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宿舎に戻って来て見た伸兄は、表面上いつも通り
ダイムや観葉植物の世話をして
でもどこか憂鬱なのは分かる


「ねぇ....どうするの?」


ソファでその様子をただ眺めていた私も落ち着かなくて、耐え切れなくなって声を発した
それに手を止めた伸兄は私を一瞬見て、


「....着替えて来る」


寝室に入って行った

なんか....怒ってる?
どことなくそんな雰囲気を感じ取った私は、すぐに立ち上がって追いかけた

閉まったばかりの扉をもう一度開けて部屋に入ると、丁度背広を脱いでネクタイを解くところ


「....気持ちは分かるけど、許してあげてよ」

「お前は、....いや、何でもない」

「何?」

「夕飯は部屋で食べるか?」

「なっ、話逸らさないでよ。何を言おうとしてたの?」


シャツが剥がされ顕になった胴と義手
昔とは見間違える程鍛えられた筋肉に今度はラフな布地が被される


「気にするな」

「気にな

「それより、何かしたい事はあるか?互いに気晴らしをしよう」

「気晴らし....」


そう結局強引に変えられた話題
ちょっと機嫌悪かったようにも見えたし....戻って来るのが遅かったから?

開かれているクローゼットの中から私も部屋着を取り出してスーツを脱ぐ
気晴らしになるようなしたい事を考えながら、白いシャツのボタンを胸元から順に外して行く


「....伸兄は無いの?したい事」

「お前に合わせる」


あの事件そのものの気晴らしになる事
....考えるだけで蘇る光景
伸兄は青柳さんの"跡"も見たんだよね....
現場の調査からある意味外された私は、何がどうなっていたか詳しくは知らない
かと言って伸兄に聞くのも違う気がする
わざわざあの現場を思い出させるのは酷だし、明日捜査資料を見れば分かるかな....


「....達成できなかったバレンタイン、材料はオートサーバーで準備して一緒に作る?」


なんだかそれが青柳さんの供養になる気がして


「....俺も作るのか?」

「うん、一緒に作るのが楽しいの」


そうズボンを履きながら立ち上がった私は、伸兄と一緒にキッチンへ向かった




タブレット端末を取り出してレシピを調べる
どうせならパンにしようと思うけど....


「何がいい?」

「お前が作りたい物を作ればいい」

「バレンタインなんだから、伸兄が食べたい物じゃないと」

「....なら、あの時のクロワッサンでどうだ?よく出来ていた」

「....チョコ無いんだけど?」

「構わない。チョコレートが入っていないといけないというルールはないだろ」

「まぁそうだけど....」


そんなクロワッサンも、実際オートサーバーで加工すればすぐ出来てしまう
でもそれは料理なんかじゃないって、秀君言ってたっけ....

私は記憶を頼りに当時使ったレシピをネットで探した


「あった。よし、エプロンある?」

「....お前が使ってた物しかない」

「....まぁ確かに伸兄料理なんてしないもんね」

「ほとんどの人がしない」

「秀君に怒られちゃうよ?」












と初めてだから仕方ないけど、意外と不器用な伸兄にそんなに上手いわけでもない私も苦戦して、レシピに書いてあった時間を大幅にオーバーしてやっと部屋中に香った美味しそうな匂い

それに釣られて来たダイムは、欲しいのか何も言ってないのに隣でお座りをした


「いい?」

「一口だけだぞ」

「だってダイム、ケチなご主人様でごめんね」


そう角を少しだけちぎった物を掌に乗せて渡すと、一瞬で無くなった


「ケチじゃない、ダイムの健康の為だろ」

「分かってるよ、ねぇ?」


と問い掛けても、物欲しそうに私達を見つめる瞳
それに映る私の背後にはクロワッサンに噛り付く姿


「どう?」


ダイムを前にしゃがんだまま、振り返って味の感想を聞いてみる
匂いは前回と同じかなと思うけど


「....少し硬いな。クリスマスの時の方が上出来だった」

「それは伸兄のせいだよ、生地を捏ねたの私じゃないし」

「.....」


一瞬眉を潜めて、それでもパンにかぶりつく様子が何だか愛しくて
私は腰を上げてその胸に頬を当てた

"食べている最中だ"と口では言いながらも、空いてる方の左手で腰を優しく抱き寄せてくれる安心感に縋ってしまう

一緒に作業をしていた数時間は確かに楽しかった
事件の事もほとんど忘れられた
私以上に料理初心者の伸兄の所作に慌てたり、一緒にオーブンの使い方に苦戦したり
向島先生のアドバイスは間違ってなかった

でも忘れることができただけで消えたわけじゃない
今日起こった事
私が見た光景
青柳さんが亡くなった事実
全てが確かに存在している


「....私、怖い」

「....そう思う事に間違いは無い」


確かに一度ガラス片で人を殺してしまったり、私が勇気を出せなかったせいでキャバクラで一緒に働いていた人達を見殺しにしてしまったりしたけど、言い訳をするならそういうつもりじゃなかった
殺したいわけでも、死んで欲しいと思ったわけでも無い
ただ、結果的にそうなってしまった

だけど今私はドミネーターを持ってる
シビュラシステムの判断によっては人を殺す事になる
しっかりと意図して殺人をする
....今日のように何もしてない被害者でも


「名前、それが親父が言っていた正義や信念だと俺は思う」

「え....?」

「多くの執行官や監視官は、あの銃の言いなりになって引き金を引く事に違和感を覚えない。....俺も昔はそういう部分があった。だがお前は"撃て"と上司である監視官やシビュラに言われたのにも関わらず、自分で"それはいけない"と思えた。違うか?」

「....わ、私は....助けを求めてる人達なのにって....」

「それでいい、お前は充分に立派な刑事だ」


そんな簡単でストレートな言葉がどうもよく刺さった
お父さんの正義や信念....
私も持ててるのかな

額に感じたのは人の体温と柔らかさのある指
前髪を丁寧にかき分けられてそこに触れた唇の感触


「....あのさ、常守さんの事どう思ってるの?」

「常守?何だいきなり」

「いいから」

「元後輩で今は上司、それだけだ」

「....気にかけてるの?」

「あいつは強いが危なっかしい。配属当初から見て来た者として放っては置けないだろ」

「....まぁ...そうだね」

「どうした?」


何度も自分には言い聞かせたけど、別にいいんだよ
普通に考えて、伸兄が私だけに優しかったら人間関係成り立たないし
浮気してるわけでもないし
私に対して疎かになってもいないし
何も問題は無い
私も妬んではない
ただ何となく....


「....寂しいのか?」


見透かされた図星が気まずくて抱き付いたまま下を向く
困らせたいわけじゃない
部下としても上司を気遣うのは当然だろうし、これで"昔みたいにキツく当たれ"と言うのはどう考えても違う
それに、"先輩として優しくしてあげないと"と言ったのは誰でもない私
....それでいざ本当に優しくすると嫌だなんて
....私のわがままな性格は伸兄の教育のせいだと思う、なんて自分の非を人のせいしたい


「はぁ....誰の為に今まで散々常守に迷惑をかけて来たと思っているんだ」

「....それは....」

「なら聞くが、お前は須郷の味方なのか?」

「....え?」


....そういう事?
あの時私が須郷さんと残って話をしたから少し機嫌悪かったの?
あれは伸兄を誤解して欲しくなかった上に、私も似たような責任を感じていた故の行動
だから味方だなんて....


「....分かりきった理不尽な感情を抱くのはお前だけじゃない」


見上げた顔はちょっとばつが悪そうな表情で
私に余計な意味は無かったと分かってたから言葉に出さなかったのかと、反対にそれでも出してしまった自分が情けなくなる


「....こんな時に言う事じゃないけど、私前は伸兄は青柳さんが好きなんだと思ってた」

「は...?」

「私達が大喧嘩したより前の話ね。それで、その恋応援しようと思って青柳さんに伸兄売り込んだことあるの。思いっきり振られてたよ」

「....一体何の話なんだ」

「....愛して」


その身長差を詰めるように台所に身を上げた
横手にクロワッサンを一つ取って食べてみると確かに少し硬い


「....もう少し上手く煽れないのか?」

「必要ないでしょ?」


少なくとも私にとっては、結局辛い時に欲しい物ってその逆なんだと思う


「ん」


私の横についた腕の袖を掴んで、唇に触れる熱を受け入れる
....もう2日分過ごしたような気分

これからは一係で一緒
甘えてしまいそう....


「はぁ....」


呼吸が伝わってくる距離の表情は欲を溜めていて、私もそんな顔をしているんじゃないかと恥ずかしくなる


「....本当にここでするの?」

「誘っておいて我慢させる気か」

「....寝室、すぐそこだけど....」

「無理言うな」





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