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「報告書は読んだよ。常守朱監視官の証言だが、あれは本当に信憑性があるのかね?」



局長執務室で、テーブルを挟んだ対面にはルービックキューブを手にしている禾生局長

あれから再びあの地下空間に何度も戻り、常守の証言を元に再現や検証を行った
その結果、"槙島聖護の犯罪係数をドミネーターが正常に計測出来なかった"としか言いようが無かった

常守と槙島の距離はドミネーターの射程外と言える程遠い訳でも無く、常守によるドミネーターの操作ミスも無かったと思われる

これらを正直に述べた報告書を上げたところ、俺はこうして局長に呼び出された

....不備は無かったはずだ
俺がしっかり確認をした



「被害者は常守監視官の親しい友人だそうじゃないか。動転してドミネーターの操作を誤ったのでは?」

「....彼女はそこまで無能ではありません」

「"経験が足りてない"と、以前の君の報告書にはあったが?」

「だとしても素質は本物です。監視官としての彼女の能力は、シビュラシステムによる適正診断が証明しています」

「そのシビュラの判定を疑う報告を、君たちは提出しているわけだが。.....宜野座君、この安定した繁栄、最大多数の最大幸福が実現された現在の社会を、一体何が支えていると思うかね?」

「....それは....厚生省の、シビュラシステムによるものかと」

「そのとおりだ。人生設計、欲求の実現、今やいかなる選択においても、人々は思い悩むより先にシビュラの判定を仰ぐ」



手中のルービックキューブを完成させた局長は徐に立ち上がり、自身のデスクへと向かった



「そうすることで、人類の歴史において未だかつてない程に、豊かで安全な社会を我々は成立させている」

「だからこそ、シビュラは完璧でなければなりません」



その姿に俺もソファから立ち上がり、椅子に腰掛けた局長の前に立つ



「しかり。シビュラに間違いは許されない、それが理想だ。....だが考えてもみたまえ。もしシステムが完全無欠なら、それを人の手で運用する必要すら無い筈だ。ドローンにドミネーター搭載して市内を巡回させればいい。だが公安局には刑事課が存在し、君達監視官と執行官がシビュラの目であるドミネーターの銃把を握っている。....その意味を考えたことがあるかね?」

「それは、無論....」

「いかに万全を期したシステムであろうと、それでも不測の事態に備えた安全策は必要とされる。万が一の柔軟な対応や機能不全の応急処置。そうした準備までをも含めて、システムとは完璧なるものとして成立するのだ。
システムとはね、完璧に機能することよりも、完璧だと信頼され続ける事の方が重要だ。シビュラはその確証と安心感によって、今も人々に恩寵をもたらしている」

「....はい」



俺は言いようの無い圧に押されて居た

...どういう事だ
局長はこの件を揉み消すつもりなのか?



「宜野座君、私は君という男を高く評価している。本来ならば君の階級では閲覧の許されない機密情報だが、私と君の信頼関係において見せてやろう。....他言無用だぞ」


そう言ってキーボードを叩き、目の前で開かれたファイルに俺は目を見開いた

....忘れもしない

三年前、二係が確保したはずの標本事件の被疑者
だが表向きは"行方不明"とされ、全く納得がいっていなかった
それでも、誰も再びそれに関し口にする事はなく、ただ暗黙下で"終わった事"となっていた

.....藤間幸三郎



「結局彼を取り押さえるに至った二係には、徹底した箝口令が敷かれた」

「何故です!」



俺は蘇って来た感情を乗せてデスクを叩いた
当時は何も言い出せないでいたが、こうして局長自らファイルを見せて来たとなると話は変わる



「この男の為に我々がどれ程

「今回のケースと同じだよ」

「え....?」



....同じ?



「事実上の現行犯、そしてあらゆる事象の裏付けがあったにも関わらず、藤間幸三郎にはドミネーターが反応しなかった。彼の犯罪係数は規定値には達していなかった。我々はこうしたレアケースを"免罪体質者"と呼んでいる」

「免罪....体質....?」

「サイマティックスキャンの計測値と犯罪心理が一致しない特殊事例だ。確率的にはおよそ200万人に一人の割合で出現しうると予測されている。槙島聖護の件についても驚くには値しない。この男は3年前の事件にも関与していた節があるのだろう?藤間と槙島、二人の免罪体質者が揃って犯行に及んだからこそ、あの事件の捜査は難航を極めたわけだ」

「....藤間幸三郎は....どうなったのです?」

「"行方不明"と公式には発表されているわけだが、私もそれ以外のコメントをここで述べるつもりはない。ともあれ重要なのは彼の犯罪による犠牲者が、二度と再び現れる事は無かったという事実のみだ。....彼は、ただ消えたのだ。シビュラシステムの盲点を暴くことも、その信頼性を揺るがすことも無く消えて、居なくなった」



局長は....何か大切な事を隠している

だがそれを問いただす勇気が俺にある訳など無い

俺はただただのし掛かる圧力に耳を傾けた



「君達はシステムの末端だ。そして人々は末端を通してのみシステムを認識し理解する。よってシステムの信頼性とは、いかに末端が適正に厳格に機能しているかで判断される。君達がドミネーターを疑うならば、それはやがてこの社会の全ての市民が秩序を疑う発端にもなりかねない。....分かるかね?」



....ドミネーターの誤作動は許されない、という事か

だがそれは隠蔽工作をするのと同じでは無いか



「....しかし、それでは

「名字名前」


そう俺の言葉を遮り、強く被せられた声に俺は思わず息が詰まった


「はい....?」



....何故局長の口から今、名前の名前が出る?

困惑する俺に局長は淡々とキーボードを操作し、藤間幸三郎の顔写真と入れ替わりに表示された物に、俺は首でも絞められたかのように声が出なかった



「現在では宜野座名前か。....公安局人事課職員。可愛らしい奥さんじゃないか」

「.....」



見せられたのは名前の人事ファイル
柔らかく笑う顔写真とじっと目が合う

....そう、俺は最大の弱点を突かれた
嫌な汗が背筋を流れる感覚に、俺は手が震えていた



「さぞかし幸せな毎日を送っている事だろう、私からも祝福しよう」

「....ありがとう....ございます」

「私は厚生省公安局の局長だ。人事課職員の一人くらいどうとでも出来よう。それこそ"どうとでも"。....宜野座君、大切な人を守りたくはないかね?」



....俺はもうどうしようも出来なかった

元より局長に反抗するなど考えられない事だったが、名前を持ち出されてはそれ以上成す術も無い

....従順に脅されるしか無かった
名前の身に何かあるなど絶対にあってはならない
どんな事があろうとそれだけは、絶対にだ

沸き起こる悔しさと、局長への恐ろしさに唇を噛み締める


俺は身を引き、目を閉じ大きく深呼吸をした




「....提出した報告書には....不備があったようです」

「結構だ。明朝までに再提出したまえ。当然君の部下達にも納得いく説明を用意する必要があるのだろうが」

「....お任せ下さい」

「宜しい。宜野座君....やはり君は私が見込んだ通りの人材だ。槙島聖護の身柄を確保しろ。一日でも早くこの社会から隔離するんだ。ただし殺すな。即時量刑即時処刑はシビュラあっての制度だ」

「....了解しました」

「この男をとらえ本局まで連行すればいい、後は何も気にするな。槙島聖護は二度と社会を脅かす事など無くなる。藤間幸三郎と同様にな」





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