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チラッと時間を確認する

もう間も無く21時

伸兄から連絡も無いし、課長とも会話は一切無い

さすがにお腹空いて来たけど、課長を横に“休憩行ってきます”なんて言えるわけがない

それより課長本当に私が帰るまで帰らないつもりなのかな....
そんなの部下としては地獄だ
自分の匙加減で帰れるけど、それはつまり自分から帰る旨を言い出さなきゃいけない
無理だよ....
もう早く迎えに来てよ...



....そうだ、これなら

「あ、あの!」

「はい」


私を見もせずに作業を続ける課長


「そろそろお疲れではありませんか?何か飲み物や食べ物を買って来ましょうか?ご迷惑をお掛けしているお詫びにも....」

「いえ、結構です」


キッパリと拒否されて私は呆然とした
そこは色々察して欲しかったのに、やっぱりこの人は冷徹...


「私が行きましょう」


....冷徹?


「....え?そ、そんないけませ

「これは本来あなたがこなすべき業務でした。そんなあなたが席を離れ、私がその間も作業をするのは妥当だと思いますか?」

「....失礼、しました....」

「それに加え、部下で尚且つ女性に奢られるわけには行きません。上司である私の立場も考慮していただきたいですね」


....ものすごい飴と鞭にもはや言葉が出なかった
もしこれが意識的にされてる事なら、課長は相当印象操作が上手そう


「何か特別な要望はありますか?無いようでしたら私の判断で購入します。その場合異論は受け付けませんが」

「わ、私コーヒーは苦手なので....それ以外であれば....」

「分かりました。すぐ戻りますのでそのまま作業を続けていて下さい」


そう言ってオフィスを出て行った課長にようやく緊張が解ける
と同時にお腹が鳴り、よく我慢したと自らを褒めた




今一係は何をしてるんだろう
現場に行くって言ってたから何か事件でもあったのかな

そう言えば新しい監視官は今週中に来るって言ってたけど、早く会ってみたいような....会いたくないような....

当初青柳さんに抱いていた感情と似たようなものを感じてしまいそうだ

13省庁6公司全てに適性が出ておいて公安局刑事課を選んだくらいの女性
きっと強い人なんだろう

こんな弱い私じゃ....もしかしたら狡噛さんは....


「はぁ....」


分からない
こんなに好きなのに
愛されて嬉しいのに
自分に自信が持てない上に、
そこはかとない原因不明の不安に押し潰されそうになる


それに私と同じように変化しない伸兄のサイコパス
私が濁っていては自分もクリアにならないと言った伸兄の為にも、早く解決しないと

....それでも向島先生の提案は最終手段だ





それより今は、とキーボードに手を掛けた時だった

手元に置かれたペットボトルの中身はお茶


「....進んでいませんね」

「っ、か、課長がお戻りになるのが早かったんですよ」

「....まずは少し休憩をしましょう。先に選んで下さい」


そうデスクに乗ったのはサンドイッチとおにぎり


「ありがとうございます....」


私がサンドイッチを手に取ると、残ったおにぎりを課長が取る


「名字さん、カウンセラーには行っていますか?」

「い、いえ....行ってません....」

「何故ですか?」

「....あまり意味がないと判断しました」

「ではどうするつもりですか?いつまでもそんな様子では人事課全体が困ります」

「申し訳、ありません....」


そんな事言われなくたって私だってどうにかしないとって思ってる
むしろ私が一番困ってる

サンドイッチを小さく一口かじる


「カウンセラー以外に相談できる人はいますか?」

「ま、まぁ....」

「....あなたの人事ファイルによると緊急連絡先が同住所の男性の名前になっていますが、この方は刑事課の職員ですね」

「....はい」


目の前で開かれた自分の人事ファイル
概要欄には今までの欠勤や早退届などの記録の一覧
その申請人の欄はほとんどが“宜野座伸元”の文字
少し前に1ヶ月入院していた時も、全部手続きをしてくれたんだろう


「具体的にどのような関係なのか聞くのはあなたのプライバシーに関わるのでやめておきますが、少なくとも一緒にお住まいになっている以上、それなりには近しい間柄なのではありませんか?」

「そう....ですね」

「公安局刑事課、その中でも検挙率がトップと名高い一係を取り仕切る監視官ともなれば、かなり頼れる強い存在なのではないですか?我々とは違い強靭な精神を持ち、日々潜在犯と立ち向かう中でメンタルケアに関しても熟知している事でしょう」

「....既に充分以上に支えてもらっています」


私を見つめる課長の視線からは、何を考えているのかは分からない

でもきっと、“充分以上に支えてもらってる”と答えた私の言葉と、明らかに良くない私の精神状態がまるで合理性が無いと思っているのだろう


「とても充分なようには思えませんが」


その言葉に最後の一口を押し込んでお茶で流し込もうとしたその時だった




人事課オフィスの扉が開き、そこから現れた人物を見て急いでデバイスを確認した

....メッセージ2件と不在着信5件

レイドジャケットを着込んだ姿と、現場に出たという前情報からしてそこから帰って来たばかりなのかな


私に“お迎えですか?”と聞いた課長に、“そうだと思います”と返すとパソコンの電源を切り出した


私に向けられた“どういう事だ”とでも言いたげな表情を読み取り、すかさず人事課長だと紹介した


「....そうですか、いつも大変お世話になっています」


そう軽く会釈をした伸兄は、まるで私が何か悪さを働いたせいで呼び出された保護者の様だ


「私は帰らせて頂きますが、後は監視官にお任せして大丈夫ですね?」

「....はい、このような時間までありがとうございました」


そんな会話とも言えない程の短い言葉の交わし合いをした男性二人は肩ですれ違った






「....えっと、帰るんだよね?ちょっと待っ

「いや、自分で帰れるか」

「え?伸兄まだ帰らないの?」


そう聞くと不機嫌そうに目を逸らされた


「....新任の監視官が盛大にやらかしてくれた。それの処理が終わるまでは帰れない。どうしてもと言うなら家まで送るが、急いでいるから早く決めろ」

「あれ?今日だったの?やらかしたって?何したの?」

「....っ、説明している暇は無い!自分で帰るのか送って欲しいのか今すぐ決めろ!」

「なっ!怒んないでよ!....いいよじゃあ...そんなに忙しいなら自分で帰るよ....」





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