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「いらっしゃい、来ると思ってたわ」
「何を吹き込んでくれたんだ」
「あら、自業自得だと思うけど?」
六合塚と一緒に来たわけではないが、結果としてそうなってしまった行き先は唐之杜がいる分析室
名前が少し前に居たはずの場所
唐之杜なら何か知っているんだろうと踏んで来たが、その反応から正解だった事を知る
それより
「....どういう意味だ?」
自業自得....?
「名前ちゃんねぇ、あなたを大事にし過ぎてるのよ。なのにあなた自身が自分を大事にしないんだから、そりゃ怒るわよ」
「....あいつは怒っていたのか?」
「"なんでそこまで霜月さんを許してるのか分からない、何か特別な感情でもあるのか"ってね」
....そんなのあるわけがないだろ
むしろ相手にしない程気にしていないくらいだと言うのに
「まぁ私も、"だから美佳ちゃんに喧嘩吹っかけなさい"とは言わないけど、せめて名前ちゃんが納得するような言葉をかけてあげたらいいじゃない。もちろん"上司だから"なんて言い訳じみた事は駄目よ」
「....言い訳じゃない、実際霜月にこれ以上俺達に対する嫌悪を持たせても仕方ないだろ」
「そんな現実的な言葉よりも感情的な方が私だったら好きね」
妙に楽しそうな唐之杜に溜息を吐く
どうしたらいいんだ
霜月の言動は俺には止められないどころか、あいつは常守にも若干高圧的な態度を取っている
監視官らしい徹底的にシビュラに従う姿勢は限り無く正しいが故に、イレギュラーな行動をする俺や常守には反感があるのだろう
何も俺が個人的に霜月に嫌われているわけでもない
あいつはただシビュラ的に正しい事をしようとしているだけだ
それは俺にはどうしようも出来ない
こればかりは名前が理性的に対応するしか無いと思うんだが....
「....それで、須郷は何なんだ」
「あぁ、女ならたまには他の男も経験してみるべきよ」
「冗談でも笑えないぞ」
「お世辞でも笑いなさいよ」
唐之杜のこういう所には本当に付いていけない
だが人が良いのは監視官の頃からの長い付き合いで知っている
そういう意味では信頼している
「まぁ、あの名前ちゃんを落とそうと思う人も居ないだろうし、居ても落ちないでしょうけど。それはいいとして須郷執行官の事ね。あなたいつまで引きずってる気なのよ」
「....俺も引きずりたい訳じゃない」
「璃彩ちゃんがあんな事になって悲しいのは私達も一緒。でも、須郷君を恨んでも仕方ないわよ。なんなら彼が一番辛い思いしてると思うけど?」
「.....」
「特に名前ちゃんはその時隣にいたみたいだし、あなたの妻でもあって、両方の意味で責任を感じてるのよ。そうでなくとも、誰が見ても須郷君は慰められるべきよ」
「その役割を名前が担ったのか?」
「さぁ?私は"落ち込んでる人を慰めて怒る旦那なら捨てた方がいい"って言っただけよ」
「そんな事で俺は怒らないから好きにすればいいと諭したのか」
「正解」
確かに怒りはしないが....
良い気分にもならないのは俺の罪だ
「あなた達は結局のところ、夫婦揃って自分が見たくない物を見ないで欲しいって思ってるだけなのよ。全く仲良しなんだから」
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「もう少し腰を下げられますか?」
「こ、こうですか....?」
「そうです、そのまま真っ直ぐ顔を前に向けて....」
須郷さんが挙げた空手もサッカーも出来ない私は、意地を張って筋トレを一緒にやろうと提案したところ、当たり前だけどすぐに初心者だと気付かれてしまった
そこからは、フォーム等を教えてくれてる内に私も断り辛くなってしまってそのまま
それにしても、伸兄とか前に狡噛さんがやってたのを見ると簡単そうだったのに、いざ自分が筋トレをするなってやっとその大変さが分かった
正直もう辛い
弱音を吐きたい
そして実際に
「無理はなさらないように....」
と言ってくれるんだけど、私に教える事に集中してて、ここ最近オフィスでの様子より表情が柔らかくなって来ているのを見ると止められない
とはいえ、これ以上付き合わせるのも悪い気がする
まだお昼も食べてないし
「....そうですね、少し休んでもいいですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
律儀にタオルと水を持ってくれた須郷さんもせっかくトレーニングウェアに着替えたのに、結局汗をかく事は無かった
私が思っていたのと違う結末になっちゃったな....
「すみません....私ばかりに構ってもらって....」
「いえ、自分こそあなたに気を遣わせてしまいました。....本当に申し訳ない」
「そんな、気にしないで下さい。私も丁度筋トレやってみたかったんです」
なんて真実じゃないけど嘘とも言えない言葉を紡ぐ
するとベンチの上、私の隣に腰を下ろした須郷さんは床を見ながら息を吐いた
....もしかしてまた余計に責任を感じさせちゃった?
「....少し、聞いてもらえますか?」
「は、はい」
「....青柳監視官と征陸執行官に初めて出会ったのは、自分が国防省の名護基地に勤めている時でした」