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「では、二人も引き上げて下さい。私はもう少しここに残ってカムイの隠れ家を探ってみます」
「常守、少し休んだ方がいい」
「私も賛成です」
長い一日だったような気がする
一係に転属になったばかりの蓮池や須郷含め、三係でも多くの死傷者を出した今回の事件
....本当に名前が現場担当になっていなくて良かったと安心する
今は霜月らと共に都内のエリアストレス警報に対処しているところだろう
男の俺もさすがに殺人ドローンに追いかけ回されたりして疲弊しているというのに、常守はいつもそうだが無理をしようとし過ぎる
昼間の現場でも、自分はドミネーターで撃たれる恐れが無いからと言って俺達執行官を下がらせて一人で突っ走ろうとした
そして今も、雨が降り注ぎかなり夜が深まった時間にまだ仕事をしようとする
そんな常守を近くで見て来た一人の人間として気遣ってやったところ、返って来たのは更に衝撃的な言葉だった
「....でもあんまり休める状態じゃないんですよ、うち。現場を維持したままなので」
「っ、ちょっと待て!お前引っ越してないのか!何を考えている!」
「....まさか、自分を餌にするつもりですか」
「そこまで怖いもの知らずじゃないですよ。手続きする時間が取れないだけです」
「呆れた...」
所詮は常守も他人だ
俺がどうこう言う権利は無い
何を言ってもどうせ聞かないんだろうと俺は溜息を吐いて、東金と護送車に乗り込んだ
まずは名前に、俺達はこれから局に戻る事をメッセージで伝えた
エリアストレス上昇の対応
実際はそれが俺達の最も一般的な仕事だ
名前はちゃんとやれているだろうか....
....俺もまるで保護者のように心配してしまうのは昔から変わらないな
狡噛には"自由にしてやれ"と言われ、名前には面倒がられ、それでも止められなかった
もし万が一何かあったら誰が責任を取るんだ
その上苦しむ事になるのは名前本人で、俺や狡噛含め誰も変わってやる事は出来ない
そう言った思いから結局は甘やかし過ぎてしまっているが、"何か"が起こるよりはマシだろう
高校の時、普段多くは連絡を取らない祖母から授業中にも関わらず突然連絡が来た事がある
何事かと思いメッセージを開くと、名前が授業で怪我をし病院に運ばれたとの旨だった
当時俺達は共に未成年で、二人とも緊急連絡先は祖母の番号になっていた
自分がついているから俺は気にせず授業を受けろとも書かれていたが、集中出来るはずがない
病院にわざわざ運ばれる程の怪我だ
かすり傷程度ではない
祖母を信用していない訳では全くないが、この目で容態を確かめないと気が済まなかった
祖母の返事を待つ事すら煩わしかった俺は、早退して学院の前でタクシーを拾った覚えがある
もし脳にダメージでも負っていたらと張り裂けそうになる感情を抱えながらたどり着いた病室で目にしたのは、俺の悪口を祖母に告げている名前の姿だった
詳しくは覚えていないが、"いちいち細かいし口煩くて鬱陶しい"などと言った内容だったと思う
それを祖母は笑って聞いていた
その至って元気そうな身体に起こった異変とは、体育の授業中に転倒したことが原因となった右腕の骨折
小さなヒビが入った程度で入院も必要無く、全く心配はいらないと祖母から伝えられた
それからしばらくは食事や着替えも、学校以外での日常生活は俺が支えた
巻かれたギプスや、名前が時折見せた痛がった反応に俺がどれ程苦しい思いをしたか
痛みを代わってやれない、今すぐ瞬時に治してやることも出来ない
"絶対に動かすな、安静にしろ"と何度もきつく言いつけたが、学校での時間等はどうしても目を離すしかなく心配で仕方なかった
そんな俺の様子に狡噛も気付き、確か"骨折くらい大丈夫だろ。あいつも子供じゃないんだ、動かさない方がいいのは分かってるさ"とでも言っていた気がする
何にせよ、全く俺の心を休められた言葉ではなかった事は確実だ
その翌日だったか
"見舞いに行きたい"と言った狡噛と共に下校し、俺達より1限少なかった名前が先に帰宅していた家へと向かった
道中で立ち寄ったコンビニエンスストアで、"名前は何が好きなんだ?"と聞いて来た狡噛の意図は明白
その後自宅で狡噛の登場自体に驚いていたが、更に好物のチョコレート菓子を貰い恥じらいながらも喜んだ名前の様子に俺は複雑だった
....全く、俺は何を思い出しているんだ
左手薬指の指輪が、薄暗い護送車の中の僅かな光を反射する
「近頃奥様の機嫌が優れていなかったようですが、やはり霜月監視官の事で?」
「はぁ....他人から見ても分かりやすいか?」
「これでも元セラピスト、それくらいの事は気付きますよ」
「....そういうものなのか」
「奥様は霜月監視官がお嫌いですか?」
そこで自身のデバイスがメッセージの受信音を発した
"こっちももうすぐ終わりそう。戻ったら須郷さんのお見舞い行こ"
....それくらいはいいか
「仕方ないだろうな。俺が妻の立場だったらより腹を立てていたかもしれない」