▼ 163

「常守朱監視官....」

「はい」

「千葉県出身かな?」

「そうですけど....」


それを合図に始まった雑賀先生の"観察"
やっぱりいつ見ても圧巻だな


「君は運動神経は良いのに、なんでだろう.....そう.....泳げない」

「っ!え!」


コーヒーに口をつけようとしていた常守は、そのまま"信じられない"と言った顔で雑賀先生を見た

俺は二人の様子を、まるで演目でも見るかのように眺めた

次々と雑賀先生に言い当てられて行く常守の驚きと好奇心に満ちた表情は、見ていてなかなか面白い


「あ、あの....」

「相変わらずですね、雑賀先生」

「今の、どうやったんですか....?」

「ただ観察しただけさ。人は無意識のうちに様々なサインを発している。コツさえ覚えれば、簡単にそのサインを読み取れる」


それが名前に対して出来ていたら良かっただろうな
どうもあいつの事になるとダメだ

反対にギノは、共に過ごした時間が長いからこそ、無意識下で名前の些細なサインも掴めるんだろう


「雑賀譲二先生....っ、専門は臨床心理学....」

「精神鑑定や捜査協力なんかをしているうちに、いつの間にか犯罪の研究に主軸が移ってしまったよ」


俺やギノも当時は雑賀先生の生徒だった
....もう全てが遠い過去のようだ


「今日は二つお願いがあります」

「なんでも言ってくれ」

「一つは、こちらの監視官に短期集中講義を」

「プロファイリングとか時代遅れの方法って事になってますけど、すごく興味があって!....っていうか、最近興味が出て来て....」

「ふん、こんな世捨て人に有難い話だよ本当に。で、もう一つは」

「先生が保管している、今までの受講者名簿を見せて下さい」


マキシマはもしかしたら....との読みだった
雑賀先生は飲もうとしていたコーヒーを、一度下げた


「それは公安局からの要請かな?」

「いえ、個人的なお願いです」


そう言うとマグカップを置いて、パソコンへ向かった背中


「もしも命令だったとしたら断った所だ。誰を探している」

「....シビュラシステムの誕生以降、最悪の犯罪者だと思われます」


俺は自分なりにプロファイリングしたマキシマの人物像を語った

先生と比べたらきっとまだまだ幼稚なものだろうが、それでも外れてはいないと思う



....だが結果、雑賀先生の生徒にマキシマは居なかった













「狡噛、お前随分と危ない事をしてるな。既婚者は流石に止めておけ、お前自身の為だ」


常守がお手洗いに立ったタイミングでそう切り出され、配慮をしてくれた事に心の内で感謝した


「....分かってますよ」

「....いや、好意を寄せていた相手が結婚したか。だが諦めがついていない。元恋人か?」

「そうとも、そうじゃないとも言えます。....少し複雑なんですよ」

「はぁ....人生は分からないものだな。俺も生徒の色相を濁らせこんな山奥で暮らす事になるとは思ってなかった。お前は優秀な生徒だった。エリート街道を進んでいくと思っていたら、今は執行官。おまけに女とも上手く行ってないんだな」

「買いかぶり過ぎです、先生」

「突き放したい程近くにいる相手....同僚か?」


雑賀先生の前だと丸裸で立っているような気分だ


「....いえ、同僚と結婚した方です。それより今は例の男について話をしたいのですが」

「全く....後悔だけはするなよ」





























夜も更け、公安局に帰る道すがら、俺はあの笑顔を思い浮かべてしまっていた

あんなに"笑顔が似合う"と、ずっと笑っていて欲しいと願っていた

それが今では俺には無理だと、ギノに向けられた恐ろしく幸せに満ちた美しい笑顔に告げられている気しかしない



「少しはあんたの役に立ったか?」

「は、はい!とても」



名前は昔の俺を求めている
互いの間に何も無かった時期を

それがつまり、あいつは俺を好きになった事を後悔し、俺があいつを好きな事を拒絶されているかのようで

もちろんそれ以前に、感情を消し去れないという苦悩もある

そう考えれば考える程、俺はあの二人を認められなくなっていた



「あ、あの....もう一度聞いてもいいですか....?」

「ダメだと言っても聞くんだろ?」

「うっ....その....本当に名前さんが嫌いなんですか?」

「あぁ」

「....宜野座さんと結婚されたからですか?」

「....そうだな」

「でもそれって、まだ好きだからそういった感情を持つのでは....?」

「なら想像してみろ。何度も好きだと言ってくれていた相手が、突然他の奴と結婚して帰って来たらあんたは受け入れるのか?」


本来なら受け入れるかどうかの選択肢も俺にはない

俺はあいつの何者でもない

一個人として、名前を知っている者として、愛している者としても、ただ幸せを願ってやるべきだ
それを共に喜び祝福するべきだ

だがそれがどうしても出来ない

一度は自分を偽りそうしてみようとした
名前が喜べばそれに俺も満足できるんじゃないかと試したが、余計にギノの存在を突き付けられたようで耐えられなかった


「....それは....」

「もう一度言うが、俺はあいつが嫌いだ。その名も聞きたくない。もう二度とあいつの話はするな」

「.....」

「それよりマキシマだ。生きている限り必ずどこかに足跡がある。絶対に見つけ出してやる」





[ Back to contents ]