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伸兄は何で言ってくれなかったの....?

休憩室で東金さんから聞いた話は衝撃的だった


『ど、どういう事ですか?』

『ご主人から聞いていないんですか?霜月監視官から誘いを受けたと』

『誘い....?』

『ええ。先日ご主人が誕生日だった日だと思いますが、廊下で二人が話しているのを見かけました。これは珍しいと思い盗み聞きしてしまったんですが、"誕生日を祝いたいから今夜一緒に食事でもどうか"と言った内容を霜月監視官が話していました』

『....そ、それでどうなったんですか?』

『もちろんご主人は断っていましたよ。それはあなたが一番よく分かっているのでは?』

『ま、まぁ....じゃあもしかしてバースデーカード、渡してるの見ませんでしたか?』

『....そう言えば何か渡していましたね。それが何かまでは見ていませんが』


ってもう、それが気になって気になって
これだけで霜月さんが好意を寄せているのか断定できるわけでもないし、仮にそうだとしても直接聞けないし
その後の勤務は正直ずっと上の空だった

反対に、休憩から入れ替わりで退勤して行った伸兄はどこか上機嫌そうで、何か良いことでもあったのかな....


ついさっき私も退勤して乗り込んだエレベーターで考えるのは、やっぱり伸兄が言ってくれなかったという事
断ってくれたのは嬉しい
霜月さんに関しても、なんだかんだ言って好きになってくれるのは私も誇らしいようで、完全に嫌なわけじゃない


「....はぁ....」


これでまた"霜月と余計な衝突をして欲しくなかった"なんて言われたら、本気で怒ってしまいそう
隠されてただけでも十分なのに、その理由に霜月さんを擁護するような文句を持ってこられるのは流石にあり得ない

宿舎フロアで開いたエレベーターから足を踏み出す
慎重に歩く一歩一歩が重い

....なんでこんな不安なんだろう
緊張もする
問い詰めて後悔しそうで怖い

落ち着かなきゃ
わざわざ喧嘩したくない
もしかしたら迷ってるだけで自分から言ってくれるかも
大丈夫
伸兄は私を見てくれてる
愛してくれてる


「ただいま....って、え...?」


パスコードを入力して解除された扉の奥のキッチンには、なぜかエプロンを着ている伸兄の姿


「何してるの....?」

「クッキーを焼いてみてるんだが....なかなか上手くいかなくてな....」


確かに部屋には香ばしいような香りが充満してる
なんで急にクッキーなんか....と疑問に思いながらも近付いてみると、形は不揃いな


「....チョコチップクッキー」

「子供の頃よく食べただろ」

「お母さんが作ってくれてたんだっけ....?」

「あぁ、俺なりにレシピを調べて頑張ってみたんだが....」

「....食べて良いの?」


ワイシャツにスラックス、その上にシンプルなエプロンという伸兄には珍しい格好で不安そうな表情
自信無いのかな

私は小さめのを一つ取って口に運ん...


「っ!?うえっ!」

「ど、どうした!」


急いでコップに注いでくれた水を奪って出来る限り喉に流し込み
伸兄...こういう事には不器用だと思ってたけど、まさか


「しょっぱい!塩と砂糖間違えたでしょ!」

「そんなはずは....ある、かもしれない....」

「食べれないよ、これ」

「す、すまない....捨てて来る」


そう肩を落としてプレートごとゴミ箱に持っていく背中に、心臓をギュッと掴まれた気分
....理由は分からないけどきっと私の為に作ってくれたのに
霜月さんの事で元々感情が堕ちていた私には、"一緒に作り直そう"と提案できるだけの気力が無かった

その代わり口にしたのは


「....なんでそんな慣れない事したの?」


とどう考えても間違った言葉
"ごめん"とか、"ありがとう"って言えないのが悔しくて、


「それは...その、お前が喜んでくれるかと....」


情けない自分への苛立ちから涙がこみ上げて来る

実際伸兄は間違ってない
普段なら私はきっと喜んでた
クッキーを焼いてくれるなんて愛しい行為、喜ばないはずがない
形が不揃いだとか、塩と砂糖間違えるとか、それはそれでかわいいって笑ってた

でもどうしても素直に喜べも笑えもしない
むしろ涙が止まらない


「....名前?わ、悪かった...俺が悪かったから泣かないでくれ....」


不安そうな瞳で伸ばされて来た手を避けてしまった事にまた嫌になって


「....霜月さんの事で、私に言う事があるんじゃないの?」

「....霜月?」


私が聞きたい真実を教えてくれそうにない声に心が揺れた





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