▼ 206

「ねぇ、昨日の夜さ、公安局の航空機が墜落したの知ってる?」

「え?航空機?」


いつものように朝伸兄と出勤し、昨夜急に仕事へ出てからどことなく不機嫌そうな夫の背中をエレベーターの中でしっかり抱き締めてから、ここ人事課オフィスに来た

それに対してはしっかり"やめろ"と反抗してくれたから、私の心配はその私と全く同一のスーツとスラッとした背筋に吸収されるように消えて行った


そして席に着いて早々同僚の子が、全く心当たりの無い話題を投げかけて来た

公安局どころか、航空機が墜落したニュースすら見てない
これでも毎朝厚生省の推薦ニュースを見る事は半ば伸兄に強制された事に始まって、今では朝食を取る時に一緒に見るのが習慣になった



「そんなニュース無かったよね?」

「そうなんだよ!昨日寝てたら急にドーンって大きな音がして。窓の外見たら公安局ロゴが入った輸送機が燃えてたの」

「....夢じゃない?そんな大きな事報道されないわけないじゃん」

「いや!お隣さんも見たし、それに、ほら」


突然デバイスを向けられ、距離感に目の焦点を合わせるのに少し時間がかかった
でもそこに写っているのは確かに煙を上げる航空機


「....ん?ちょっと待って、昨日の夜って言ったよね?」

「うん」

「何時くらい?」

「えーっと....この写真を撮った時間は深夜1時」


深夜1時
昨日映画を見始めたのが11時くらいだったから、伸兄が急にスーツに着替えて家を出ていったのが大体それくらいの時間のはず

もしかして、この写真の現場に....?

"もう遅いから早く寝ろ"と言い残して去った伸兄に、私も公園でダイムとはしゃいで無意識に疲れていたせいかすぐに眠ってしまった

ただ途中で、布団の中で胸に収めるように抱き寄せられたのは感じたけどどうしても目蓋が重くて、そのまま心地いい体温と規則的な心臓の鼓動音にすぐに意識を手放した


「宜野座さんから何か聞いてないの?」

「いや....特に何も....」


朝、先に目を覚ました私は、目の前に映った相変わらずよく整った端正な顔にかかる前髪をそっとかき分けた

左手でその頬を包むと自分の指で光る指輪が見えて、ずっと付けっ放しなんだから当たり前なのに、なんとなくそんな光景が私の胸をくすぐった

目元をなぞってみたり、鼻筋を撫でてみたり
普段堅苦しい表情が多い伸兄の、ほぼ必需品となっている眼鏡すらない無防備な寝顔は本当に愛しい

結局一切の抵抗をしないのを良い事に、唇を寄せたりと好きに愛情を堪能していると、ゆっくりとその瞳が開かれ、私は"おはよ"とありふれた言葉をかけた


起床した私達はそれぞれでスーツに着替えて、いつもと同じように朝食を取りながら共にニュースを見た

その時に"昨日の夜はなんだったの?"と聞いてみると、少し妙な間を置いてから"緊急の仕事だった"と答えた

嘘ではなさそうな様子から、つまり"どんな緊急の仕事"だったのかは教えてくれないと察する

まぁ機密が多い仕事だから、私もほぼダメ元で聞いたようなものだ



でも同僚の話が真実なら辻褄が合う
時間帯もそうだし、私に詳しい内容を教えてくれなかったのも報道規制がかけられてるから

....確かに公安局の航空機が街のど真ん中で墜落したら、私が厚生省のお偉いさんでも隠したくなる



「なんだったんだろう....あの感じじゃ負傷者も出てそうなのに」

「私達に何か影響がある事じゃないし、強いて言えば管財課はもう一機航空機買わなきゃいけないとかで頭抱えそうだけどね」

「管財課には自販機の商品変えて欲しいわ、もうずっと同じじゃん!出来ればアルコール入れてくれたらもっと喜ぶ」

「そ、それは無理でしょ....そもそも管財課って自販機の中身変えられるの?」

「それ以外で権限ありそうな課無いし」


そんな平和な雑談を過ごす時間は、ヘルメットの事件があった事なんて無かったと錯覚させる


「そう言えばさ、私達は名前は名前、宜野座さんは宜野座さんで慣れちゃってるからいいけど、"宜野座さん"って聞いて混乱しないの?」

「名字で呼ばれる事殆ど無いから平気だよ。....課長くらいかな?」

「あ、課長ね!子供いるらしいよ!」

「あの歳だもん、いてもおかしくないでしょ」

「そうだけど!偶然街で見かけたって子がね、奥さんすごい綺麗な人で、課長も普段と全然違うって言ってた」

「へ、へぇ....」

「あの課長だよ!?"愛してる"とか絶対言わなそうなのに!」

「もう、失礼だよ。ほら噂をすれば....」

「げっ....まぁ、側から見たらそんな男性に実は裏で溺愛されてる女性って羨ましいよね」


そう両手を小さく広げた同僚は真っ直ぐ私を見る


「....わ、私?」

「当たり前でしょ」





[ Back to contents ]