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「疲れた....」


何度も何度もやり直しさせられて、あらゆるシチュエーションを想定した練習もして
なかなか終わらない訓練に、"私にはまたの機会に教えて"と青柳さんも途中で帰って行った

二人きりなってからも
"もっと上だ!"
"肩に力を入れ過ぎだ!"
"人質に当ててどうする!"
とスパルタ授業が数時間は続いた

"まだ初日だし、プロになるわけでもないんだから"と言い訳しても、"事件はいつ起きるか分からない、係が違う以上俺がいつでも守ってやれるわけじゃない"って
....じゃあ一係に配属させてくれれば良かったのに....
なんて甘い事を言ってられないのも分かってるけど、さすがに丸々午後通しでの訓練は、特別体力に自信があるわけでもない私にはキツかった

もう冬が近いのにお互いジャケットも脱いで、シャツの袖もまくって
ドミネーターの充電が減れば使われなかった青柳さんのと交換もして
いよいよ"もう無理だよ"と音を上げようとした時に、"今日はここまでだ"と切り上げさせてくれた

....やっぱり私の限度を分かってると言うか
分かった上でギリギリまでやらせるのが、伸兄の厳しいところ
確かに学生の頃の、長期休みの課題計画もいつも私が頑張らないと終わらない量を的確に指示してきてた
私の為だって分かってるけど....もうちょっと甘やかしてくれてもいいじゃん....

とはいえ、私を一人で放って辛い思いはさせないのが憎みきれない点
今日だって最後の最後まで投げ出す事無く、自分も動いて努力をして手伝ってくれた
....もしこれが、後ろで適当に座って口で言う事しかしない人だったら、私が"やってられない"って逃げてたと思う


「ダイムー、ただいまー」


せっかく長らく会ってなくて久々の再会なのに、私は部屋に戻って来てすぐ着替えもしないでベッドに倒れ込んだ
この部屋に既視感がちゃんとあるのが、1ヶ月前のあのあまりに一瞬で夢かのようだった触れ合いは現実だったという証拠
同じようにベッドに上がって来て、私の隣で伏せたダイムの頭を撫でる


「ごめんね....もう置いて行ったりしないからね....」


これからはまた伸兄と一緒に暮らせるんだ
ここに毎日帰って来れるんだ
....ただいまって言えるんだ

それがこんなに嬉しいなんて....


「狡噛からか?」


そう言って部屋に入って来た伸兄から渡されたのは、紛れも無くあの桜のブローチ
それを受け取って体を起こす
思った以上に綺麗だけど、洗ってくれたのかな...?


「うん、そうだと思う。直接貰ったわけじゃないから確証は無いけど」

「常守が言っていた。実はあの時のクリスマスケーキ、あいつはちゃんと食べたそうだ。それで、お前に礼として何かプレゼントをしたらどうだとあいつに提案したらしい」

「....これが、つまりそのお礼だったって事?」

「購入申請を受理したのは常守だ。それを見せたら、あの時狡噛が購入した物と同じだと言っていた。素直になれずにずっと渡せないでいたそうだ」

「そう、だったんだ....」


クリスマスから2ヶ月近くも経ってからだなんて....
じゃあ手に火傷を負った時も、ヘルメットの事件があった時も、もうこのブローチは狡噛さんの元にあったのかな


「着けてもいい?」

「わざわざそんな事で俺の許可を取るな」

「....でもなんか、新しいスーツに穴を作るのはやめといた方がいいかな....」

「はぁ....気にするな、着けてやれ」


一応顔を見て見る
....無理して本当は嫌な事を勧めてるわけではなさそう
それなら、と私はピンをジャケットの襟元に通した


「....そう言えば事件の資料見たけど、酒々井監視官の捜索はしないの?」

「捜索する必要が無いと判断されているんだろう。違法行為もしていなければ、サイコパスも良好だ」

「でも明らかに不自然なのに....」

「そういう感覚が持てるだけ、シビュラがお前に下した判断は間違っていなかった事になるな」

「....今日須郷さんと話したんだけどね、私ずっとお父さんは今の警察の在り方に不満を抱いてると思ってた。もともと警視庁で"デカ"としてやって来て、それに伸兄も小さい頃は憧れてたでしょ?」


徐に私が重ねた手は、お父さんと同じ義手
二人とも、生身の腕を失った時はどれ程痛くて辛かったんだろう....
でもきっと大切なものを守る為だった
結局それが刑事なのかもしれない


「....そうだな」


そうやって少しだけ柔らかくなった表情にお母さんだけでなく、お父さんの面影も見出す


「お父さん、執行官になってドミネーターを握ってからも、この仕事に正義や信念を感じてたって。....私も感じられるかな?」


どちらからともなく体を寄せ合った私達は、ただ抱き締める腕の力を強めた


「....あぁ」


もう離れない
離れたくない
遥かに力不足かもしれないけど私も大切なものを守りたい
伸兄をこれからも出来る限り支えて行く
それが親孝行になるかなって
きっとお父さんとお母さんは、何よりも伸兄の幸せを願ってるから


「伸、んっ....」


優しくも強く降り注がれる口付けに、溢れる程の愛とか幸せとかを感じる

大丈夫、側にいる
絶対にもう一人になんてさせない
それが私が伝えたい事なのか、今私に伝えられてる事なのか

施設にいた1ヶ月の間に積もり積もった感情を確実に渡すように
そのシャツの袖を掴んで、何度も変えられる角度に応えて

次第に深さを増して行く交わりに呼吸の仕方さえ忘れる

そんな時に一瞬鼻から吸い込んだ空気は大好きな匂い
....まだ使ってくれてるんだ、あの香水




「はぁ....まずはご飯にしよう?....お腹空いた」





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