▼ 172

"先良いよ"と言った言葉に従い、俺はシャワーを済ませリビングに戻って来た

改めてワインのボトルを見ると2084年製造の物

....俺の生まれ年か

台所からワインオープナーを取り出し、そのコルク栓を抜く
その瞬間漂ってきた芳醇な香りを用意された二つのワイングラスに少しだけ注いだ


一方でラッピングがされた箱を手に取る
リボンを丁寧に解き蓋を開けると、小さなサボテンが入ったガラスの瓶

....どうせ"可愛いと思って!"という事だろう





「あ、開けたの?可愛いでしょ!」


そうフェイスタオルで髪を抑えながらリビングに入って来た名前


「髪は乾かせと何度も言っ

「はい」

「.....」


問答無用で手渡されたドライヤー
それを仕方なく受け取り、ごく自然に後ろを向いて隣に座った黒髪を掬う


「乾かし終わったらワインは部屋で飲もう?」

「ダメだ、零したらどうする」

「零さないよ!子供じゃないんだから」

「....何が目的だ」

「懐かしい物見つけたの、一緒に見たいなって」


....懐かしい物?


「あとダイムも見た?良いよね!?」

「....勝手に変な物を着せるな」

「"意外と似合うな"とか思ってるくせに」


実際ダイムも満更でもなさそうな様子だった
そう思うと必要以上の事も言えない












しばらくして髪が完全に乾くと、名前は意気揚々とグラスを一つ手に寝室に入って行った

俺もドライヤーを片付けてからワインを持ちその後を追うと、押し入れの中を探っている名前が目に入る



「何を

「あった!そうこれ!」


そう言って俺に向けたのは大きめな冊子

名前はそのままベッドに乗り、そこにその冊子を広げた


「来て」


促されるまま俺もベッドの上に座ると確かに見覚えのある物


「アルバムだよ!見てほら、伸兄可愛い!」


そうだ....母さんと親父が保管していたアルバムだ
それを引越しの際も捨てられずにこうして持って来た

名前が指差しているのは、両親の腕に抱かれるまだ歩く事も出来なかったであろう自分自身

....俺にもこんな時代があった


「本当お母さんそっくりだよね....」


そう俺の顔を覗き込んで来た名前に、俺は手元のグラス入ったワインを口に含んだ

名前の幼児期の写真は存在しない
きっと名字夫妻もこうしてアルバムに残していただろうが、名前を扶養した東谷家が全て"責任を持って"始末したらしい


「可愛い!見て!」

「....自分の幼少期を見ても可愛いと思わない」


それは親父に抱えられカメラに笑顔を向ける少年
....もうその親子はどこにも存在しない


「じゃあ私は?」


めくられたページの先は、一人家族が増えた"征陸家"
まだ幼い名前が元気な様子から、来たばかりのやつれていた時期は流石に写真に残さなかったのか

母さんはよっぽど名前を気に入っていたのか、どんな些細な瞬間も写真に残したようだ

ただ俺と食事をしているだけのものや、転んで顔を歪ませて泣いているもの等

こう見ると名前は本当に表情が豊かだと思う

それは今も昔も変わらず綺麗で美しい


「....愛している」

「....そ、そうじゃなくて....ちょっと私のワイン取って」


気恥ずかしそうにした名前に、デスクに置いてあったグラスを渡すと、それを一口含み渋い顔をした


「無理して飲むな」

「....明日休みだし大丈夫」


そんな名前を酔わせないようにするのが、俺の今夜の責務になりそうだ


「....さっきの....可愛いかどうかを聞いたつもりだったんだけど....?」

「それが重要か」

「だって....あんまりそういう事言わないじゃん....」


俺は元々少量しか注がなかったグラスのワインを飲み干し、空になったそれをデスクに置いた



「え、わ、ちょっ!」



愛しくて大切で仕方ない存在を後ろから包み込むと、その衝撃に揺れたワインの表面を庇うように慌てて両手でグラスを持つ名前


俺達の間に無闇な言葉は必要無い

その意思を汲み取ったのか、名前はそのままアルバムのページをめくった



「....あっ!懐かしい!そう言えば伸兄も泣いてたね!」

「....やめろ」

「お母さんよく平気だったよね」


それは親父が帰って来なくなってすぐの頃、母さんが元気付けにと俺達を遊園地に連れて行った時の物

そこで行った幽霊屋敷から出て来た直後の写真だ

名前は声が枯れるほど泣きはらし、俺も怯えて涙を溜めて母さんに掴まっていた


「伸兄も昔は弱かったんだ」

「....お前は今行ってもまた泣くだろ」

「そんなこと無いよ、」



急に後ろを振り向かれ、鼻が触れる程の距離に迫った顔に思わず息が止まる



「伸兄と一緒なら大丈夫、絶対守ってくれるでしょ?」




....名前の20年余りの保護者として、比較的優秀な成績と大きな問題も起こした事が無いのは、感心し満足している

だが唯一失敗したと思う教育が"男"だ

もっとしっかり、男とはどういうものなのかを教えておくべきだった


何の疑いも無く笑みを浮かべる名前に、俺は耐えきれずその手から飲みかけのグラスを抜き取りデスクに置いた



「え、なんで!」

「酔われると困る」

「まだ一口しか飲んでないよ!それに私は

「俺は明日も仕事がある。....理解しろ」



そう言うと再び前を向き、俺の腕の中でアルバムの鑑賞を続けた


それを俺は肩越しに眺めたが、未だ密着するように抱き締める身体を離せないのは、意志の弱さの現れかもしれない





[ Back to contents ]