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『おはようございます、起床の時刻になりました。潜在犯の皆さん、今日も一日色相浄化に努めましょう』


毎朝毎朝独房のような部屋の中でこの声に起床を促される
そもそも名前のことが気がかりでうまく眠れもしない俺は、そんな目覚ましなど必要無かった

3月になり外がどれ程春に近付いたか分からないが、気温が上がっているのは常守の様子で知り得ている


....あれから更に2週間
もう1ヶ月か
常守の情報によると、3日前から遂に自宅の電気や水が止められたらしい

それでも名前に動きは無く、まさか既に自ら命を....
とサイコパスが悪化しそうな事ばかり考えてしまう

壁に掛けられた白いドレスと黒いタキシード
....名前はもう黒く染まってしまっただろうか

互いに互いだけは失えないと、そう強く結ばれた思いは、俺のせいで無残にも解けてしまった
必ず守ると....誓ったのに....



「おはようございます、えぇっと....宜野座さんですね」


ガラス戸の向こうで白衣を着た女性が手元のカルテに目線を落としている
これもいつもの光景だ
未だに名前も覚えてもらえていないらしい


「サイコパスに特に悪化は見られませんね。これからも頑張っていきましょう」

「あの、すみません。購入申請を出した植物の事なんですが....」

「あぁ....えぇ...はい、月下美人ですね。計4回申請が却下されていますね。残念ながら大変貴重な物のようで、こちらでは中々手に入らないそうです」

「ですから店を伝えると

「すみませんね、私にもどうしようも出来ないので担当の者を呼びますね」


完全に厄介者扱いだ
まぁそれもそうだろう
シビュラによって"この社会にいるべきではない存在"と枠付けられた人間が、"この社会にいるべき存在"に要求を押し付けているのだから




....はぁ....
担当の者など来るはずもない部屋の中、鏡に映る自分の顔
名前が好いてくれていたにも関わらず、俺が嫌いだった顔
親父に似た目元を特に嫌悪しずっと伊達眼鏡をかけて来た
それも例の事件の際に壊れ、遅過ぎたが親父との蟠りも解けたのを機に脱却した

....名前、今でもまだ


「宜野座さん!」


そう突然ガラスに張り付く勢いで名を呼ばれ、振り返ると肩を上下に揺らす常守の姿


「ちょっと困りますよ!面会はちゃんと許可を取っていただか

「私は厚生省公安局刑事課の監視官です!職務を妨害しないでください!」

「....も、申し訳ありません....」


....相変わらず監視官の権限は絶大だな




「そんなに急いでどうした」

「名前さんから、連絡が来ました!」


そのたった一言も俺を突き動かすには充分だった
俺は思わず立ち上がり、窓ガラスに急いで近寄った


「ほ、本当か!」

「はい、ただその....お、怒らないでくださいね?」

「分かったから勿体ぶるな!」

「....通話を2回掛けてくれたみたいなんですが、私眠ってしまっていて....取れなかったんです」

「.....つまり、"連絡が来た"と言うのは不在着信が2件入っていたと言う事か?」

「いえ、その代わり音声メッセージを残してくれていました。それを宜野座さんに聞いてもらいたくて、本当はあと15分で当直なんですけど....と、とりあえず聞いてください!」


常守がそこまで焦ってここにやって来たと言う事は、よっぽど重大な事を名前が言っていたのかと身構えていると、"じゃあ再生しますね"とすぐに聞こえて来た声は紛れも無くあいつの声だ


『....えっと、常守さん、何度も連絡をくれたのに無視してしまってすみませんでした。
実はずっと体調が...その...悪くて....。
伸兄もずっと帰って来ないし、一昨日から家の明かりが付かなくなったんです。水も出なくなって、これ以上ここには住めそうにありません。
引っ越そうかと思っているんですが、ダイムを連れて行けないので、もし良かったら常守さんに引き取って欲しいんです。....本当に良い子なので!
だから家の鍵は開けておきました。迷惑だとは分かってます、でもどうか!お願いします....
それから私退職する事にしました。引越しの作業に忙しくて局に行けないので、何とか退職願を出してくれませんか?
わがままばかりでごめんなさい....
あと、最後にもう一つだけ。
もし、伸兄に会えるなら伝えて欲しいんですけど....
ずっと、愛してる....って。
元気だから...心配しないでって。
....何があっても私の夫は伸兄だけだから....
はぁ...す、すみません....以上です
ありがとうございました....』


途中から明らかに涙を流し始めていた声に、俺は息さえ出来なくなる程苦しみに溺れた

....名前は堕ちた
根拠は無いが分からないはずもない
きっともう手遅れな域に達している

....常守の前、俺は溢れ来る感情を必死に抑えた
あれだけ"絶対にそれだけは"と守って来た境界線を名前に渡らせてしまった

そんな時に俺は残酷にも檻の中
....正直限界だ



「....その、それで、宜野座さんにお願いがあるんです」

「....俺に拒否する権利も無い」

「いえ、....これを」


そう言って監視官デバイスから表示されたのは、俺の名前と顔写真が載った一枚の資料


「まさか....」

「はい、シビュラシステムから適性が下されました。宜野座さん、また刑事になりませんか?」





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