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家の最寄駅で電車を降りて帰路に着く私の脳内は溜息ばかりだ

常守さん....を一度は朱さんと呼んだけど、それに慣れるのにはまだ時間がかかりそうだ
いくら先輩でも上司でもないにしろ、監視官となるとやっぱり....



そんな常守さんと初めて会ったと言うのに、その目の前で...

常守さんが出て行った後、尚も離してくれない逞しい腕の中で、さすがに私は疑問と不満をぶつけた


『ちょっと、何考えてるんですか!?私さっき初めて会ったんですよ!?』

『なんで逃げた』

『....え?』

『自分が水を取ってくると、俺が呼んだのにも関わらず逃げただろ』

『そ、それは....』


なんとなく邪魔するべきじゃないと思ったから
何をどう言っても自分をドミネーターで撃った相手を許し、普通に会話出来ていたのが納得行かなかった

その空気に入っていけなかったし、ちょうど水を取りに行くという任務があったから、それを代わりに引き受ける事にした

私を少し見上げる視線にどうしたらいいのか分からない


『ギノから聞いた』

『え?何をですか?』

『心配してたんだろ?俺が常守に心移りするんじゃないかって』

『っ...まぁ...』


なんで伸兄言っちゃうかな...


『どうして信じてくれないんだ』

『....別にそういう訳じゃ....ないんですけど』


狡噛さんを信じてないというよりも、自分に自信が無い方が正しい
自分が常守さんに勝ってるとは思えない


『さっきのは本当にキスしたかったのが半分、もう半分は見せ付けだ』

『つ、常守さんにですか?』

『違う、お前にだ名前。常守の前だろうがなんだろうが、俺が好きなのはお前だ。俺が見ているのはお前だけだ』

『.....』

『だから心配するな』

『....じゃあ一つ聞いていいですか?』

『なんだ』

『.....彼女さんとはどうして別れたんですか....?』

『....誰から聞いた』

『....狡噛さんが殴った同級生の彼女さんです。狡噛さんがデートしてたのを見た事あるって言ってました』


大きく息を吐いた狡噛さんに、私は聞いたのを後悔しそうになった
だから次の発言はとてもじゃないけど予想出来なかった


『別にそもそも好きでもなかった。ただシビュラに言われたから付き合っただけだ。それ以上もそれ以下もない』


....好きでもないけど付き合った
でも、好きでもないから別れた....?


『俺を選んだら、同じように捨てられると思ったのか?』

『い、いえ....その....』

『はぁ....全く、その心配性は誰に似たんだ』

『え、あ、狡噛さ....いっ』

『俺の心はお前の物だ。取るか取らないかはお前次第だが、俺が勝手に取り戻しはしない。全ての決定権はお前にある。お前がその決断を下すまでいくらでも伝えてやる。好きだ名前、』

『んんっ....はぁ、待っ、ん』

『お前だけを愛してる』


どうして
こんなにも強く抱き締めてくれてる
こんなにも愛されている
それでも拭えないこの不安は何?

苦しい

私はそれを深く激しい口付けによる、酸素の欠如が原因だと自分に言い聞かせた















自宅玄関前、鍵を開けて扉を開く

「ただいま」


なんか今日は2日分過ごしたような気分だ
疲れたというより新しい事があり過ぎて


「遅いぞ、今何時だと思ってる」


その言葉に時間を確認すると、間も無く21時


「....ごめん、今日も残業してた」

「狡噛は、どうだった」

「....私今残業してたって....」

「残業した後に行っただろ。お前が会いに行かない訳がない」

「....まだ歩けないけど元気そうだった。明日には良くなるって。....疲れてるからシャワー浴びてもう寝るね」



私はカバンをリビングに放置して、そのまま浴室へ向か


「ちょっと待て」


おうとした


「な、なに?」


掴まれた手首と、私を鋭く射抜き離さない瞳

....いや、まさか...
その思いに胸の鼓動が速くなったのが分かる


「.....何も無いなら離してよ、疲れてるって言ったじゃん」


うんともすんとも言わない伸兄は、ただ静かに後ろ手にテーブルの上の監視官デバイスを取り、それで私をスキャンした


「え、別に悪化してないよ。そんな感覚無

「黙っていろ」



実際確かにそんな感覚は無い
いつもと同じ

いつもと同じように狡噛さんへの不安を感じ、伸兄のサイコパスを心配している



「あ、もしかして逆!?改善した!?」


喜ぶ私に一切反応せず、ただただ私を見下ろす


「....な、なんか言っ

「聞こえなかった、黙っていろと言ったんだ」

「.....」


....息すら出来なくなりそうな静かな圧に、緊張が高まり続ける

....まさか本当に、バレてる?
いや、そんなはずは....
だって私普通にしてた

バレるはずがない



「....え?」


空いていた方の手でもう片方の手首を掴まれると、もともと掴まれていた手首と束ねられる

細く長い指と大きな掌が、しっかりと私の自由を拘束する

やばい
嘘だ、
そんな、
あり得ない


「っ!待って!ちょっ、ねぇ!」


首元に迫って来る手に、声を上げる以外抵抗できる術がない


「伸兄!待って!待ってってば!」


痛みは無い程度に掴まれる両手首は、どうしても解放されない
相手は片手で掴んでるのに、やっぱり力では男性には勝てないというのを思い知らされる

首を這うようにシャツの襟の下に潜り込む手

くすぐったさからも、見られてしまう焦りからも逃れられない


「お願い!伸兄!お願いだから....」



ダメだ、外気が入ってくる

それを見つけただろう目の前の人物からのし掛かる重い吐息



「.....よくバレないと思ったな」



むしろなぜバレたのか

鎖骨当たりの医務室で狡噛さんに付けられた跡



「名前、これ以上は見過ごせない」

「....どういう意味?」

「シャワーは後にしろ」

「え?....なっ!待っ、んん!?」


強制的に降り注ぐ口付けに、頭が追いつかない


"これ以上は見過ごせない"って何が?
どうして伸兄は何も教えてくれないの?


わざとなのか、深いのに適度に苦しくないのが伸兄らしい



「....今シャワーでもいい、選べ」


唇が僅かに触れる距離で紡がれた質問
互いの荒い呼吸が交わる


「.....でももう浴びたでしょ?」

「....いいだろう、掴まれ」



全く、どうしてこう何もかも理解してくれるのか

でもそれなら私だって劣りはしない



「そっちこそ、浴びたいんでしょ?」

「....お前はそのスキルを自分に使ったらどうだ」



そんな会話をしながらも、ついてきたダイムを入れないように伸兄の後ろで閉まった浴室の扉

私のスーツは丁寧に脱がしつつも、潔癖なその人物にしては乱雑に脱ぎ捨てられた衣服は、この場の雰囲気を形容していた



「自分には応用できないスキルだから」

「不便極まりないな」

「だから教えてって言ってるの、んぁっ...に....」


密着する身体の間をシャワーのお湯が抜けていく


「子供相手にこんな事はしない」


あぁ..."大人扱いして欲しいなら自分で考えろ"
その逆を揶揄したのか


「んっ、ちょっ痛っ!そこはダメで、んんッ!」


鈍い痛みを感じた場所はどう考えても第一ボタンまで閉めないと....


「俺のネクタイを貸してやってもいい」

「....締め方知らないし」

「俺がいる」




熱気に包まれていく室内に、少しだけシャワーの温度を下げた





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