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それだけ言って"仕事があるので"と去って行った常守さんに、私は訳が分からず呆然とした

"連れ戻す"って何を?誰を?

とりあえずこんな廊下で突っ立っていてもしょうがないと、渡された封筒を手に自分のデスクに戻る事にした


椅子を引いてそこに腰を下ろす

作業途中の資料が開きっぱなしになっていた画面を前に仕事をするべきだと言うのは分かっているけど、どうしても封筒の中身が気になって仕方ない

そんな好奇心と欲と数秒葛藤した後、中身が何なのかだけ確認しようと決めて、封筒の蓋を開けてデスクの上で逆さまに....


「わっ!」


した途端、細かい薄いピンクの色の紙が何枚も落ちて来て、その勢いのまま数枚床にヒラヒラと落ちてしまった

その予想していなかった展開に思わず声が出てしまった私は、すぐに口元を手で覆い、椅子の下にしゃがみ込んで何か文字が書いてある紙に手を伸ばした


...."お前の笑顔が好きだった"...?


綺麗な手書きの文字でそう綴られた言葉に、突然心臓を握り潰されたような感覚に陥る

まさか....狡噛さんの字?
今まで見た事無かったけど、さっきの常守さんの発言からして....

私は職場だと言う事も忘れて、落ちているもう3枚を拾い上げた後、全てをデスクの上に広げた





「...え....」



"ケーキ美味かった"
"コーヒーありがとな"
"結婚おめでとう"
"仕事頑張れよ"

短いけど丁寧な言葉が優しい声で再生された

その中でもやや大きめで、長めの文章が書かれた物に目を向ける



「....なん..で...嫌いって....」



シワが大量に走っている紙の上に記された"真実"に、途中まで読んで視界が霞んでいく
呼吸が苦しくなって、指先や唇が震えているのが自分で分かる


「....名前...?どうした?」


そう掛けられた同僚の声すら上手く脳で処理されない


どういうこと?
なんで今こんな....
連れ戻すって、もしかして狡噛さんを...?
だとしたら逃亡したって事?
どうして?
いつ?

ただとにかく涙が溢れる程嫌な感じがした私は、互いに仕事中であるにも関わらず、急いで通話を掛けた


『....なんだ、職務中で

「狡噛さんに何があったの!?」

「ちょ、ちょっと名前!ここオフィスだって!」

『なっ、どこでそれを....』


目の前に広がる狡噛さんの文字達を滲ませるように、溢れた滴が広がって行く


「ちゃんと教えて、隠さないで!」

「名前!一回外行こ、ね?」

『....名前、落ち着け。帰ったら全部話す、約束する。だから今は仕事に集中しろ。いいな?』


スーツの袖で涙を拭う私の背中を摩った同僚は、デスクの上に散らばる紙切れを掻き集めて、それを手に私を休憩室に強引に連れ出した



いつの間にか伸兄との通話も切れていて、もうぐちゃぐちゃになって泣く私の隣に同僚が腰掛ける


「はい、オレンジジュースで良かった?」


整わない呼吸に返答する余裕が無かった私は、ただ有り難くその缶を受け取った


「さっき呼び出されて、宜野座さんにこれ渡されたの?」


その問いに対し首を横に振る


「....なに?これ。....メモ?」

「ごめん....一人にさせて、....すぐ戻るから」


"何かあったら遠慮しないで言ってよ?"と言い残して素直に去って行った心遣いが、本当に良い友を持ったと思う






ソファに置いて行ってくれた紙の山から、もう一度先程のメッセージを探す
今度は最後まで読む為に


"何度も傷付けてすまなかった。
信じてはくれないかもしれないが、俺はお前を嫌いになった事は無い。
今でも変わらずに好きだ、愛してる。
本当だ。
お前がこれを読んでいる頃、俺はもうお前の側には居ないだろう。
だがギノになら安心してお前を任せられる。あいつはああ見えて強がりだからな。"色相濁るぞ"って脅して、たまには笑わせてやってやれ。
もしあいつが他の女に目が移ったら、"俺からだ"と言って思い切り殴れ。
今までお前と過ごした時間を一生忘れない。
絶対にその幸せを離すな、もうお前の涙は"


そう中途半端に終わった文末は、どう見ても書きかけ

狡噛さんはこれをどうするつもりだったの?
どうして常守さんが私に持って来たの?

そんな疑問が浮かぶ反面、辛い思いをしたくないばかりに狡噛さんを勘違いしていた事実が心臓を貫く

ずっと、せっかく与えてくれていた想いを何も言わずに裏切った私が憎いんだと思ってた
"嫌いだ"
"顔も見たくない"
と投げ付けられた言葉をそのまま飲み込んで、期待したくない自分に都合の良いように全てを勝手に解釈していた


ちゃんと話せば良かった
ちゃんと話してくれれば良かったのに



向けるべき対象も無い後悔がまた私の頬を濡らして行くけど、何も状況を分かっていない私には、全部話すと約束してくれた伸兄の帰りを待つ事と、どこか様子が変わった常守さんを後ろで信じる事しか出来ない

...."側にはいないだろう"って、どこに行くって言うの





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