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現場に出なきゃいけない、と私を人事課まで送ってくれた伸兄は苦しそうな表情をしていた

涙を流す私に、"辛ければ早退してもいい"と言ってくれたけど、これで帰るのは他の職員に申し訳ないと思った


私は一度お手洗いに行って気持ちを落ち着かせ....ようとしたが、



「....あれ....」



手を洗う時に、ある事に気が付いた



「....嘘....無い....」



そんなはずは....
刑事課に行く時には絶対あった

私は必死になってポケットなり床なりを探し回った

エレベーターももう一回乗って、空になっていた一係オフィスも


30分近くかけて探しても、やっぱり見つからなかった


私は絶望にも似た心情で人事課オフィスに戻ったが、午後の職務はほとんど手を付けられなかった




同僚の前で歪んだ笑顔を演じきって、退勤時間を迎えた私は一人一係オフィスに向かった


明かりのついていない部屋の中で、私は伸兄の席に腰を下ろした




....どうしよう....

指輪を失くしたなんて言えるはずがない


それに今日行った所でまだ探してない場所がある



....狡噛さんの部屋



"もうここには来ないでくれ"

"それでもこの部屋に来るなら、こうなる事を求めて来たと俺は考える"

"俺は昔のようには戻れない"

"俺はそういう男だ。嫌ならもう来るな。俺に近付くな"



その声を思い出す度に、まるで毒が体を回るように少しずつ息が苦しくなっていった

また込み上げてくる涙



私はデスクの上に腕を組んで、そこに目元を押し付けるように顔を伏せた



「うっ.... っ.....」



暗く誰もいないオフィスに私の押し殺すような声はよく響いた




....もうどうしようも出来ないの?
狡噛さんと普通に会話する事も、横を並んで歩く事も出来ないの?

....どうしてここまで拗れてしまったの?

休憩室に誘ってくれたり、悩みがあったら聞いてくれたり、いつも私の事を尊重してくれていた狡噛さんはもういないの?


私は多くを求め過ぎたのか

私が狡噛さんを変えてしまったのか


....こんな事なら、好きになんてならなければ良かった

最初から伸兄と二人だけで
絶対的な安心に全てを預ければ良かった

あんなに会いたいと思っていた狡噛さんに対して、今は恐怖心しか無い

傷付けてしまうかもしれない恐怖
傷付けられるかもしれない恐怖

好き合っていたはずが、いつの間にか傷付け合う関係になってしまった


伸兄に早く帰ってきて欲しい
今すぐ"大丈夫だ"って抱きしめて欲しい
そうでもしないともう気を保てなさそうで

....でも指輪を見つけないと
失くした事を伸兄にしられるわけにはいか...




「あんたはどこまでついて来るんだ?」

「これが今回の私の仕事ですから。どこまでもついて行きますよ」




廊下の先から聞こえてきた声と足音は、確実にこちらに近づいて来ている

その声の主に、どうも会ってはいけない気がして咄嗟にデスクの下に隠れた

精一杯自分の口元を覆って




「オフィスには何をしに?」

「部屋のタバコのストックが切れた」


そうより鮮明になった声は確実に今同じ部屋にいる


「....わっ!こんなにたくさん!さすがに吸い過ぎじゃないですか?体に悪いですよ?」

「あんたも試してみれば俺の気持ちが分かるさ。一つ貰うか?」

「け、結構です!」


そんな会話に、また頬に生暖かな物が伝った


「そろそろ飯にするか」

「そうですね、私が奢りますよ」

「そりゃありがたいな」


....常守さんが羨ましかった
私もあんな風に狡噛さんと話をしたい
食堂に一緒に行く事すらもう出来ないのに....

どうして

どうして私は見つからないように影に隠れて、息を殺さないといけないの


再び聞こえたドアの開閉音と、去った足音を確認してから私は自らを解放した





声にならない叫びがオフィスにこだました

































食堂に行ったであろう常守さんと狡噛さんに、私は行くなら今だと狡噛さんの部屋の前に来ていた


私はまだ、パソコードを変更したと言う言葉を信じられていなかった


まだ僅かに溢れていた涙を袖で拭ってから、私はパネルに人差し指を近付けた



以前は私が覚えやすいようにと、私の誕生日だった






"正しく入力してください"





....本当に変わってる


私は次に狡噛さんの誕生日を試したが、やっぱり扉は開かれなかった

0から順番にとか、今日の日付とか色々試したけど全部弾かれてしまった









「....あれ?名前さん?」





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