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「タリスマンサルーンは相変わらず千客万来。葉山公彦の幽霊は今日ものうのうと人生相談に大忙し、と」
「逃げも隠れもしないどころか、クラブエグゾゼの件、ネタにしてる有様ですよ」
あれから半月が過ぎ、私達は新たな事件に立ち向かっている
あの翌日、宜野座さんには誠心誠意の謝罪をしたが、"もう終わった事だ"と言われただけで特に何も起こらなかった
その翌週には名前さんもまた刑事課に訪れるようになり、とても元気そうだった
ただ変わったのが、どうも狡噛さんの機嫌が悪そうだという事
名前さんも元気になり、"不安"も解決出来たはずなのに、そんな名前さんとは反対に狡噛さんは落ち込んでいるようだった
縢君と共に"どうしたのか"と訪ねたけど、何でもないと追い返された
今週に入ってから名前さんの姿はまだ見ていなくて、宜野座さんによると"忙しい"らしい
人事課は今繁忙期なのかな
「....あれ?ギノさん珍しいっすね」
そう急に呟いた縢君に、皆が宜野座さんを見た
....ただ一人狡噛さんを除いて
「珍しいって?何が?」
見た所特に変わった様子は無い
「アクセサリーなんて付けたことないじゃん」
「....アクセサリー....?」
「....やめろ、俺を見
「あぁ!」
「....っ、宜野座監視官、お付き合いされてる方がいたんですか?」
「ちょっと!いつからよ!全然気づかなかったじゃない!紹介しなさいよ!」
「黙れ!仕事中だぞ!」
「....おい伸元、お前まさか....」
驚くべき事に、ついこの間"幸せが訪れませんよ"とか"他人の幸せを妬んじゃダメですよ"とか言ってしまった宜野座さんが、左手薬指に銀色に光る指輪をしている
「え?何みんな。彼女居なくても指輪するでしょ」
「そのしてる指が問題なのよ」
「右手の薬指?」
「左手よ」
「え、左手!?....あ、本当だ!嘘だ!ギノさん結婚したんすか!?」
「うるさい!ミーティングの続きをしろ!唐之杜、タリスマンサルーンのログを
「この情報分析の女神様を舐められたら困るわよ」
「っ、おい!やめろ!」
相変わらず一言も話さない狡噛さんの前で繰り広げられる騒動
皆宜野座さんが結婚した事を信じられないみたいだ
その相手を探ろうと唐之杜さんは物凄いスピードでキーボードを叩いている
.....全く知らない人を探し当ててもしょうがないのに
私は後ろで見守っていたが、すぐにまた縢君と唐之杜さんが騒ぎ出した
「ちょ、ちょっと....人事課の職員名簿に名字名前の名前が無いじゃない....」
「....名前ちゃん退職したんすか?」
「していない!もういいだろ!葉山の話に
「あぁ!!えぇ!?」
「....お、おい、コウ....」
「マジ!?ちょっとコウちゃんどういう事!?」
今度は一斉に狡噛さんに向けられた視線に、その原因となったスクリーンを覗き込むと、前に閲覧した名前さんの人事ファイル
優しく笑う顔写真がとって...も....
「....え!?」
そのファイルに示された人物名は
宜野座名前だった
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半月前
カウンセラーの言葉に突然頭が真っ白になった私は、次の瞬間常守さんに腕を押さえつけられていた
パニックでぐちゃぐちゃの頭と体が、迫り来る針に悲鳴を上げた
自分でも分かるほど、自分の全てをコントロール出来なくなっていた
そんな時に突如した声に振り向くと、私を見捨てたはずの伸兄がいた
「名前、大丈夫だ、落ち着け」
そう優しく強く抱き締められた温もりに、心が静まっていった
少しずつ落ち着いては来たものの、ようやく理解した自分の気持ちと現状に今度は普通に涙した
「なん...で....やめてって、言ったじゃん....ハグも....キスも....もうやめ
そんな私の言葉を遮ってまでされた、触れるだけのキスにまた涙が溢れた
「今更なんなの.....どうして助けてくれなかったの!一人にしない、離さないって言ったじゃん!なのに何で....」
「一度もお前を離したりした事は無い!お前をある程度自由にさせていたのは、自分で気づいて欲しかったからだ」
私は伸兄のスーツの袖をしっかり握った
もう離れないように
離さないように
「....悪かった、辛い思いをさせた」
そんな、私の方こそ謝らなきゃいけない
見捨てられたと勘違いして、散々酷いことを言ってしまった
結局私は止めて欲しかったんだ
その根本にある感情が分からなかっただけで、私はずっと伸兄を求めていた
「伸兄....ごめん....ごめんね.....本当に....」
「....やっと気付いたか....」
カウンセラーの先生に、
狡噛さんは私が大好きで、本当に愛しているからこそ、私と結婚したいとプロポーズをした
と言われた時に皮肉にも気付いてしまった
狡噛さんは、私が大好きで愛しているから結婚したい
その一方で私は、確かに狡噛さんが大好きだけど
狡噛さんに"愛してる"と言えない
あんなにも愛してくれているのに、私は狡噛さんを愛していない
真っ直ぐに私に愛情を伝えてくれる狡噛さんに、同じように伝えてあげられない事が不安だった
その不安が罪悪感に変わり、私を苦しめていた
でも好きな人である事には変わりない
そこが私の複雑なところだった
私にしか理解できない事なのかもしれないけど、好きという気持ちの延長線上が愛ではない事を思い知った
そしてきっとそれは伸兄も同じ
互いに恋愛感情が無いのは分かってる
だからお互いに対し、恋する様に好きだという感情は無い
それでも、前に向島先生が言っていた事
"愛情は最強の武器になる。この人の為なら何でも出来る、一緒ならどんな苦難も乗り越えられる、と強く思えるのなら、その人物は生涯のパートナーには最適"
これが私には狡噛さんがしっくり来なかった
....むしろ
「伸兄、私
「待て。....まずは家に帰ろう」
「....恥ずかしいの?」
「常守もいるんだぞ」
「私は平気だよ」
「.....その....お前に言われるのは.....」
「なにそれ、私が言うのはダメなの?」
「....とにかく帰るぞ。ほら立て」
「やだよ!せっかく分かったのに!言わせてくれないと帰らない!」
「なっ、名前!」
「伸兄、あい
咄嗟に私の口を覆った手と、耳元に直接感じた吐息
「....それは俺だけに聞こえればいい。俺の言葉もお前だけが聞いて欲しい」
その肩越しに常守さんの横顔が見える
「....遅くなってすまなかった。愛してる、名前」