▼ 217

「....ど、どういう事ですか....?」


そう困惑の表情を俺に向けた名前は、よく分からないが髪をアレンジしたりと少し着飾っている
どこかへ出掛けたのか、またはこれから出掛けようとしていていたのか

どちらにしろ、つい数時間前まで俺が居た状況とは全く似つかない平穏さに、まだ手には火薬の匂いがする気がした


....凄まじい爆発音の後に目にした、血塗れで横たわるとっつぁんの側で絶望の色を示したギノ
あの様子じゃ二人とも....


「....ギノから連絡はあったか?」

「い、いえ....返信も何も....」


やっぱりか....

全部俺のせいだ
それ以外の何物でもない
名前には償っても償いきれない

これまで散々傷付けて来て、とっつぁんにも"槙島と決着をつけて無事戻って来たら素直になる"と約束したのに、その結果がこれだ

今更素直になるなど、どの口が言える

それなのに自分の犯した罪も告白出来ずにただ突っ立っている間、目の前でこちらを見上げる顔が見る見る内に蒼白になって行く


「....まさか、伸兄に何かあったんですか?」

「.....」

「そんな、そんなはずない!だって今日一緒に....それを糧に仕事も頑張るって....退いて下さい!」


そう俺を押し除けて玄関の扉を開こうとした体を、急いで抱え込むように引き止める


「っ、おい!どこに行くんだ!」

「離して下さい!助けなきゃ、私が絶対に!」

「....クソっ」


完全に取り乱しもがくように暴れる名前を、俺はとりあえず部屋の奥に連れ込んだ

何とかして落ち着かせなければ
....どうすればいい
俺はギノじゃない、対処法が分からない

人の家で勝手に知らない扉を開けるのはどうかと思い、約1週間前に一度訪れた寝室のドアを開けて、そのベッドの端に座らせた

尚も立ち上がろうとする肩を押さえ付けて


「どうして行かせてくれないんですか!早くしないと、早くしないと本当に

「もう遅いんだ!」


そんな顔をしないでくれ
もう涙は流させないと決めたんだ
いつも笑っていて欲しいと、幸せでいて欲しいと


「....あいつはもう....帰って来ない」


その願いを俺は自ら壊しても尚、零れ落ちる滴が綺麗だと思ってしまう

真っ直ぐに俺を見つめている瞳は透明な潤いの幕を纏って小刻みに揺れている
そこから溢れては落ちて行く涙を止めようと頬に手を添えるが、久々に触れた滑らかな肌が嫌味のように俺の精神を揺らす

....ダメだ
俺にそんな資格など無い
己を戒めるように、輝かしい光を反射させる指輪をわざと目にして、俺は呆然とする名前から身を離した


「....シャワーを借りてもいいか?」


言葉を発する力も無いのかただ小さく頷いた姿に、場所は自分で探すしかないかと一度小さく息を吐いてから部屋を出た





最初に開いた扉の先はまた別の寝室で、特に大きくテイストは違わないが若干女らしい雰囲気に、その主はすぐに予想がつく
さすがに入るのは用も無ければ失礼だと、ドアを閉めて再度浴室を探しに足を進めた



「....ここか」


きっちり整理整頓され全く無駄の無い様子だが、二人の生活感はよく感じられる
そんな生々しさを全身で受け止めながら、衣服を脱いで行く

....これから名前はどうする
夫が潜在犯になった事で、恐らく厚生省から離婚の勧めが来る
それを受けるかどうかは本人次第だが、あまりにも心身に影響を受けているようだと強制される可能性もある
そもそもその前に名前が施設送りなってしまえばどうしようも出来ないが....

だがこうやってあいつの身を心配している俺は、火薬武器で殺人を犯した逃亡執行官だ
善人ぶってる場合でも無い
俺だって今後の事を考えなきゃいけない
あと二日であのヘルメットも使えなくなる

自分で選んだ道だが、もう二度と平和な日々は訪れないのかと思うとやはり良い気はしない


不穏な未来を考えながら脱衣所に出ると、バスタオルと部屋着が律儀にも用意されていた

「....全く」

サイズからしてギノの物だろうな











有り難くそれを着込んでから再び寝室に戻る

まだそこまで遅い時間でも無いが、名前はいつの間にか布団に潜り込んでいた
僅かにはみ出た頭だけが見える背中に、


「....リビングのソファを今夜だけ貸して欲しいんだが....」


俺はそう図々しい要求を投げかけた

これで拒否されたらどうするんだと思うが、俺は深く考えもせず名前の優しさを当たり前だとしていた

だが了承の言葉を期待していた俺に帰って来たのは、



「....一人にしないで」



全く予期していなかった呟きだった

普段の敬語が外れた返答は本当に俺に向けられた物なのかも分からないが、"近くに居て欲しい"と強請れるのが嫌なはずもない

もう寝たいのだろうと考えた俺は、部屋の明かりのスイッチを探して消してから、ベッドの反対側に移って同じ布団の中に体を滑らせた

可能な限り距離を保って



「何が....あったんですか....」


その表情が見えない俺には声の調子から想像するしか無いが、きっと俺に怒りを募らせているんだろう

突然ノコノコとやって来て"全てを奪った"など、そういった感情を向けられるのは当然だ


しばらくは、本当に話しても良いのかと迷ったが名前には知る権利があると意を決して、俺はノナタワーの件から全てを淡々と語った

その間名前は相槌も打たず、まさか眠ってしまったのかと途中で思ったが、間も無く鼻をすする音が聞こえて来た

....また泣かせてしまった
俺はもう名前の笑顔は見れないのかもしれない

自業自得でしかない



全て伝え終わってからも、暗い部屋の中名前の押し殺したような泣き声だけが響き続けた

いっそ強く怒りをぶつけてくれた方が良かったのだが、こうただ涙を流されるのは、俺もどうしたらいいのか分からない

とてつもなくタバコでも吸いたい気分だが、喫煙などされた事もない部屋で煙を焚くのは気が引けた







....今夜は眠れそうにないな

名前が眠ったのを確認したら、やっぱりリビングに移ろう
そう決めてベッドの端でじっとその時を待っていると、




「....っ、おい!」

「....ずっと側に居てくれるって、離さないって....約束したのに...」


突然布団の中で暖かな体温に抱き付かれて、俺は一気に全身を強張らせた


「なんで....伸兄....なんで」

「待て名前!俺はギノじゃ

「今日だって私....ずっと待ってたのに」


ダメだ
柔らかな肌に抱き締められてるだけだと言うのに、二度と解放しないと閉じ込めていた劣情が生まれてしまう

....俺はどこまで下劣なんだ
名前が求めているのは俺じゃない
そしてそれを失わせ、こんなになる程名前の心を壊したのは俺だ

すぐ隣で泣きながら明らかにギノへ向けられた思いをひたすら紡がれ、妙な責任感と罪の意識から突き放す事も出来ない

早く眠ってくれ
そう切に願った俺とは裏腹に、





「....愛してる」

「なっ!やめ





脆い優しさと愛に溢れた口付けに、俺まで何故か涙が溢れて




「....本当にすまない」




誰に対するものなのかも分からない謝罪を口にして、俺はその愛しさに手を伸ばしてしまった





[ Back to contents ]