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深夜のオフィスに一人籠り、パソコンの画面を前にキーボードを少し鳴らしては手を止める

明朝までに再提出をしろと命じられた報告書を一から書き直す作業


心身共の疲れに、俺は思わず"5分だけだ"とデスクに突っ伏す



....名前を人質に取られた

その事実にどうも、あいつの喉元には常に鋭い刃物が添えられでもしているような気分だった


実際俺が命令に従わなかったとして、公安局局長が一般職員の命にまで手を掛けるとは思えないが、それ程俺は威圧されていた

....実際の所せいぜい異動か、退職だろう


確かに俺が監視官を続け尚且つサイコパスがクリアならば、あと2年で厚生省の上位ポストが待っている

そうでなくとも監視官という職だけで名前を養うのには充分以上だ


だがあの時の局長の言葉
"どうとでも出来る"
それが俺に一切の選択の余地を与えなかった

個人情報は全て筒抜けだ
厚生省公安局の局長ともなれば更に権力のある人物ともコネクションはあるだろう

職場に押し入って来るかもしれない
何だったら自宅に来るかもしれない

そんな普通に考えれば現実味の無い話に俺は恐怖を覚え、震える手で報告書の改竄を進めた


こんな事....絶対におかしい

俺に脅しをかけなければいけない程裏のある事件なのか?
藤間幸三郎はただ消えて居なくなったと言うが、どう言う意味だ?
上が機密に処分をしたのか?

そう思考を巡らせれば巡らせる程に納得が行かなくなってしまうが、その度にまた名前の存在を思い出す



再び止めてしまった手を動かそうとした瞬間に鳴り響いたデバイス

見るとやはり思った通りの名前で、俺はその通話を取らない事を徹底した

どうせ何故まだ帰って来ないのか、何があったのかと言う内容だろう

だが今その声を聞いてしまえば、俺は全てを放棄して名前の体温を確かめたくなってしまう気がした



何としてでも明朝までに報告書を完成させ、提出しなければならない

それが名前の安全にも繋がる



俺は一度深呼吸をして、虚偽を書き連ねていった































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今朝はどうも少し早く目が覚めちまって、たまにはいいだろうと一足どころか二足早くオフィスに来た

さすがにまだ誰も居ないだろうと足を踏み入れたが、伸元のデスクに伏せている頭が見えた


まさかと思いそっと近付くと、倒れたように眠っている息子


帰らなかったのか....?


昨日局長に呼び出されて以来、伸元はどう見ても様子がおかしかった

顔面蒼白で何度も溜息を漏らし、かなり参っていた
そんな時に妻が待つ家に帰る事もなく、こうして仕事を続けて居たとすると、やはり名前関係か?


左手薬指にはめられた指輪を見ると、俺にもそれがあった時を思い出す

今ではそんな物も失くなり、血と肉の指ですら無い

....いくら親子でも辿る道は一緒であって欲しく無いもんだ

俺が冴慧との約束を守れなかったように、伸元が名前を失望させるような事は無いと願って止まない


あの時は確かに孫が欲しいと、子供はどうするつもりだと聞いたが、何となく察してはいた

二人は子を持ちたく無いんだろう

双方幼くして両親を失い、その過酷さを経験した者だ

いくら自身がそうなるつもりは無いとしても、本能的に恐れているんだろうな





「悪い、起こしちまったか?」

「.....何の用だ」

「こんな所で寝てたら誰でも心配するだろう、上司を気遣うのも部下の仕事だ」

「俺に構ってる暇があったら仕事をしろ」

「生憎まだ勤務時間じゃないのさ。....伸元、大切な物を見失うなよ」

「....それは貴様自身への戒めか」

「経験則と言って欲しいな」



疲労が溜まっている目を眼鏡の下から擦ると、すぐにデバイスを確認した伸元はそのまま額に手を当てた

スクリーンには遠目でも分かる大量の不在着信やらメッセージ



「愛する者、愛してくれる者を持つとはそう言う事だ。お前は今日第二当直だろう。まだ時間はある、一度家に帰ってやれ」

「....貴様に指図される覚えはない」

「名前の気持ちを代弁したまでさ」



ゆっくりと重い体を起こした息子は、デバイスで誰かに通話を掛けながら椅子から立ち上がった

その相手は聞くまでもない



「....今から帰る。....あぁ、平気だ。....いい、余計な事はするな」



そのまま伸元は一係オフィスを出て行った





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