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他の人が皆楽しく盛り上がる中、私はただ黙々と目の前の枝豆を口に運んでいた

デバイスをチェックしてみても何も連絡が無いのが何となく寂しくて

こんな時に限って"どこにいる"とか送って来ない

....確かに送られて来ても困るけど、鬱陶しい過保護さも、無いと物寂しく感じる

まだ仕事してるのかな....





「名前ちゃん、だよね?」


流れ作業になっていた枝豆の器に手を伸ばす動作に、別の手とぶつかる


「....は、はい」

「枝豆好きなの?」

「いえ...普通です」

「ハハっ!面白いね!さっきからずっと枝豆ばかり食べてるから好物なのかと思ったよ」


そう自らも枝豆を一つ口に運んだ男性の名前を、私は覚えてもいない
唯一分かってるのは、男性陣は全員文科省の職員だという事

....あと1時間もすれば帰れるかな


「そう言えばさ、"ギノザ"ってどういう字書くの?」


"あんまり聞いた事無くてさ"と言う男性に、私はただ無言で職員証をカバンから取り出して見せた
わざわざ説明するのも億劫だと思ってしまう程、その人物に興味が無かった


「へぇ、いい名字だね!珍しいって言われない?」

「....そ、そうですね...」


どこかで沖縄由来の名字らしいとは聞いた事があるけど、まだ"宜野座"になって2ヶ月程しか経ってない私には答え辛い質問

特に考えた事も無かったけど、もしかしたら伸兄は今までよく言われてたのかもしれない


「休日とかどうしてるの?明日からちょうど週末だけど」

「....特に何もしません。たまに気晴らしに買い物に出掛けたりしますけど、基本は家でのんびりしてます」

「インドア派なんだね。家は実家?それとも一人暮らし?」


そう言われると答えに詰まった
実家じゃないし、一人暮らしでもない
夫と暮らしてるなんて言えないし....


「えっと....その...親がもういなくて、"兄"と住んでます」

「そ、そうなんだ。ごめんね、嫌な思いさせちゃったかな?」

「いえ、気にしないで下さい。慣れてますから」


私の体感では親がいた事は無いし、伸兄の親だって私が出会ってからそう長くない内にバラバラになった

こういう話をする度に同じような反応をされて来たし、相手に悪気が無い事は分かってるから


「じゃあさ、明日映画にでも行ってみない?」

「....え?」

「少し前に友達に貰ったチケットが余っててさ。基本家に居るんでしょ?」

「いや...明日はちょっと....で、出掛けようかなと思ってたので....」

「いいよ、そこにも付き合うからさ」


"助け舟を出す"と言ってくれた同僚達は、皆それぞれで盛り上がってしまっていて誰も気付いてくれない

私はジンジャーエールのグラスを掴んで、何とか嘘を考える時間稼ぎをしようとした


「どこに行く予定なの?」

「....美容院です、もう予約もしちゃってて」

「お!じゃあ俺が一番最初に新しい名前ちゃんを見れるかな?」


....興味も無い異性に言われると鳥肌が立つものだ

私はテーブルの下でもう一度デバイスを確認した
まだ何も連絡は無い


「あの、本当に明日は無理です。誘ってくれて申し訳な

「うわなんだよこれ!やばくね!?」


そう突然個室全体を巻き込んだ声に顔を向けると、皆が一つのデバイスの画面に視線を寄せ合っている

画面が見えない私には聞き覚えのある音声だけが耳に入ってくる


『重篤なストレス反応を検知しました、速やかに専門の医療機関でメンタルケアを受けることを推奨します』


コミッサちゃん?


「ドラマの撮影?」

「そんなのに我がコミッサちゃんを貸し出すわけないでしょ」

「じゃあこれガチ?」

「君達公安局職員でしょ?何か知らないの?」

「私達は刑事課じゃないんだから関係無いのよ。まぁ作り物じゃない?」


そんな会話を"私にも見せて"と割り込ませてもらうと、見えて来たのはカメラを向ける群衆に囲まれた奇妙なヘルメットを被った人物
それが男性かも女性かも分からない

そんな映像が映る画面の全体が見えた頃には、私は口元に手を当てていた

....なに、これ....


「あれ?でもこの場所見た事ない?」

「あ確かに!どこだっけ?新宿?」


衣服を剥がれた女性の上に馬乗りになって、何かハンマーのような物でその女性を殴り続けている

横ではコミッサちゃんがひたすらにメンタルケアを薦めていて、下着姿の女性は声も発さなければ動きもしない


「....違うよ!三軒茶屋だ!ここだよ!」

「え、すぐそこの交差点?」


画面の中のヘルメットを被った人物はゆっくり立ち上がって、群衆をかき分けどこかへ去って行った

そしてこの映像の撮影主は、カメラを殴られていた女性の体にズームインして、その偽物とは思えない傷跡をじっくり映す

撮影主の声なのか周りの人々の声なのか、ただ
"うわ"とか
"すげー"とか
その場から立ち去らず横たわる女性の撮影を続けている


「行ってみる?これが本物かどうか気になるしさ」

「えー、もし本物だとしたらこんな公共の動画に映り込みたくないよ」

「でもこれ投稿されたの15分くらい前だよ?もう終わってんじゃない?」

『こちらは公安局刑事課です。このエリアは現在立ち入りを制限しています』

「あ、刑事課のドローンじゃん」


そう10体近く登場したコミッサちゃんは"立入禁止"のサインを掲げバリケードを形成して行く


『公安局刑事課です!直ちに撮影をやめて下さい!』

『全員バリケードの外で待機しろ!』


紺色のレイドジャケットを着込んだ男女の姿に、私を含めた人事課女性陣は、この映像は本物だとすぐに理解した





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