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あれから結局私の知る限り伸兄は帰って来なかった

迎えた2月6日月曜日の朝、私は一人で部屋を片付け、ダイムに『あとで迎えに来るね』と告げて自分のロッカーに向かった

その中から触り慣れた布地のスーツを取り出して着替えると、やっぱり背筋が伸びる

一応通話だけは来て、"今夜家に帰るからそのつもりでいろ"との事だった


未だに局の外に出ていない私には、ヘルメットの騒動がどうなったのか詳しくは知らない
ただニュースを見ると鎮静化されたみたいで、何もしてないけど一公安局職員として誇らしい


....そうだ、明日は青柳さんとバレンタインの材料を買いに行く約束がある日
何時にどこに行けばいいのか聞かなきゃ






「あ、名前!おはよ!」


その声に振り向くと、金曜日の合コン以来の同僚
あれから数日しか経ってないのに、もう2週間くらい経ったような気分だ
合コンに行った事すらすっかり忘れてた


「おはよう、大丈夫だった?」

「見ての通り平気だよ、こんな時くらい休みにして欲しいよね?」


"もうずっと家で避難してた"と言いながら席に着いた同僚に、私は買って来たホットココアに口を付けた


「あれ?今日タンブラーじゃないの?」

「あぁ...うん、忘れちゃったの」


実は公安局で過ごしていて家に帰ってないとは何となく言えない
いくら職員とはいえ、一般の人が執行官宿舎を使うなんてかなり例外なはず
それも全部伸兄が監視官であるから出来た事だと思う


「なんかさ、名前って案外子供っぽいよね」

「....どういう意味?」

「真面目で優秀なのに、いろいろ抜けてるっていうか....お酒も飲めないし、今だってココアだし、そこはお茶とかでしょ」

「....それは人によらない?」

「免許も持ってないでしょ?」

「ま、まぁ....必要無いから....」

「今までよっぽど宜野座さんに甘やかされて来たんだね...一人暮らしとか出来なさそう」

「....で、出来るし....伸兄が出張の時とかは一人だったよ!」

「そんなの1週間くらいでしょ?私は毎月お金の管理とか、車の免許更新だったり車検だったり、役所からのいろんな通達を全部把握したりしなきゃいけないんだよ?」

「うぅ....」

「きっとそれ全部宜野座さんがやってくれてるんだよ。"今月電気使い過ぎた"とか思った事ないでしょ」


確かに考えてみるとギョッとする
今まで何にも気にせず自由にして来た
それは全部伸兄の支えあっての事

夫婦になってまで全部頼りっぱなしは流石にまずいかな
せめて生活費くらいは出すべき...?


「本当に名前は幸せ者だよ、私もそろそろシビュラの適性判定受けようかな....」

「自然に巡り逢うのやめるの?」

「もう27だよ?そんな事言ってられないよ」

「でも、結婚に期限は無いし....」

「誰よりも先を越した名前には言われたくないよ」

「....ご、ごめん....」


申し訳なさについ下を向く
結婚してすぐの時も隠すようになかなか言い出せなかったし、突然の"まさか"の出来事に皆も驚いてた

まぁ当人である私達にとっても突然だった


「じゃあその代わりさ....」

「え?」


そう急に肩を掴まれて恐る恐る顔を上げると、何か企んでそうな表情

まさか


「....2月13日期限の資料手伝って!」

「なっ、やだよ!私だってまだ半分くらい残ってるのに!....それより何の"代わり"!?」

「先駆けした事に対する懺悔の代わり。しかも相手は皆の憧れ刑事課監視官、もう充分罪だよ!」

「そんな事言われても....!」


そう断る意思を示していると、何かフォルダを受信した通知音

送り主を見ると、まさに今私に迫っている同僚の名前


「ちょっと!」

「それだけでいいから!お願い!」

「"それだけ"って....10ページもあるよ!?」

「合コンのお詫びを兼ねて何か奢るから!ね!」

「それもう趣旨違うじゃん....」



私はどうしても断り切れなくてそのフォルダを保存した


そこで何故かふと狡噛さんの声を思い出す
"お前は優し過ぎる"

....優しくちゃダメなのかな....



「そういえばさ....私が言うのも何だけど、旦那様に合コンの事バレてないよね?」

「その"旦那様"って言うのやめて....何か恥ずかしい」



私は手を温めるように握っていた缶を口元に運んだ





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