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私に掴み上げられた男は困惑の表情
それに驚いて口を開いたまま動けない優香ちゃん



「あなたも思ったんですか」

「は、はぁ?」

「あなたも、“潜在犯の息子だし別に良い”って思ったんですか」

「離せよ!何だよいきな

「蹴ったり殴ったり、あなたもしたんですか!」

「あぁ!したよ!それがなんだよ!あんたと何の関係があるんだよ!」



私だってそういう現場を見た事がないわけじゃない
でもただ見てることしか出来なかった
何も出来なかった

それが今こうして、伸兄に暴行をした1人を掴み上げてる

初めて面と向かって当事者からそんな話を聞いて衝動的だった

心配だとは思いつつもどこか他人事のようだった当時とは比べ物にならない程、直接肌で感じたようなイジメの証言に一気に理性が吹き飛んだ

ざわめき始める周囲にも気を配れない



「ふざけないでください!あなたに何の権利があってそんな事が出来たんですか!?」

「あんたにこそ何の権利があってこんな事してるんだよ!」



さすがやっぱり男の人で、私の手首を掴む力に痛みが走る
強気な態度とは裏腹に自分の指先が震えてるのが分かる



「そんな事をしておいて許されると思ってるんですか!?何の罪もない人を....潜在犯の息子ってだけで....本人が潜在犯でもないのに!」

「知るかよ!俺の色相はクリアだ!それに、抵抗もしなかったあいつが悪いんだろ!?」

「あなたみたいなクズに抵抗する価値もないからですよ!」

「っ!今のれっきとした名誉毀損だぞ!」

「本当の事を言っただけですよ!抵抗もしない罪もない人に暴行を加えるなんて、クズじゃなければ何なんですか!?」

「あんたさっきから....自分が何言ってんのか分かってんのか!?」

「っ痛!」



思い切り突き飛ばされ視界が歪んだ
床に打ち付けた肩が悲鳴を上げた気がした
あと口も切ったかな、鉄っぽい味がする


「行くぞ優香!....なっ、いい加減にしろよ!」


そう立ち去ろうとする姿に、急いで立ち上がって全力で引き戻す


「まだ終わってません!逃げるんですか!根性無し!」

「この女...!」

「謝ってください、ここで、今すぐ!」

「はぁ!?」

「暴行を加えた事、潜在犯の息子だと誹謗した事、全てに謝罪してください!それまで離しませんから!」

「頭おかしいんじゃないのか!あんな奴に謝る価値ないだろ!」

「そんな“あんな奴”に一度でも成績で勝てたことありますか!シビュラにより良い適性を貰えましたか!馬鹿にしないでください!」

「知らねーよ!あんたいい加減にしないと....」

「同じように殴りますか?蹴りますか?そしたら間違いなく警察が来ますよ」

「....来たところで何が出来るんだよ、俺のサイコパスは健全だ!むしろあんたの方がやばいんじゃないのか!」


ダメだ
もう止められない
止まらない

こんな奴に、こんな奴に伸兄は....
私ですら負の感情に染まり始めてるのに、伸兄はどうやって耐えてたの?
差別やイジメに対して弱音一つ聞いた事がない

握り締めた拳に力が入る


「だいたいあんた何でそんなにあいつを庇うんだよ、なに?まさか彼女?」

「あなたには関係ありません、余計なこと言ってないで謝ってください!」

「あんたに謝ってどうするんだよ」

「あなたが気にすることじゃありません!」

「はぁ?得体も知れない女に遠い過去の話蒸し返されて、謝れとか意味わかんねーだろ!」

「とにかく謝ってください!」


じゃないと....
じゃないと私

怒りや悲しさにおかしくなってしまいそうだ

爪が食い込んでも緩められない拳
鼻の奥がツンとして目頭に熱さを感じる


「っ、な、なんだよ!」

「謝って...一言でいいから...」

「ふざけんなよ!なんで俺が

「いいから謝ってよ!一言“すみませんでした”って言うのがそんなに難しい!?」


敬語すら忘れてしまうほど私の頭は真っ白だった


「どうして....どうして!どうしてあなたみたいな人に無意味に殴られなきゃいけなかったの!?」


伸兄が何をしたって言うの?
抵抗すらしなかったのに!

助ける事も出来なかった私が今更言うのは筋違いかもしれないけど、何で伸兄がそんな目に合わなきゃいけなかったの



「....あんな奴!殴られて当然なんだよ!」

「....当、然....?」


その言葉に、振りかざした拳に“やっちゃえ”と促す精神と“そんな事したらこの人と同じだ”と止める理性

荒くなる呼吸

許せない





「....ふざけないで....あなたなんか....あなたな

「落ち着け!何してる!」


突然後ろから腰に回された腕に、目の前の男から引き剥がされる


「えっ、ちょっ、嫌、嫌だ!まだ終わってないの!」


その腕を振り解こうと、もがけばもがく程強まる力
それが誰だかは見なくても分かる

腰に絡まるレイドジャケットの紺色の袖を必死に押し退けようとした


「名前!」

「やめて!離して!離してよ!」

「いい加減にしろ!」

「ダメ!あの人....あの人伸兄を、っ!」


強引に体の向きを変えられると、
私を強く包み込んだ慣れ親しんだ香りに


私はただ叫ぶように泣き崩れた





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