新婦来賓・知人

結婚を報告しただけで、こんなに怖い事を言う人は他にいないだろうと心底思う。

「ゲンガーの催眠術は強力なんだ」

カフェテラスでコーヒーを飲みながら、私はマツバのやばそうな話を聞いていた。
ご存知、私は石油王夫人のレイコ。お世話になったのかならなかったのか微妙なマツバさんに結婚の報告へ行くと、おめでとうの代わりにそんな話を切り出され、すでに恐怖は限界ギリギリである。

「たとえば、結婚を決めた君を心変わりさせる事もできる」

ほらね?ガチ。怖さのレベルが違う。だってリアルすぎるから。
思わずコーヒーを吹き出しかけ、私は何とか、もうマツバさんったら!と昭和的な誤魔化し方をして苦笑を浮かべた。内心ではもちろん震え上がっている。
いやマジに怖すぎやんけ。催眠術ってそんな事できんの?やばすぎだろ。この幸せの絶頂でとんでもない事を言うマツバに、さすがに不謹慎でしょ!と注意してもよかったかもしれない。でもできなかった。理由は怖いからだ。俺は…俺は弱い…!

マツバは、ゴーストタイプの使い手の中でも特にオカルト色の強い男である。人には見えないものが見え、時には未来予知すら可能というのだから、極力敵に回したくない相手だ。いや回す気は全然ないけど。世界中が敵になってもあなたには味方でいてほしい、そう思います。
そんなマツバとはジョウトで出会い、共に夢追う者として切磋琢磨したりしなかったりと、とにかくいろいろあったから、結婚式に呼ぶのはもちろん、挨拶くらいしとこうかなと思った次第である。そういう健気で律儀な私にマツバはブラックすぎるジョークを飛ばしてきたため、今世紀一番リアクションに困った。どう返事しろってんだよ。ヤダ怖い〜とか?呪われそう。

「でも、その必要はないかな」

反応に迷っていた時、相手の方からアクションを起こされ、私は首を傾げた。いつも爽やかなマツバが急に真面目な顔をしたから、まさかこの結婚は凶兆なのかと身を乗り出してしまう。
わざわざ別れさせなくてもどうせすぐ離婚する…的な!?それとも結婚詐欺だから婚姻自体無効!?
確かに都合良く石油王が現れるなんてちょっとおかしいと感じていた私である。でもね、いい人なんですよ私の夫は。顔も名前も全く思い出せないがいい人なの。必ず幸せになれる、そういう気がするんだって。
大丈夫です!と浮かれた返事をしかけた時、マツバは不意に私の手を握った。突然の昼顔妻ムードに驚いたのも束の間、もっと衝撃を受ける発言を彼は私に向けたのだった。

「レイコちゃん」

真っ直ぐマツバに見つめられると、頭の中がすっきりするような感覚に陥る。

「これは夢だよ」

夢?

「よく思い出してごらん」

何を言い出すかと思えば…。私は鼻で笑い、首を横に振った。
何言ってんだこのオカルトマニア。夢なわけないだろ。こんなに意識もはっきりしてるのに。握られた手の温度も明確にわかる状況で、夢と言われて信じられるはずがなかった。
いくらマツバでもそれはないな。大体結婚の夢見るとか悲しすぎでしょ。私は確かに石油王と出会い、働く必要はないという力強いプロポーズを受け、婚姻届にサインした。幸せだった。指輪をくれた時の彼の顔を、今でも鮮明に思い出せる。思いだ…思い出せ…。
ない。

思い出せねぇ。婚約者の顔。名前も出身地も、何なら式の日取りさえも。
別に気にしてなかったが、これはどう考えてもおかしいのでは?と私はようやく異変に気付いた。
え?おかしい。超おかしくない?ニートの私が結婚とかありえなくない?
正気を取り戻したような気分だった。夢と現実の狭間に佇み、私はモヤがかかった記憶を掘り起こそうとする。
しかしその瞬間、私の思考を遮るよう、突然マツバの後ろにスリーパーが現れた。数メートル先にいきなり黄色い生物が見えて視線を向けない奴がいるなら、是非ともお目にかかりたいと思う。
なに、びっくりした、どっから出てきたんだあいつ。イケメンと向かい合ってる時にお目汚しすぎるポケモンを見て、私は失礼を承知で顔を歪めた。
相変わらずニヤついたポケモンだな…図鑑の説明も怖いしロリーパーなんて言われたりするし。マジでどこから現れたんだよ。そういや最近見かけた気がするけど…どこで見たんだっけ?
手に持っている振り子が動きそうになった時、マツバが私の視界を遮った。

「こっちを見て」

いきなり黄色い生物が現れて視線を向けない奴はいないが、イケメンにそんな事を言われて振り向かない奴もいないだろう。
謎の顔面ガン見許可に、私はここぞとばかりにマツバを見つめる。思いがけず訪れた目の保養タイムは、婚約したとはいえ堪能せずにはいられない。
よくわかんないけど見ろと言うなら見るわ。相変わらず顔がいいな。吊り目のイケメンも悪くないが、垂れ目のイケメンは物腰柔らかそうで親しみやすさがあるよね。金髪が若干近寄り難いけど、それもまたバランスというか、とにかく杉森建がいい仕事をしてるって感じだ。
普通に見惚れている私だったけど、さっきから視界の端でスリーパーがバブリーダンスを踊っている事が、実は気になって仕方がない。
なんだあのキレ。スリーパーってあんなに動けんの?登美丘高校のあの癖の強いコーチに師事したのか?どこからともなくダンシングヒーローが聴こえてきそうな高クオリティに、度々マツバから視線を逸らしてしまう。
マジで気になる。見たすぎる!
イケメンに集中できないでいると、そんな私を見てマツバは笑った。

「好奇心旺盛なところは嫌いじゃないな」

半分呆れた声だったけど、もはや我慢も限界で、私は勢いよく立ち上がりスリーパーを見た。
するとバブリーパーはキレのあるダンスをピタリと止め、代わりに振り子を素早く揺らす。途端に意識が朦朧とし始めた私を、マツバは介抱するでもなくただ見守っていた。まるで現実じゃない事を知っているみたいに。

「夢とはいえ…君が誰かと結婚するのは気分がよくないね」

最後にそんな囁きを聞いた気がしたが、私の脳裏には衝撃的なバブリーダンスしか焼きついていないのだった。