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「狡噛さん!今日もいいですか?」
相変わらず俺には眩し過ぎる笑顔
とっつぁんと女性陣は、元より名前が"幸せそうだから"という理由で俺を応援していた為、今回の事は素直に受け入れた
一方で縢は、理解はしているものの未だ納得出来ていないらしく、ギノにややキツく当たってしまっている
それは余計に名前を傷付けるからやめろと言ったが、どうも聞き入れられないらしい
「続きが気になって、この時を楽しみにしてました」
....そんな事を言われて断れるわけが無い
だが実際、本当にこのままで良いのかという気持ちもあった
どう名前に接すれば良いのか、そんな事も分からなくなってしまった
「....まだ仕事が残ってるんだ、今日は自分で行ってくれるか?」
「分かりました、頑張ってくださいね!」
もう部屋のパスコードも知っている名前は、こう毎度俺に尋ねて来なくても良いはずだ
そうしないのは、"無断で入るわけにはいかない"生真面目さか、俺への好意か
名前は一度そのまま奥へ進み、"やめろ"と嫌がるギノに問答無用で抱き付いてから、一係オフィスを出て行った
それを見届けてから俺は、気恥ずかしそうにするギノにの元へ向かった
「....なんだ」
「どうせもう書類は片付いてるんだろ、少し付き合え」
目の前の男は俺をじっと見つめ、深く息を吐いてから立ち上がった
「え、あ、お二人とも休憩ですか?」
「あぁ、すぐ戻る」
そう常守に短く返事をして、俺達は共に開かれたドアを潜り抜けた
「まさか元同期三人の中で、お前が一番早く結婚するとはな。青柳も驚いてたぞ」
「もう30手前だ、早くもない」
こうして休憩室のベランダで、二人肩を並べてコーヒーを飲むのはいつぶりだろうか
何もかも変わってしまったようで、本当は何も変わってないのかもしれないとすら思った
「子供は作るのか?」
「....何故お前らはそればかり気にする」
「気になるだろ、とっつぁんが孫を欲しがってたぞ」
見下ろす街並みを眺めるギノは真剣な顔をしていた
「....考えていない」
「欲しくないのか?」
「俺にはやっと一人育て終わった気分だ」
「....そういう事じゃないだろ。名前が要らないと言ったのか?」
「....あいつの考えている事は分かる、わざわざ話し合う必要は無い」
....俺には全く分からないな
そんな劣等感に苛まれるのがまた苦だった
俺はコーヒーを飲み干し、軽くなった缶を右手で弄んだ
「....なぁギノ、名前は俺に何を望んでる」
「....俺に聞くのか」
「お前が一番あいつをよく分かってるだろ。だいたいお前は良いのか?俺があいつにまだ感情を持っている事を分かってるんだろ?」
「.....」
「まさかお前まで、"信じてるから問題無い"とか言うなよ」
「名前は、お前は"もうそんな事しない"と言っていた。その期待に応えてやってくれ」
「それだけなのか?あいつは本当にもう、....それしか望んでいないのか....?」
どうしても認めたくなかった
認められなかった
今までの時間を幻にしたくなかった
「狡噛、それ以上を望んでいるのはお前だけだ。いい加減身勝手な感情は捨てろ。名前がお前を完全に切り捨てていない理由をよく考えろ」
捨てられた缶が他の缶とぶつかり合う音が、妙によく響いた
「今のあいつなら、俺が一言"嫌だ"と言えばもう二度とお前と顔を合わせない可能性もある。その中で俺は許容し、あいつもお前を尊重している。それでもまだ分からないのか?」
....俺は何も言い返せなかった
毎回こうだ
名前の事になるとどうしても視野が狭くなってしまう
「....そうだな、すまなかった」
「それは名前に言え、先に戻っている」
俺はその言葉に甘え、一度自分の宿舎に戻った
「あ、仕事終わったんですか?」
俺はゆっくり深呼吸をした
これは俺の本心ではない
ただ、それが名前が求めるものなら
俺からのせめてもの償いになるなら
それが回り回って、俺の望みにもなるかもしれない
「.....名前、」
膝の上に開いた本を乗せたままの名前は、真っ直ぐに俺を見つめた
「結婚、おめでとう」
嬉しそうに笑った名前に、これが正解だったと理解する
「何か祝ってやりたいんだが、欲しい物は無いか?」
「いいですよ、狡噛さんがこうやって居てくれるだけで私は満足です。また勝手にどこかに行かないでくださいよ?」
「もう施設には行かないさ、それにギノが俺のリードを握ってるだろ?」
「狡噛さんは猛犬で制御が効かないって嘆いてました」
「ハハ、あいつにはもっと強くなってもらわなきゃいけないな」