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「....殺人、放火、強盗、強姦....たった半日でもう50件近く報告されています」

「インターネットでもデマが拡散されてる。報道規制なんて意味無いな」

「どうするんすか、こんなの俺達だけじゃ無理ですよ」

「上が方針を決めるまでは待機だ」


いつもと変わらないオフィスでも、一枚壁の向こう側には非日常が広がっている

ヘルメットを被った市民が欲のままに暴力を振りかざす様子は、もはや無法地帯だ

シビュラが司る街頭スキャナーの目の前で繰り返される犯行
それをネットに上がっている動画で確認する


「お前の家が強盗に入られたってのは本当か?」


そうとっつぁんが自身の息子に質問を投げかけると、同じく事情を知らない縢がだらけていた背筋を伸ばした


「え!ギノさん家襲われたんすか!?」

「....お前らには関係無い」

「うわ、相変わらず冷た過ぎ」


ギノは例に倣って多くを話さない
名前が今同じく局内にいる事も俺と常守、それから"情報分析の女神様"の志恩だけが知っている

特例措置故に無闇に他の奴に教えるなとギノからちょっとした箝口令が敷かれた


ヘルメットを被った男達に囲まれ声を上げて抵抗していた情景が思い起こされる

それを見て俺はたかが外れたように怒りに包まれたが、俺にも似たような事をしてしまった過去がある

その当時はただ嫉妬に狂い何も考えられずにいたが、昨夜見た光景に改めて"俺は何てことをしたんだ"と客観的に絶望した

....最低だ
そんな遅過ぎる身勝手な後悔を、あの男達に強いられる事になるとは思ってもいなかった

その後処理を済ませた俺の目に映ったのは、俺を避けるようにギノの背広を掴み後ろに隠れた名前だった

まるで襲ったのが俺かのような状況に、必死に平常心を装った


いつからか俺はあいつを泣かせてばかりいる
最後に笑顔を見たのはいつだ?
そう記憶を引き起こそうとしても、どうしてもその先にはギノがいる

それ程ギノの存在があいつの全てを格別な物にさせていた


「....はぁ...どうせ仕事が無いなら部屋に戻る。何かあったら連絡してくれ」

「あ!コウちゃんずるい!俺も帰っていいっすか?」

「ダメだ!勝手な行動を、っおい!待て狡噛!」


俺はその怒号を無視してオフィスを出た







一度休憩室に寄り、コーヒーを買ってからエレベーターに乗り込む

これ以上名前の事を考えてる場合じゃない
目の前に大きな事件が迫っている

これは絶対に槙島の仕業だ
あいつがどうやってドミネーターを前に犯罪係数を保っているのかは知らないが、少なくともそれは変えようの無い事実

今回のヘルメットも、あんな物を作ろうと企んだ時点で普通ならシビュラに摘発されるはずだ
だが実際ヘルメットは大量に生産され多くの人の手に渡っている
そんな事、槙島のような奴にしか出来ない

....あいつは何を企んでる
大量のサイマティックスキャン妨害ヘルメットを人々に渡し、犯罪を犯させて何をしたい?

混沌と化した東京を見て楽しむような奴じゃない
ならこの先に何が待ってる?



コーヒーの缶を開けながら宿舎階の廊下を進んでいくと、自分の部屋の前に何かが落ちているのが見えた

俺はそれを確かめるように歩みを進めると、徐々にはっきりして来たそれは


「....全く....」


名前に貸したコートと、"お礼"と言う事だろう
今手にしている物と同じ缶が添えられていた

律儀にもわざわざ食堂で使われるトレーに乗せられたコートとコーヒーは、例の潔癖な監視官を彷彿とさせる

そんな配慮を必要としない程綺麗でも無いコートと缶を拾い上げるのと同時に、俺はまた負の感情に溜息を吐く

きっと心のどこかでは、直接返しに来てくれる事を期待していた



部屋に入ると俺は全てをテーブルの上に放置し、ただ槙島に集中する為に大量の吸殻に覆われて行った































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待機命令に何も出来ず、通常の退勤時間を迎えた常守もついに帰って行った

ただ一人残ったオフィスで、名前に"一係オフィスに来い"とメッセージを打つ

俺は徐に眼鏡を外し、室内の明かりを消した
俺のパソコンが放つ光だけが目印となったデスクに、スーツの上着を脱ぎながら戻る


今日、昨晩自宅に押し入って来た男4人の事情聴取をした
具体的な行動の詳細を聞いている内に、ただただ怒りが募って行った

....こんな奴らに名前は

最初こそ拳を握り締める事で衝動を押さえ込んでいたが、徐々に耐えられなくなりついに男の襟を掴み上げてしまった

流石にこれ以上はまずいと自覚し、俺は常守を呼び出して聴取を交代してもらった




「....なんで電気消してるの?」


見慣れない格好をした名前に、常守の服を借りている事を思い出す


「....嫌ならつけていい」


そんな無意味な発言を流すように歩み寄って来た温もりを、俺は求めて離さないように膝の上に抱いた





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