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....来ない
部屋の中からガラスの向こう側を見つめるも、時々職員の人が行ったり来たりしているだけ
夕食もさっき終わって、もう19時を過ぎた
面会時間は20時までだったような....
....今日は早めに来るって言ってたのに
毎日ここで過ごす日々は退屈で長い
"色相浄化に努めましょう"という目覚ましで起こされて、運ばれて来るご飯を食べて、医師と30秒程の意味も無い会話をして、あとは自由
29年生きて来て今までのどんな時より時間が有り余ってて、宿題も仕事も無い
でもこんな不自由も無かった
もちろん幼少期親戚の家で暮らしてた時や、お父さんが潜在犯になって私達が差別を受けていた時と比べればずっと平和
確かに親戚の家での事はほとんど覚えてないし、差別も私はそこまで被害は受けなかったけど、あれは二度と繰り返したく無い
少しずつ壊れていったお母さんと、顔や手足に傷を負って帰って来た伸兄
....さすがにアルバムにはそんな辛い写真は残ってない
だけど正直、ここに残された笑顔よりもその暗い日々の方が記憶に刻まれてる
当時の私達にはお母さんに何が起こっているのか分からなくて、助けてくれる人もいなかった
どうしようもなくなって、お婆ちゃんに連絡が行ったのはしばらく経ってからの話
それまでの間、本当はどれくらいだったんだろう
1週間?1ヶ月?
....私の感覚では1年はあったかな
それ程苦しかったんだと思う
『お母さん』と声を掛けても『うん』としか言わなくて、『お腹空いた』とご飯をお願いしても『うん』とだけ
小学校でも"潜在犯の息子だ"と親に関わる事を禁じられた子供達に、伸兄が暴行を受けたり
それを実際にこの目で何回か見た事があるけど、いつも私は泣くだけで何も出来なかった
次第にお母さんも全く動かなくなって
それからだ
伸兄が変わった
アルバムでも分かるように可愛らしく笑ってた笑顔が消えた
自分が一番辛いはずなのにいつも私を気にかけて、家事も最初は見様見真似でこなしてたっけ
完全に二人きりになってからも、お婆ちゃんには迷惑をかけたくないって、私を置いてどんどん"大人"になっていった
それを一番感じたのは初めて"女の子の日"を迎えた時かな
ある日トイレに行った時にその赤い色に衝撃を受けて、学校の授業で聞いた事はあったけど何故か全くそうだとは思わなかった
何か病気になったのかもと怖くなった私は、恥ずかしさの欠片も感じずに"どうしよう"と慌てて伸兄に助けを求めたところ、やけに落ち着いた様子でナプキンを渡され温かいスープも用意してくれた
実は私より一年早く授業で習った時から、いつそうなっても大丈夫なようにお婆ちゃんにどうするべきか聞いたりと準備していたらしい
その私との反応の違いに妙な安心感を抱いた
それからというもの、家の事、学校の事、普通なら大人がするべき物を全ていつの間にか管理していて、私は何も知らずにここまで来た
....そういえば高校の最終学年の時はやっぱり監視官の仕事が忙しかったのか、スーツの上にレイドジャケットを着込んだまま三者面談に来てくれたのは何だか心強かったというか、誇らしかったのを覚えてる
"公安"の登場に驚いていた先生に対して、変な優越感を感じた
"すごいでしょ、監視官なんだよ"
って伸兄の隣、心の中で自慢してたな....
その一年前まで同じ学校の生徒で自分より年下な"保護者"に対して敬語を使う先生が、どうも面白かった
結局どんなに怒られて喧嘩しても、伸兄が耐えて来た過去と私の為に費やした労力を知ってるから嫌いになれなかった
....さすがに結婚するとは思わなかったけど
そうやって乗り越えて来た"潜在犯"との確執
それが今じゃお互いに潜在犯になってしまった
「....はぁ」
....なんでこんな昔の事思い出してるんだろう
今となってはまるで夢だったかのような光景が詰まったアルバムを見てたからかな
もうすぐ20時なんだけど....
まさか今日来ないの....?
とちょうど思っていた時に
「公安局の方からお電話です」
と部屋の前に看護師さんが来た
「電話、ですか?」
「ただ今スピーカーにしますね」
確かにその手にはデバイスが一つ
『名前、聞こえるか?』
「あ、う、うん」
ガラスを一枚と機械を隔て届く声は、今日一日ずっと待ってたもの
『すまない。本当は会いに行こうと思っていたんだが、また事件が起こった。今やっと全ての処理が終わったところで面会時間には間に合いそうにない』
「....そう...なんだ」
昨日だって仕事なら仕方ないって割り切った
でも残念な気持ちを隠しきれない
....困らせたくないのに
この1年半と比べれば2週間なんてあっという間なのに
底知れぬ寂しさに襲われる
『....泣くな、名前』
そんな事言われたって、私も泣きたいわけじゃない
ただ、会いたい
どうしてこんな簡単な事が難しいの
毎日面会時間の制限まで付けられて、その限られた時間の中でも誰かが事件を起こして
「会いたいよ....もうこんな所....」
と目の前にいるのはここの看護師だと気づいて言葉を止める
『....あと2週間もない。そしたらお前の好きなようにしていい』
「....本当に側にいてくれるの...?」
『あぁ、約束する』
「ギュってしてくれる....?」
『当たり前だ』
「キスも....?」
『....だからあまりそういう事を人前で
「してくれるの?」
『....お前次第だ』