイケメンでもロリコンは駄目だよ…いや罪さえ犯さなければどんな趣味を持っていても構わないが、そっと胸に秘めておいてほしい…そう思います。まぁ冗談だろうけどな。本当に運命なら、私は石油王と結婚なんてしてないだろうし。

「…本当にあると思いますか?運命って」
「もちろん!その方が素敵だしね」

まさかの感情論を展開されたが、プラターヌ博士らしいなとも思ったので、私は思わず笑ってしまった。
そうなんだよな…天然ボケだしチャラいしいい加減なところもあるけど、謎の癒しオーラと人の良さから全く憎めないのがこのプラターヌ…どれだけ思わせぶりな言動に振り回されようが、最後には全てを許してしまうんだよな…顔もいいし…。イケメンだから許してる可能性も否めない事には気付かないでおいた。
博士はこのまま宿泊しているホテルへ帰ると言うので、我々はここで解散となった。式場でお待ちしてますと告げ、ロマンを信じる博士の元に、いつか本当の運命の相手が現れる事を祈る私だったが、そんなこちらの思いを断ち切るよう、彼は別れの言葉を吐くのだった。

「さよならだ、僕の運命の人」

その時、何だか懐かしいような気持ちになって、私は博士に全くリアクションできず、ただ後ろ姿を見送った。ずっと昔にも、誰かに運命の人だと言われた事がある気がして、感化されすぎた自分に苦笑する。
ないな。運命なんて私は信じちゃいないし、そんな相手はどこにもいねぇよ。石油王だって別に運命じゃないしな。唯一信じる運命があるとしたらそれは…ニートという衝撃的な肩書きとの出会い…それだけよ。
相変わらずのチャラターヌに呆れ気味だったが、高そうなコートを身に纏う後ろ姿を見ていると、どうにも胸がざわついて仕方がないレイコなのであった。
いい年して運命とか言ってるからかな。そろそろ現実見ろよ、光源氏。