▼ 293

公安局の地下駐車場に到着し開いた扉から降りると、丁度向こうも戻ったばかりなのか


「伸兄!」


恐らくエレベーターに向かっていたであろう名前が飛び付いてきた
その体重をしっかり受け止めるのと同時に、随分疲れた様子の霜月と一瞬目が合う


「本当にどこも怪我してない?」

「あぁ、大丈夫だ」

「良かった....良かった」


そう張り付くような距離を一層縮めようとする力に俺も腕をその背中に交差させた

確かに俺の方がよっぽどそういう傾向にはあるが、名前も万年反抗期のような性格だったからと言って、全く俺に慈悲が無かったわけでもない
潜在犯の息子という差別から来る不条理な暴力を受けた日には何度も泣かれた経験もあれば、稀に体調を崩したりした時は慌てたように不慣れな看病をしてくれた
名前を知る者達からは"よく出来た良い子"だと評価されていたが、俺にはそれよりも言う事を聞いてくれない頑固さの方が大きかった

....というのがもう過去の可愛い話だと思えるのは、俺も歳を取ったせいか

なんだかんだ、こうして互いとも健康で側に居れる今が最も幸せなのかもしれない


「蓮池さんの事とか....須郷さんが怪我したって聞いて....」


港でカムイと酒々井を目撃したと言う常守らが帰ってきた後、俺達は現場の調査にしばらく残っていた
発見したカムイの隠れ家で見つかった大量の臓器を前にしていた時、突然響いたのはデバイスの着信音
第一声で
『仕事中って分かってるけど!その...どうしても心配で』
と告げた名前に、少なからず嬉しい感情はあった
殉職や怪我をした者の報告は既に本部に送られていて、そこに俺の名は無かったはずだ
それにも関わらずわざわざ通話をかけて来た事に、相変わらず似た者同士だなと考えていた


「それより、須郷の見舞いに行くんじゃなかったのか?」

「うん、医療センターに居るって」













「ぎ、宜野座執行官....」

「妻がどうしてもとな。脚の怪我はどうだ?」

「まだしばらくは歩けそうにありません、仕事もそれまでは休むことになってしまった....一係の皆さんにはご迷惑をおかけします....」

「そんな、今回の事件は須郷さんのおかげで解決したんです。とてもかっこよかったですよ」


その言葉と共に、"好きかどうか分かりませんが"と食堂で買って来た果物や菓子類を手渡した名前に小さく息を吐く
万が一須郷がいつか勘違いしたらどうするんだと思うものの、だからと言って俺と名前に影響があるわけでもないと一人で勝手に思考する


「ありがとうございます」

「今何か食べますか?」

「いえ、お構いなく」


妙に居心地が悪い
特に苛立っても怒ってもいないが、ただ見舞いなど必要あったのかとすら思ってしまう
正直名前が言わなければ、こうして来る事も無かった
....そういう俺はまだどこか須郷に気まずさを感じているのかもしれない


「....蓮池執行官は、やはり酒々井監視官が....?」


申し訳無さそうに名前に向けていた視線で、今度は俺を見た須郷は絶対に悪い奴ではない
それは最初から分かっていたが、今日の一件で更にこの男を認めようとする自分がいた


「データ上ではそういう事になっているが、実際はまだ分からない。酒々井監視官と認識されたドミネーターが同時に複数存在していた事が確認されたらしい」

「そうですか....」


そう目線を落としながら唇を噛み締めた様子に、また"止められなかった"とでも自分を責めているんだろうと気付く
俺も同じ事を今まで何度思った事か


「....名前、先に宿舎に戻っていろ」

「え、でも....」

「少し男同士の話がしたいんだ」


"すぐ戻るから寝る支度をして待っていてくれ"と名前を病室から送り出して、やや寂しそうにした額に軽く触れるだけの口付けをする
途中で二度程こちらを振り返った廊下を歩いていく背中を見送ってから、俺は再び病室に入った


「疲れているところすまないな、押し入って来てしまって」

「....自分は、そんな....」

「....お前は今回、よくやった」































ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一係からは蓮池さんが、三係では半分くらいの人が亡くなって更に負傷者もいる
その中で伸兄が無傷なのは本当に安心したけど、自分もあの場にいたらと思うと背筋が凍る

....刑事課はこれでかなりの人員が削られた
須郷さんみたいに負傷でしばらくは仕事に復帰出来ない人もいるかもしれない
"透明人間"相手にこれからどうなるんだろう....

シャワーを終えて脱衣所でバスタオルを体に巻きつける
タオルで髪の毛の水分を軽く拭き取ろうとしたら聞こえたのは玄関の扉が開く音


「伸兄?」

「まずは早く着替えろ、風邪引くぞ」


リビングに顔を覗かせてすぐそう返され、心の中で"ケチ"と唱えながらパジャマを自分に着せた

ドライヤーを片手にもう一度リビングに出ると、相変わらず欠かさない観葉植物の世話
そうだ...誕生日まであと1週間もない
まだ何をあげるか全く決まってないのに


「....はぁ...全く、座れ」

「そんな嫌そうにしないでよ」

「俺も疲れているんだ」


そうは言いながらもちゃんと電源をつけて、後ろから私の髪に指を通してくれる
その優しさはやっぱり甘い
吹き付ける暖かい風と、撫でるように髪に触れられる細長い指が心地いい


「須郷さんとどんな話したの?」

「....大した話はしていない」

「....また余計な事言ってない?」

「....俺にも常識はある」


膝元に寄って来たダイムの頭を撫でて感じる柔らかな幸福
数時間前までは凄惨な事件の処理をして、今はいつものように伸兄とダイムとの時間を過ごしてる
今日、たくさんの人の日常が壊れた
ハングリーチキンのせいで犯罪係数が上がった人、暴走ドローンに襲われた人
その傍らでこうして私達は変わらぬ日常の中に居れてる


「今日、初めて生身の人間にドミネーター撃ったよ。パラライザーだけど」

「どうだった?」

「なんか....怖かったけど....意外とこんなものなのかなって....」

「....そうだな。次第にその感覚にも慣れて来るかもしれないが、今日感じた事を忘れないでいた方がいい」


風の音が止まり、振り返ってその顔に手を伸ばすと察したようにすぐに身を屈めてくれた
ソファの背もたれ一枚間に挟んだ距離で触れた頬

伸兄が言いたい事は何となく分かるし、10年くらい刑事をやって来た人の言葉には受け入れざるを得ない重みがあった


「....そう言えばさ、言おうと思ってたんだけど」


真っ直ぐに見つめてくれる変わらずに母親譲りで端正な表情に、吸い寄せられるようにキスをする
小さい頃からずっと一緒で果てまで見慣れてる顔とは言え、時々ちょっとドキッとする
....特に余裕の無さそうな時は、なんて言えないけど


「立てこもり事件の後三係に異動になった波多野さん、分かる?」

「波多野紘一執行官だったか」

「うん。あの人みたいに髪伸ばしてみたら?似合いそう」

「....は...?」

「前伸ばしたんだから、今度は後ろ伸ばしてもいいじゃん。最悪切ればいいんだから」

「女ならともかく、俺は男だぞ」

「波多野さんも男だよ。あ、あと!唐之杜さんから聞いたよ!盗撮の話!」





[ Back to contents ]