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パソコンの画面で時計を見る

....もうすぐだ

しばらく刑事課に来ていなかった名前が、俺に"ギノを選んだ"と告げた日以降、4日連続でここに来ている

もう既に選び、全ての事が終わった後に告げられたという点も、俺が自分の中で上手く感情を処理できていない原因だった

俺もあの後ギノに何も言えず、あいつも何も言って来ない

そんな刑事課一係は、俺の心情以外全てが普段通りだった

名前が姓を変えたのを知るのも未だ俺だけだ
ただただ"普段通り"の光景に、誰も変化を見出せなかった




そしてやはり、オフィスのドアが開く音と共に入り込んで来たのは愛しい声


「皆さんお疲れ様です」


その姿を振り返ることが出来ない
名前の笑顔を見れない自分がいた


「お、名前ちゃん!最近よく来てるけど元気になったの?」

「うん、もうサイコパスもバッチリだよ」

「それなら安心したよ。ねぇ名前ちゃん、最近いい事あったっしょ?」

「な、なんで?」

「なんかハッピーなオーラが溢れちゃってるもん!ついにコウちゃんと結婚した!?」



ここにいる奴らは誰も名前がギノと結婚するとは夢にも思っていない
それは俺も同じだった

互いに恋愛感情が無く、幼少期から兄妹のように一緒だった二人が結婚するなど考えもしなかった

"好き合ってはいないが、愛し合っている"という事のようだが、あの二人の関係性は俺達には本当に理解し難い

だが縢の言う通りだ
名前は今までに無いほど幸せそうだ

唐之杜は、名前が俺といると幸せそうだから俺を応援すると言った
それがどうだ
.....悔しいがこんなに美しい名前は見た事がない

だからこそ、そうさせているのが俺だと勘違いされるのがこの上無く辛かった
誰が見ても溢れんばかりの幸福に満たされている名前は、ギノによって成されたものだ

縢に悪気は無いとは分かっているが、ただ笑って"違う"とごまかす名前にも、誰にも何も言わないギノにも、俺は徐々に首を絞められているような気分だった


「縢、憶測でそんな事を言うな」

「....なにコウちゃん、ギノさんみたいじゃん」


....縢は悪くない
縢に悪気は無い
そう己に何度も言い聞かせないと、もうどうにかなってしまいそうだ

そんな女々しく囚われ続けている俺に追い討ちをかけているのが、


「狡噛さん、今日もいいですか?」


名前だった
紙の本を読みたいと、ギノが退勤するまでの間俺の部屋に来る
俺の当直が終わっている場合は一緒に部屋に戻るが、そうじゃなければパスコードを教え、自分で行かせている

そんな今日は、俺ももう退勤時間だった


「....あぁ」


断れるはずもない
俺はただ流されるように、席を立った


「相変わらず熱々だねぇ、いい報告を待ってるよ!コウちゃん!」


俺は、俺に出来る最大限の努力でその言葉を無視した




















宿舎のロックを解除すると、名前はそのまま本棚へと向かった

そこから最近読み始めた書籍を引き抜くと、ソファに一糸乱れずに座った


「....ギノはいいのか」


何をどう言っても、何度かは関係を持った男の部屋だ
そんな場所にあいつが喜んで送り出すとは思えないが....

そんな心配がまだ出来る俺は、意外と理性的かもしれない


「はい、信じてますから」


それは、お前があいつを信じているのか?
それとも、あいつがお前を信じているのか?

そう疑問に思ったが、すぐに"あぁ、この二人はそういう奴らだった"と思い出す

他人には信じられない程、強固に信じ合う二人だ

ギノは名前を信じ、名前はそんなギノが信じてくれている事を信じる

全く....本当に敵わない




同じ部屋で、他の男に奪われた愛する女が本を読んでいる

そんな現実から目を逸らすように、俺も本で視界を覆い、火を付けたタバコを加える





....がやはり耐えられない

文字がまるで暗号の様で、全く頭に入らない

むしろ、俺の言動に恥じらい頬を赤く染めた表情や、共に過ごした夜の情景ばかりが呼び起こされる




「....どこか行くんですか?」

「シャワーを浴びて来るだけだ」




これ以上同じ空間にいると、また取り返しのつかない事をしてしまいそうだった

触れたい

それが叶わないのなら、せめて触れられる距離にいないで欲しい
だが"もう来るな"と言える勇気も無い

....俺自身が遠ざかるしか方法が無かった








服を脱ぎ捨て、降り注ぐお湯を頭から全身に浴びる


「....クソっ....」


最初から俺に勝ち目は無かったのか
俺は負け戦に自ら挑んで行ったのか

そんな今更どうしようもない事を考えては、歯を食い縛る


正直未だにあの二人が愛し合い、結婚した事が信じられていない
確かに名前は幸せそのものだが、二人が何かをしたところは見ていない

もしかして俺は騙されているんじゃないかとすら思う

きっとそんな思いも、俺に僅かに残酷な希望を持たせている要因だった

名前はまた俺を見てくれるんじゃないか
また俺に秘めた姿を見せてくれるんじゃないか
またあの泣きついて来た夜みたく、俺を求めてくれるんじゃないか

そう思う程に、俺は急いでシャワーを止め適当にトレーニングウェアを着て浴室を出た






名前


その名を口にしようとしたのを、俺は反射的に押し殺した











俺が見たのは、迎えに来たであろうギノの首の後ろで腕を絡ませ、ヒールを地から浮かせている後ろ姿だった

それに応える様に身を少し屈めている男とふと目が合う


それをいい事に俺に見せ付けたいのか、名前の腰に両腕を回し強く抱き寄せ、絡まりを深くさせた光景に俺は動けなかった

時折漏れる名前の甘い声

....やめろ
やめてくれ










そんな俺に名前は慈悲無くとどめを刺した


「んっ....伸兄、愛してる」

「....お前はそれを言わないと気が済まないのか」

「それくらい愛してる」

「....はぁ....帰るぞ」

「ちょっと待って、狡噛さんに帰るって言って来る」





俺は慌てて再び浴室に入り、その扉にロックをかけた





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