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常守の言葉がよっぽど効いたのか、ギノは30分近くも休憩から帰って来なかった

心のどこかでやや、"いい気味だ"と思ってしまっている自分に嫌悪する
....あいつには負けてばかりだったからだろうが

一方でとっつぁんと話をしたらしい常守は、ギノに"謝るべきだろうか"と俺に聞いてきた
だが実際確かにあいつは所々言い過ぎた部分がある
....俺はそこまで善人じゃない
"その必要は無い"と答えた


そして、休憩から戻り何も言わずにまっすぐ自分のデスクに着いたギノは、俺の予想を裏切りいつも通りだった

怒ってる様子も落ち込んでる様子も無い

ただただ真剣に仕事をこなす姿に、あいつには誰にも破れない強力な後盾が存在した事を思い出す

....名前に会いに行ったのか

そんな事を思ってはその顔が目蓋の裏に蘇る


はぁ....


俺は沸き起こりそうになった全ての感情と衝動を押し込む様に、パソコンの画面に佐々山が撮ったピンボケの写真を開いた

絶対に見つけ出し、佐々山の仇を取ってやる




















そう意気込み、イヤホンでマキシマの音声を再生しながら桜霜学園での事件について何度目かも分からない再度の洗い直しをしていた

柴田幸盛という名の老人の名を借り、学園で美術教師をしていたマキシマ

モンタージュも失敗

必ずどこかに足跡はある、必ずどこ



「ねぇ、もう2時間経ったよ」



そう俺の心臓を握り潰す様な声は、イヤホンをしていたのにも関わらずはっきりと俺に届いた

2時間....?

画面横の時間を確認すると、確かにもう午後だった
俺はどれほどマキシマにのめり込んでいたんだ
時間の感覚も無くなっていた

だが名前はまだ勤務中じゃないのか....?

その存在を背後に感じながら、目の前の王陵璃華子についての資料を必死に見つめる


「来るなと言っただろ」

「2時間で戻って来るって言ったのはそっちじゃん」

「....20分だ、休憩室で待っていろ」

「分かった」


その直後に鳴ったオフィスのドアの開閉音に、俺は息でも止めていたかの様な疲弊感に襲われた




....今休憩室に行けば名前が居る

その現実が俺に覆いかぶさる様に押し迫る

行くべきじゃない事は分かっている





「....おい狡噛、どこへ行く」


分かっているんだ


「執行官は便所にも行けないのか?」


....分かっているだけでは何の意味もないな

俺は未だ欲して止まない愛しさを追いかける様にオフィスを出た










ガラス張りのその向こう側に見えた、見慣れた後ろ姿

ソファに座りやや俯いている様子からデバイスでも弄っているのだと予想する


いきなり開かれたドアに驚いたのだろう

ハッと上げた顔と視線が絡まり合うのは、あの夜が最後だったかもしれない


「....こ、狡噛さん....」

「もう少し怯えても良いんじゃないか」


ただ"いきなり現れたからびっくりしました"とでも言いたそうな表情に、どうしようもなく期待してしまう


「あ、あの、ちょうど聞きたいことがあって....ケーキは何が好きですか?」

「....それは何の質問だ?」

「えっと、もうすぐクリスマスなので作ってみようかなと....」


まさかこの期に及んで、まだ俺にもくれると言うのか?
全くどこまでお人好しなんだ
その優しさに俺が苦しんでいるとも知らずに


「....俺にはもう構うな、お前から何かを受け取るつもりも無い」

「そ、そんな私は、っえ....?」



"携帯型心理診断 鎮圧執行システム、ドミネーター起動しました
ユーザー認証、狡噛慎也執行官、公安局刑事課所属、使用許諾確認
適性ユーザーです"


突然銃口を向けられ困惑する名前の顔を、ドミネーター越しに見つめる

なんだかんだ言ってずっと心配していた名前の精神状態
....これが一番手っ取り早いと俺は腰からその鉄の塊を引き抜いたが、それが示した結果に俺は"期待外れ"だった


"犯罪係数アンダー40、執行対象ではありません。トリガーをロックします"



「....常守は俺を騙したのか」

「わ、私濁ってるん

「名前、勘違いするな。俺はもうお前に感情は無い」


銃口を向けたまま、一縷の望みをかけてわざと心にも無い事を言う


「お前をもう愛してはいない、好きでもない」

「....え、あの....」

「俺はお前に裏切られた。顔も見たくない」



俺から勝手に会いに来て何を言ってるんだと己を疑ったが、ドミネーターの先の悲しそうな表情に対し、シビュラは判定を覆さなかった

....そうか




「何をしている!」


その怒号と共に、ドミネーターと名前の間に割り込んで銃口を押さえたギノは、監視官デバイスにドミネーター使用記録の通達が来たのだろう


「よく分かったな」

「....名前の精神状態は把握している」


もはや笑えるな
記録の数値だけでその対象を正確に当てるなど、雑賀先生でも度肝を抜かれそうだ

俺はそのままドミネーターをギノに押し付け、その背後にいるであろう人物の代わりに目の前の男を睨みつけた


「名前、俺はお前が嫌いだ」














俺は名前の犯罪係数が上がる事を期待した

故意に傷付けるような事を言えば、ショックを受け数値が上がると


だが俺の言葉はあいつに微塵も影響を及ぼさなかった


それだけもう俺には感情が無いと言う事なんだろう

常守に嫉妬でもしたのかと舞い上がっていた自分が馬鹿みたいだ




俺はそんな失望を、マキシマの写真を思い切り殴る事で解消しようとした





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