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「....ただいま」


不安なのか悲しいのか、怖いのか嬉しいのか
複雑に絡み合った感情に息が詰まって行く

また"遅くなるから先に帰っていろ"とメッセージが送られて来て、私は上の空な心でいつの間にか玄関の扉を開けていた

一応公安局を出る前に一係にも行ってみたけど、案の定空だった

つぶらな瞳でこちらを見上げるダイムの横を、パンプスを脱いだ足で通り過ぎる

そんな私の後ろを心配そうについて来たダイムは、自室のベッドの上で丸まるように座り込んだ私の隣にぴったりくっ付いた


「....ごめんね、散歩はもうちょっと待って」



....ケーキ食べてくれたんだ
捨てられてなかった
良かった
コーヒーもちゃんと受け取ってくれた

....嫌われてなかった
見捨てられたわけでも、愛想を尽かされたわけでも無かった

全部全部嬉しいはずなのに

....どうしてこんなに苦しいの


あの日を思い出す
ずっと前、食堂で初めて狡噛さんにキスをされて一人泣き崩れた日

その時と同じくらい体に力が入らない

スーツを着替える気にもならない
シワになっちゃうどころか、むしろわざとそうなるような体勢で布団の上でもがく

....本当に逃亡したのかな
なんで?
恨み続けた槙島はこの間捕まえたって
狡噛さんは潜在犯や執行官という立場が嫌になって逃げるような人じゃない
そういえば秀君も見かけてないけどまさか....?


何も分からない上に、私はここで何も出来ない
手伝えないくせに、伸兄に"教えて"ってわがままだけ迫って

元から最近疲れてそうだし迷惑なんて掛けちゃいけない
私だけでも元気でいて心配させないようにしようと思ってたのに、結局またこうして"困らせる"という名の甘えをしてしまう

教えてくれて無かったのは、私が今の状態にならないようにする為だったはずなのに
そんな気遣いも出来ずに、布団を握る

















そのままどれくらい経っただろう
真っ暗な部屋の中、ダイムは吠えもせずずっと付き添ってくれている
自分が眠ってしまっていたのかも分からない

時間を確認しようとデバイスをポケットから取り出すと、目に入ったのは"2113年2月11日土曜日 0時27分"とメッセージが1件の表示

メッセージの送り主は伸兄の名前で、
"今日は帰れそうにない。風邪を引かないように暖かくして寝ろ。狡噛の事は深く考えるな、あいつは無事だ。明日出来るだけ早く帰るから、スケートで転んでも問題無い格好をしておけ"

こんな時に帰って来れないなんて
1秒でも早く会いたいのに

声だけでも、と通話ボタンを押してみても


"....お掛けになった"


忙しい事を突き付けられた


重い体を最後の力を振り絞って起こして、リビングへ向かいダイムにかなり遅くなったご飯を用意する
散歩は本当に申し訳ないけどもう無理だ

ダイムが音を立ててドッグフードを食べる横で、キッチンの台に手を付いて俯く


....何が起こってるの?
狡噛さんはどこにいるの?
もし本当に逃亡したのなら、殺処分されちゃうんじゃ....

そんなの....絶対に嫌だ
まだ話したい事聞きたい事、たくさんあるのに

...いや、待って
まだ分からない
もしかしたら事件に巻き込まれて、誰かに拉致されたのかもしれない
それを今伸兄達は追いかけてるのかも


そうとでも考えないと、どんどん心が濁っていく気がして

こんな顔で明日伸兄を出迎える訳にはいかない
笑わなくちゃ
狡噛さんも"笑え"って言ってた

大丈夫
一係だもん、犯罪の検挙率が最も高い優秀な係
きっと実は、私がこんな苦しい思いをする程重大な事なんて起きてない可能性もある
大丈夫、大丈夫

また月曜日退勤後に訪れる時には、いつものようにタバコを吸ってる狡噛さんがいる
その時はどんなに避けられてもしっかり向き合うの


でもまずは、明日伸兄を笑顔にさせなきゃ
せっかくの久々の外出、大事に楽しみ尽くしたい
それがお互いに今求めてる物だから

不確かな思い込みに落ち込んでる場合じゃない
それじゃ余計全てを悪化させる


そう私は無理矢理濁り始めている自分を立した


灯りもつけていないキッチンで、隠しきれない不安に震える手でホットココアをオートサーバーに注文する


....これ飲んで早く寝て、早く明日を迎えよう

アイススケートのコツも調べたし、焼肉もちょっと高いお店で伸兄が奢ってくれる
プラネタリウムで一緒に星を見上げる夜なんて、すごく楽しみ




....楽しみだよ
本当に
楽しみ過ぎて、眠れないんだよね....?





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