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8時まであと15分
このまま見送る事になってしまうのかと、やや俯きながら溜息を漏らした直後


「っ!」


グッと体温と重みを身体に感じ、


「伸兄」


そう直接耳に届いた声
それがどれ程俺に安心を与えた事か


「良かった...」

「....それは俺の台詞だ」


"会いたかった"と泣きそうな声で何度も繰り返す名前は、その度に腕の力を強めて行く
それがどうしても愛おしく、残りわずかとなった幸福の時間を噛み締めるようにその背中を左手でさする


「....私、これからどうなるの....?」


不安に曇った表情で俺を見上げる瞳にどうしても煽られる
....1年半も触れられなかったんだ


少しくらい


いいだろう






と呼吸さえ交わり合う距離まで迫った瞬間に聞こえて来た扉の開閉音



「あ....すみません...タイミングが悪かったみたいですね」

「....いや、大丈夫だ。もう時


間か?
と聞こうとした俺を遮るようにして強引に触れた柔らかさ
....名前のこういう所はいちいち心臓に悪い


「ふふっ、名前さんは全く変わってませんね」

「....人前ではやめろと何度も言っただろ」

「...だって...」


拗ねたように短くそう吐いた名前は、そのまま俺の胸に顔を押し付けるように再び抱き付いて来た
....もう離れなければならないという時に
だが引き剥がすことも出来ない俺は結局甘い


「宜野座さん、12時まで自由にしてくれて構いません。六合塚さんも当直を交代する事に了承しましたので、今日は第二当直勤務でお願いしますね」

「は...?8時じゃなかったのか?」


それだって危険を犯してくれた成果のはずだ
なのに更に4時間?


「唐之杜さんが間違えちゃったみたいですね。最初から12時でしたよ」

「....そうか、本当にこんな事まですまないな」

「いえ、私に出来る事をしただけですよ。公安局を出なければ何をしてもいいですけど、お二人とも絶対に"無理"だけはしないで下さいね。まだまだ病み上がりと同じなんですから」

「あ、あぁ....」

「じゃあ12時に待ってますから、一係オフィスまで名前さんと来て下さい」


"後から延長はもう聞きませんからね"とまた出て行った常守には、かなり気を遣わせてしまっているらしい

今度何かしっかり礼をしなければ....


「....伸兄....私、謝らなきゃいけない事が....あるの」

「部屋でゆっくり話そう。ダイムもお前に会いたがっている」


俺はベッド脇に置かれていた自分のコートを名前に羽織らせて、医務室から連れ出した














「....家にあった物がいっぱい....」

「ほぼ全部持って来た、お前の服や食器もある」


宿舎にある半分近くの物は、長い間その持ち主に触れられて来なかった
ようやくその主を迎え入れられて、1年半1人で過ごして来たこの部屋も名前が居るだけで全く違って見える


「ワン!」

「ダイム!」


大きく尻尾を振るダイムを、しゃがんで抱き締めた名前は恐らく最後に別れた時も同じようにしたんだろう


「ごめんね....あの日寂しかったよね....私が置いてっちゃって....」


それを横に俺はオートサーバーで軽い食事を用意した
薬物の影響もあっただろうが、あのやつれ具合からするとまともに食べれていなかったのだろう
なるべく体の負担にならないようにと選んだのは雑炊

30秒程して完成した中身を機械から取り出して、テーブルに運ぶ


「食べれるか?」

「うん、ありがとう」


ダイムを離して一度キッチンで手を洗って来た名前は、大人しく用意した雑炊の前の椅子を引いて座った

出来るだけ側にいようと左隣に腰掛けたが、あと4時間足らずで触れられなくなると思うと、その距離ですら遠く感じてしまう

そんな俺と同じ事を考えているのか


「手、繋いで」


と差し出された左手を強く握った

全てが変わってしまったはずなのに、何も変わっていないように思える光景
名前が隣で食事をしている
ダイムがそれを穏やかに眺めている
....こんなにも以前と同じなのに、俺達は絶対に成るまいとしていた潜在犯に落ちてしまった


「....いつから執行官になったの?」

「お前が家を出てすぐだ、だからもう1年半になる。....名前、何があった」


そう答えると、持っていたスプーンを雑炊の中に沈めて唇を震わせ始めた様子に、妙な違和感を感じる
....何を恐れている?


「....私、あの日ずっと待ってたの。久々の外出にちょっとオシャレもして。....でも伸兄、返信もくれないし、通話も出てくれなくて....ずっと一人で待ってたの。そしたら....夜急に玄関のチャイムが鳴って....最初はやっと伸兄が帰って来たんだと思った。でも、それならチャイムを鳴らすはずが無いって気付いて....ごめん....私....」


いつの間にか大粒の涙を流し始めていた名前は、どれだけ追い掛けても俺から目を逸らす


「....ごめんね...伸兄、ごめん....私が悪いの....私が....全部私のせいだから....」

「....まさか....狡噛か...?」





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