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同僚とお茶をすると言った名前に、俺は退勤直前、迎えに行こうかとメッセージを送ろうとしていた

それにタイミング良く"先に帰る"という旨を受信し、それはそれであいつの自由だと俺も素直に帰宅した


日が短い今、第一当直勤務でも退勤する頃には完全に夜になる

そんな肌寒い乾いた空気をマンション駐車場で感じる







エレベーターで自宅階まで上がり、玄関の扉を開けると



「あ!お帰り!」


そう勢い良くリビングから飛び出して来た声


「待って待って!靴脱がないで!」


俺は困惑しながらも忙しなくされた要求に従った
名前も帰宅したばかりなのか、黒いスーツに身を包んだまま

靴を脱ぐなと言われた以上玄関でしばらく待っていると、フリスビーを片手にダイムのリードを引きながら出て来た名前


「よし、行こ!」

「....今からか」

「うん、ほら早く!」


その期待に満ちた笑顔を見るとどうも拒否するわけにもいかず、実際ダメだと言える理由も無い

せめてスーツは着替えるべきだと思ったが、よっぽど急いでいるのか、ダイムと共に俺を玄関から押し出した名前にただ流されるようにして駐車場に向かった






車の扉を開けると、名前はダイムを後部座席に乗せ、自分は助手席に乗り込んだ



「いつもの場所でい....っな!」


ナビを設定しようとした瞬間、首元に僅かに働いた引力と感じた冷気


「急いでたからコートもマフラーも忘れちゃった」

「....はぁ...だからと言って勝手に取るな」

「伸兄はコートあるんだからいいじゃん」


"良い匂いする"と自らの口元を覆うように首に巻く様子に、もはや何をどう言えばいいのかも分からない

怒ってもいなければ、むしろ全く構わないのだが、ただただその信頼と安心に翻弄される







目的地に指定したのは都内のドッグラン
前によくダイムを連れて遊ばせていた場所だ

何故急にとは思うものの、ここ数日の俺の様子に不安になったのだろう
そうさせてしまっているのは俺だが、実際どうしようも出来ないでいる

局長に"妻は巻き込まないで欲しい"と直談判しに行ける訳がない
メモリースクープをすると自ら申し出た常守を、局長の意思に反するのでは恐れたが止める事が出来ず
その上サイコパスもクリアに保って見せた"新人監視官"

元より濁り始めていた自身にはかなり鋭く刺さってしまった光景だった




「ダイムまだ取れるかな?フリスビー」

「あまりなめてると嫌われるぞ」

「なめてる訳じゃないけどさ!もう結構歳だし....」

「ダイムを見縊るな」



辿り着いた敷地の駐車スペースに車を停める

真っ先に降りた名前は、後部座席の扉を開けてダイムを下ろした

左手にリードを携え、右手にフリスビーを持った後ろ姿を数秒見つめてから俺は車を離れ追い掛けた




「はい」

「....俺に持たせるのか」

「手繋ぎたい」


そんな甘える言葉にどうする事も出来ない
見つめ上げてくる瞳はあまりにも真っ直ぐに純粋で、俺は仕方なく右手でフリスビーを受け取った

そしてその空いた手を掴むと、やや冷えた感覚にそのままポケットに連れ込んだ

温めるように握りながら





だが、そんな事をしてしまったせいで互いにその温かな空間から出られなくなってしまった

身の回りは吐く息さえ白く濁る夜だ

コートを貸してやるからと一度離そうとしたが、相手も離してくれない限り俺も行動が取れない
それに対し名前は"首元を温めるのが一番効果的なんだよ"と、自分は平気だという事を示した

確かに握った手は少し汗ばみ、もう片方の手にも触れるとそこまで冷たくは無かった


指を絡ませ合っていない手で協力しながらダイムのリードを首輪から外すと、俺は持っていたフリスビーを遠くへ飛ばした

それに釣られるように駆けて行ったダイムを、一歩も動かずに待つ怠惰な飼い主二人

さすがに真冬の年始で、平日夜のドッグラン
誰も居ない貸し切りの空間だ


戻って来たダイムから今度は名前がフリスビーを受け取ると、


「....あ、ダイムごめん!」


利き手でない手で飛ばされた円盤は大きく外れた軌道を描いた
それでも忠実に追い掛けて行ったダイムを見守る





「....ねぇ、」


そう俺に寄りかかって来た体温
それだけで次に紡がれる言葉に予想がつく


「....20年以上も一緒に過ごして来て、今では結婚して夫婦にもなった。私じゃ頼りないのかもしれないけどさ、少なくとも誰よりも伸兄を理解してあげられる自信はある。ずっと、絶対に、私は伸兄の味方だからあまり溜め込まないで」


....名前の色相まで濁らせてしまったかもしれない

かと言って、俺の仕事の勝手な都合のせいで、"実は局長にお前で脅されている"など言えるはずがない

俺達は互いへの嘘が基本通じない
だからこそ上手く本音を伝えなければならない


「私どうすればいい?どうしたら助けてあげられる?」

「前に言っただろ。....側に居てくれるだけで充分だ」



ダイムからフリスビーを受け取りそれを再び投げると、俺はその手で滑らかな頬に触れた

必ず守ると誓った
それを脅かす者が局長だろうと変わりはしない





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