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「おかえ、.....ど、どうしたの?」


帰宅してすぐ出迎えてくれた名前は、今日は同僚の家で鍋をするからと自分で帰って行った
俺も、その方がまた縢がいない事を目にさせなくて済むと安心して了承した

倒れ込むようにその温もりを、壊してしまいそうな程強く強く抱き締める


「名前....」

「ちょ、ちょっと、泣いてるの?」


込み上げてくる悔しさと恐怖に唇が震えている
....それを泣いていると言うのだろう





局長に下された命令は、槙島の身の安全を脅かしてはいけないという理由で狡噛を捜査に参加させない、との事だった
それならば、二係に移し縢の捜索を手伝わせるのは問題無いと踏んだが、局長はそれ程狡噛が槙島を殺すと恐れているのか

駐車場で突如現れた大量のドローンと局長の姿に、俺は慌てて"説明する"と申し出たが、一切の有無を言わせて貰えずただ俺の監視官としての責任と裁量を試された

為す術が無かった俺は、腰のホルダーからドミネーターを引き抜きその先を狡噛に向けた





"犯罪係数265、刑事課登録執行官、任意執行対象です"

『うん、結構。君は順当に自らの有用性を証明している。....だが、詰めの甘さも否めない』

『っ!』


ドミネーターを構える俺の手に局長の手が添えられると、どういう訳か突然エリミネーターモードに変形
映し出された狡噛の犯罪係数も329に


『さぁ、宜野座君。君の責任者としての采配を、情に流されない決断力を私に見せてくれないか?』


狡噛を今ここで殺せと言うのか?
俺が、この手で、狡噛を....?
明らかな犯罪者である槙島は殺すなと言うのにも関わらず、逃亡も何もしたわけでもない狡噛は殺すのか?

引き金に添えた指が震えていた
....撃てない、だが撃たなければならない
どうすればいい?
とてつもなく長く感じた決断を迫られる時間の中、嫌な汗が流れ続ける

殺すしかないのか?
こんな所で
常守や青柳の目の前で
俺は狡噛を


『はぁ....宜野座君、』


耳元に囁くように掛けられた圧力





『これを愛する者に向けたくはないないだろう?』








その言葉に思わず指に力が入ってしまった俺は、直後に目の前で崩れていった狡噛に、まさか自分が撃ってしまったのかと絶望しかけた

だが間も無くそれはエリミネーターでは無くパラライザーだと気付き、射手である常守は、俺のドミネーターは故障しているからメンテナンスに出すべきだと凍り付いた場に言い放った




それを見て何も言わずに去っていった局長から解放された俺は無気力に銃を下ろしたが、あまりの恐ろしさに今こうして感情が止めどなく溢れてしまっている

....名前の前で泣くなどいつぶりだ
それでも情けない表情だけは見せたくないと、肩で交差する頭を引き戻らせないように後ろから手で押さえる


「の、伸兄....」


そんな俺を子供をあやすような手つきで背中をさする名前は、今の俺達刑事課にとってはもはや非現実的な平和の象徴だ

何も知らない純真な温もり
害する事など出来ない

....何としてでも悟られる訳にはいかない
そう手遅れ間近な自身を厳しく立して、理性で精神を覆い被せていく


「鍋はどうだった」

「え、あ、良かったよ...?」

「そうか。....この週末、俺の当直後にどこかへ出掛けよう。行き先はお前が決めていい」

「本当!?どこでもいいの!?」


そう明らかに声に期待を含ませた名前は、スーツを着替える為に寝室に入った俺の背後にぴったり着いて来た
実際しばらく外出と言えるような事をしていない
夕方以降からにはなるが、その数時間だけは全てを名前に費やそう


「そう言えば、新宿の期間限定の屋外スケートリンクが金曜日から再オープンするんだって!ほら、ヘルメットの件で閉じてたから」

「アイススケートなどやった事ないだろ」

「だからやってみたいの!伸兄だって未経験でしょ?」




































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ヘルメットを脱いで置いた手で、とっつぁんに差し出された琥珀色の液体が入ったグラスを掴む


「何故そこまで奴にこだわる。お前が許せないのは悪か?それとも槙島自身か?」

「どっちも違うよ、とっつぁん」


口内に含んだウィスキーは、相変わらず深い味わいだ


「今ここで諦めても、いずれ俺は槙島聖護を見逃した自分を許せなくなる。....そんなのは真っ平だ」

「お前らしい答えだな、コウ」


昼間、駐車場でパラライザーを撃ち込まれた俺は、少し前に医務室で目覚めた
それを待っていたかのように椅子に座ったまま眠っていた常守を俺はそのままにして、志恩と何気ない"最後"の会話を交わした

....もうここには居られない
上は俺を潰してでも槙島の安全を保障したがっている
槙島がこれからも人を殺め続けていくのを見過ごす法の内側で、ただ歯を食いしばるだけなど出来ない


そんな俺に、"警視庁時代の思い出だ"と懐から取り出されたキーとメモ


「いざと言う時に備えてセーフハウスを用意してた事がある。何かの役に立つかもしれん」

「とっつぁん....」


俺はそれを有り難く受け取り握り締めた
最後の最後までとっつぁんには世話になってばかりだな


「....お嬢ちゃんには黙ったまま行くのか」

「今更合わせる顔が無い」

「せめて気持ちの整理だけは、つけさせてやれよ」

「....そうだな」


常守は俺を許さないだろうな
そもそも許して欲しいと思う事すら無責任だ

俺はグラスのウィスキーを一思いに飲み干し、再びヘルメットを手にして席を立った


「美味かった。礼を言うよ、とっつぁん」

「....なぁコウ、」


玄関へと続く段差に踏み出した足をそう引き止められ、何となく何を言われるか察した俺は、とっつぁんに振り返る事も出来ない

その代わり自分にだけ聞こえる声量で息を吐く


「名前は恐らくだが何も知らない。縢が居なくなった事すら伸元は話してないだろう。行く前に誤解だけは解いてやったらどうだ」

「....あいつにはあんたの息子がついてる。ギノさえいれば名前は上手くやっていけるさ。俺が潜在犯に堕ちた時も、結果無事だっただろ」

「まぁお前がどうしてもと言うなら俺も何も言えないがな....」

「....槙島との決着が着くまではもう名前の事は考えないと決めたんだ。もし俺が無事に帰って来れたら、その時は正直になると約束するよ」





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