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....やらかした
なんとしてでも止めるべきだった

室内の生温い空気に晒されている胸が苦しい

身体を起こしている俺とは反して、露わな背中を向けて動かなくなった名前はさすがに疲れたのか寝息を立てている


「...はぁ...」


水でも飲もう






シャワーを借りた時に覚えた家の間取りを使って、リビングに向かう

許可も何も取ってないが、まぁ大丈夫だろうと安易な考えで棚からコップを一つ取り、シンクの蛇口から水を注ぐ


....最悪だ
もう会う事も無いだろうが、いくら自分も嫌悪する潜在犯になったとは言え、こんな事ギノに知られたら殺される

....だが名前は、その最中一度も俺を"狡噛さん"としては見てくれなかった
ずっと泣きながら夫への愛を口にし続け、その儚さ故か、それとも罪悪感からか、俺も涙が止まらなかった

泣くなんて久しくしていなかった俺は、あまりの息苦しさに、いつもこんな思いを名前にさせていたのかと痛覚した


名前はきっともう....
そんな感覚を確かめる為に、簡易色相チェッカーを探す
恐らくカバンの中にでも入っているんじゃないかと、一度撤退したもう一つの寝室に向かった


扉を開けて明かりをつけると、突然の眩しさに思わず目を瞑った

デスクの上には確かに見た事のあるカバンが乗っていて、その中を探ろうと手を入れる

ちょっとしたお菓子やメンタルケアサプリ、ハンカチと職員証などが簡素に入っていた中ではすぐに目当ての物を見つける事が出来た

だがそれ以上に気になったのは白い封筒だ
紙類など殆ど使わなくなったこの時代で、封筒をカバンに入れているのはかなり異例
だが、カバンを探っているだけでも充分失礼なのに、封筒まで漁るのは気が引ける

....やめておこう
いくら何でもそれは身勝手過ぎる

俺は簡易色相チェッカーだけ持って名前が眠る部屋へ戻った






暗闇に覆われた部屋に、ただ一つ画面の光が漏れる

起こしてしまわないようにそっと精神状態を確認すると


"色相ローズマダー、速やかにストレスセラピーを受ける事を推奨します"


....やはりそうか
この濁り具合じゃ犯罪係数も150近くありそうだ
街を歩けば即施設送りだろう

あそこは本当に行かない方がいい
人間というより個体として扱われる
シビュラに弾かれた人々は、ただの厄介事としか思われない
それに一度入ったらほぼ二度と出られない



俺はそんな苦しい思いを抱えてリビングに向かい、テレビの前のソファで布団もかけずに横になった



























....ん?

何か体が重い気が....

結局眠ってしまった目蓋を開けると、目の前に見えたのは茶色い毛


「ワン!」

「....だ、ダイムか....おはよう」


犬に起こされる朝も悪くないな

その頭を撫でようと俺が体を起こしたのと同時に降りて行ったダイムは、すぐにどこかへ行ってしまった

特に音もなく、何も変わっていないリビング
....名前はまだ起きてないのか

時間を確認すると午前7時過ぎ
俺もそろそろ動かないといけない
明日にはヘルメットを被っての移動は通用しなくなる




浴室の脱衣所に放置していた衣服に着替え、借りた部屋着を丁寧に畳んで寝室に持って行く

扉を開けると、仰向けで腕を目元に当てまた泣いている名前の姿

....最後に見るのが泣き顔だなんて飛んだ皮肉だな
それが俺への罰なのかもしれない


「ごめん、なさい....」


新しい日を迎え最初の言葉がそれか....
とても清々しい朝とは言えないな

俺は持って来た部屋着を、ベッドの上、名前の足元に置いてからその縁に腰掛けた


「謝るな、....お前は何も悪くない」

「....ごめんなさい」

「....はぁ...デバイスはあるか?」


そう聞くと、枕の下から取り出されたそれを渡された

俺はその中からメモ機能を開き、とある店の住所と番号、そこのオーナーの名前を書き記した

実は廃棄区画にある、所謂キャバクラだ
昔佐々山の外出に同行して何度か連れて行かれた事があり、口が上手い佐々山のおかげでオーナーの女性には割引をしてくれたりと少しばかり世話になった

佐々山が殺されてからは行ってないが、あのオーナーは信用できる人だ

....名前はまだ若い
施設で生涯を過ごして欲しく無い
あんなところに行くよりは、廃棄区画で自由に暮らした方がいい

どうするかは名前次第だが、俺がせめてもの償いとして提供できるのもこれくらいしか無い


「メモに俺の知り合いの店を書いておいた。何かあったらそこに行け。俺と佐々山の名前を出せば悪いようにはされないはずだ」

「....佐々山さん...?」

「まぁ、ちょっとな。詳しくはメモに書いた女に聞いてくれ」






ポケットからラッピングが全て取り除かれ裸となった小さな箱を取り出して、先程の畳んだ部屋着の上に置く

もう二度と会えない
分かってて槙島を撃ったはずだ

....そうさ、分かってたさ

望んだ形でも幸福な物でもなかったが、最後にまた触れる事が出来た
自分勝手な情欲だったかもしれないが、また求め合えた

例えそれがどんなに禁じられるべき行いだったとしても、良かったと満足する事がこの想いへの供養になる
ダメだったと否定する方が名前にも悪い


いいんだ、これで




結局正直な気持ちも伝えられなかったが、もうそれも何も為さない




むしろこのまま簡潔に終わりを迎える方がお互いの為だ







俺は後ろ髪を引かれる思いで立ち上がり、再びその顔を見る事もせず部屋のドアへ向かった






「....さよならだ、名前」





元気でな





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