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「ほら元気出して!」

「....もう少しだけこのままでいさせて欲しい」


弱ったところを見られたくないのか、ソファに足を伸ばす私を背後から抱き締めながら、私の肩に額を置く伸兄

こうして甘えられる事に慣れていなくて、妙にもどかしい


「ねぇ、もうすぐクリスマスだよ!仕事は?」

「....休めない」

「....パン作ってあげるから!ね?」

「どうせまた堅いだろ」


遠い昔、確かに一度見様見真似で、伸兄の誕生日にパンを焼いた事がある

何が悪かったのかカチカチに堅くて、とてもじゃないけど食べられる物じゃなかった


「....じゃあ作らない!プレゼントも無し!」

「....食べる」


そう背中に小さく呟かれた声


「本当に....?」

「本当だ」

「約束だよ?どんなに不味くても絶対食べてよ?」

「あぁ、約束する」


とは言っても相変わらず離してもくれなければ、肩に乗った頭の重みも消えない

こんなに落ち込んでるのはかなり珍しい

....常守さん何言ったんだろ
そう気にはなるものの、またぶり返す事になっちゃうし聞けない

それに私は誰が何と言おうと伸兄の味方だ
いつだって最善で、悪なんて無い人だって分かってるから
それに今までどれ程助けられた事か


「....もうそろそろ15分経つけど....」

「....まだ離れるな」

「伸兄も仕事戻らなくていいの?」

「重要な書類は全て終わらせてある」


さすがエリートだなと、どうして私はもっと吸収出来なかったのかと後悔する


「でも私は戻らないと」


そう私を離さない腕をそっと押そうとした


「....早退しろ」

「え!?」


私は思わず身を捩って後ろを向いた

あの真面目で仕事はきっちりこなす伸兄が、正当な理由無しに私に早退しろなんて

驚愕以外の何物でもない

でもそれ程落ち込んでるって事....?


「ダメだよ!早退理由とかどうするの?"夫が落ち込んでるから"とか書くの?」

「俺が出す。それに受理されない道理がない」

「ちょっと本気!?」

「なぜ嘘をつく必要がある」

「いや....だって....」


もはや言葉が出ない

"あの伸兄が"という思いが、目の前で具現化されている
....ここまで憔悴させるなんて一体具体的に何があったのか


「俺にはお前が必要だ」


そうゆっくり私を抱き寄せた優しさに、私まで弱くなる

なんだか急に子供みたいになった伸兄が、ちょっと可愛らしい
頬をくすぐる髪を軽く撫でてみる


「....ねぇ覚えてる?昔さ、私が伸兄のコップ割っちゃってすごい喧嘩したの」

「....あぁ」


小さい頃、まだ"征陸家"にいた頃の事

私が誤ってテーブルから落としてしまったコップが割れて、その破片で少し指を切ってしまった

近くにいた伸兄が大きな物音に驚いて駆けつけてくれたけど、"ごめん"と謝る私に容赦無く
"何でそんな端に置いたんだ!"
"何で破片を手で拾ったんだ!"
と怒鳴り付けた

そんな伸兄に私も、謝ってるし怪我までしたのに怒るのは酷いと反抗した

今思えば心配してくれていたと分かるけど、その時は理不尽に怒られたとしか思えなくて、口喧嘩をしている内に泣き出してしまった私に気付いたお父さんとお母さんが来た

"お兄ちゃんなんだから優しくしてあげなさい"
と宥められた伸兄はすごい不服そうな顔をして、怪我の手当てをされている私を眺めた

その様子にコップを割ったのは私だし、勝手に怪我をしたのも私だと段々と申し訳無く思って来て、何故か自分のコップを"あげる"と言った


「何であの時、私のコップ受け取ってくれたの?」

「俺がいつお前の善意を断った」

「....やっぱり優しい人だよね、伸兄」


だからこそ嫌いになれないし、なろうとも思えない
キツイ人だと誤解されやすいのが悲しいけど、きっと皆は分かってくれてる


「....で、どうするの?私は早退するとしてどうしたらいいの?ここにずっと居るわけにはいかないでしょ?」

「....あと少ししたら俺はオフィスに戻る。2時間後に退勤しここに迎えに来る」

「オフィス着いてっちゃダメ?」

「お前が居ると仕事にならないだろ」

「....ケチ」








そのまま結局もう10分程、伸兄はただ静かに私に身を預けた

私はその頭を撫でてみたり、
ネクタイを弄ってみたり、
背中をさすってみたり、
香水の匂いを噛いでみたり

溢れる愛情を持て余した





「....はぁ....出来るだけ早く戻る」

「うん、頑張って。待ってるから」





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